第592話上総の末の珠名娘子を詠みし歌

上総の末の珠名娘子を詠みし歌一首 短歌を幷せたり

※上総:今の千葉県中部


しなが鳥  安房に継ぎたる  梓弓

周淮の珠名は  胸別けの  広き我妹

腰細の  すがる娘子の  その顔の  きらきらしきに

花の如  笑みて立てれば  玉桙の  道行く人は

己が行く  道は行かずて  呼ばなくに  門に至りぬ

さし並ぶ  隣の君は  あらかじめ  己妻離れて 

乞はなくに  鍵さへ奉る  人皆の  かく惑へれば 

かほよきに  寄りてぞ妹は  たはれてありける

                    (巻9-1738)

※しなが鳥:かいつぶり。安房の枕詞。

※梓弓:周淮の枕詞。

※周淮:上総の東京湾沿い。現代の富津市、君津市の一帯。

※すがる:腰が極度に細い「すがる蜂」からの表現。


反歌

金門にし 人の立てば 夜中にも 身はたな知らず 出でてそ逢ひける

                    (巻9-1739)

※金門:家の戸口。


東国安房に地続きの上総周淮群の娘珠名は、その胸が美しく豊かな美少女。

腰も実に細く、顔はきらきらと輝き、花のような笑みを浮かべて立ちます。

すると、道を行く人は、本来自分がたどる道を通らず、呼ばれもしないのに、彼女の家の門に来てしまうのです。

隣家の主人などは、すでに妻を離別してしまい、求められてもいないのに、自分の家の鍵まで渡してしまうほどなのです。

世間の男という男を、これほどまでに迷わしてしまうのですが、当の珠名は、その中でも美形の男を選んでは寄り添っては、戯れているのです。


この珠名は、戸口に男性が立つと、真夜中であっても、自分のことはさておき、外に出て逢ったと聞いています。


常陸国守時代の藤原宇合に供奉して東国暮らしをした高橋虫麻呂の作。

高橋虫麻呂自身が、珠名に逢ったわけではなく、おそらく地域で聞いた話。


東国伝説の美少女で、客を取る遊女なのかもしれない。

やはり顔が可愛らしくて、胸が豊か、腰も細いのは、古代から変わらない男の気を引く条件なのだろうか。

珠名のために夫に捨てられた女性は恨むだろうなとか、様々な推測も生まれてくる。

実際は、どこまでの美少女だったのか、叶わぬ興味もある。



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