第286話敬みて熊凝の為に其の志を述べたる歌に和へたる六首 序を幷せたり(1)

大伴君熊凝は、肥後国益城郡の人なり。

年十八にして、天平三年六月十七日に、相撲使某国司官位姓名の従人と為り、京都に参向ふ。

天なるかも、幸くあらず、路に在りて疾を獲、即ち安芸国佐伯郡の高庭の駅家にして身故りき。

臨終らむとする時に、長嘆息て曰はく「伝へ聞く『仮合の身は滅び易く、泡沫の命は駐め難し』と。

所以、千聖も已に去り、百賢も留らず。

況むや凡愚の微しき者の、何そ能く逃れ避らむ。

ただ、我が老いたる親並に庵室に在り。

我を待ちて日を過さば、おのづからに心を傷むる恨あらむ。

我を望みて時に違はば、必ず明を喪ふ泣を致さむ。

哀しきかも我が父、痛しきかも我が母。

一の身の死に向ふ途を患へず、唯し二の親の生に在す苦しみを悲しぶ。

今日長に別れなば、いづれの世にか覲ゆるを得む」といへり。


大伴君熊凝は、肥後国益城郡の人である。

年齢18歳、天平3年(731)6月17日、相撲使職の国衙役人某の従人となり、都に上る途中、天命が尽きたのか、病にかかり、あっけなく安芸国佐伯郡の高庭の駅家において、命を落とした。

その臨終の時、彼は深く嘆きながら、語った。


「私が伝え聞いてきた話によると、四大が仮に集まっているだけの人の身体は実に滅びやすく、命も泡のようにはかないもので、留まりにくいということです」

「それゆえに、古来から数多の聖人や賢は、この世に留まることはできませんでした」

「ましてや、私のような凡愚の身分が低い者が、どうして死を免れることが出来るのでしょうか」

「ただ、私の年老いた両親は、あの貧しい家で、いつになっても帰らない私を待って、心を痛め苦しむことでしょう」

「そして、約束として時に帰らなければ、必ず目が見えなくなるほどに、涙を流すことと思うのです」

「哀しくてたまりません、お父さん」

「痛ましくてなりません、お母さん」

「私だけが、今、死出の旅に出ることを嘆くのではありません」

「私が死んだあとも、苦しみを背負って生きる両親を思って哀しむのです」

「今日、長きの別れをしたならば、次はいつの世にお逢いできるでしょうか」



※前回の浅田陽春の「大伴君熊凝の歌二首」に山上憶良が唱和して作った連作六首の序文。

※相撲使:7月7日に宮中で行われる相撲節会のために、諸国から相撲人を徴発し、都に上る使者。

※化合の身:地・水・火・風の「四大」が縁により結合してなった仮の人身。



夏の暑い時期に、遥か遠い都で相撲を取るために、大伴君熊凝18歳は、故郷を出発した。

見送りの国人も多かったであろうし、また両親も期待と不安の中、見送ってくれた。

しかし、死因は不明ではあるけれど、旅の途中、あっけなく安芸国佐伯郡の高庭の駅家において、命を落とした。

「人はどんな偉い人でも死ぬということは知っているし、自分のような至らぬ若輩者でも免れないことは理解している」

「それより、残してきた両親は、自分の死を、自分以上に、嘆くのではないか、それが本当に辛い」

「この世では、顔も見ずに、永遠の別れ」

「次の世で逢うことが出来るのだろうか」




旅の途中での不慮の死。

「哀しきかも我が父、痛しきかも我が母」

この辛さは、どんな時代の人の心も理解できると思う。




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