第144話大伴宿祢大監大伴宿祢百代の恋の歌四首
事もなく 生き来しものを 老いなみに かかる恋にも 我はあへるかも
(巻4-559)
恋ひ死なむ 後は何せむ 生ける日の ためこそ妹を 見まく欲しけれ
(巻4-560)
思はむを 思ふと言はば 大野なる 三笠の杜の 神し知らさむ
(巻4-561)
暇なく 人の眉根を いたづらに 掻かしめつつも 逢わぬ妹かも
(巻4-562)
何事もなく平穏に生きてきたのに、こんな老年になって、私はこのような辛い恋に出会ってしまいました。
恋死にしてしまえば、その後は何になるでしょうか。今、生きているこの時こそ、貴方にお逢いしたいと思うのです。
思ってもいないのに、思っていると言ったとしても、大野にある三笠の社の神はお見通しなのです。
※大野の三笠の杜:現在の福岡県大野城市山田の周辺、今も小さな森として残っているらしい。
ずっと興味本位で私の眉を掻かせておいて、全く逢ってくれることもない、貴方なのです。
※眉を掻く:眉がかゆいのは、恋人に逢う前触れと信じられていた。
老年となっていたとしても、恋心は無くなるものではない。
好きになってしまったら、逢瀬を遂げるまでは、苦しみの連続。
だからと言って、死んでしまったら、逢うことすら出来ない、今こそ、貴方に逢いたい。
嘘は言っていない、愛していないのに愛していると言わない、そんなことは大野の三笠の神がわかっている、嘘など言ったら神罰が下ります。
眉をしきりに掻かせておいて、貴方は、全然お逢いしてくれない。
真面目に詠んだ歌とも、宴席で遊行女(今のコンパニオンみたいな存在だろうか)相手に詠んだ戯れ歌か、それは不明。
ただ、非常に、わかりやすい恋の歌と思う。
大伴百代(生没年未詳)の天平元年(729)頃の歌とされている。
大伴百代は、大伴家出身の官僚として、大宰府政庁に勤務していた。
また、大伴百代は、天平2年(730)正月、大宰府大伴旅人邸での梅花宴に出席、歌を詠んでいる。
その後帰京し、天平10年、兵部少輔に任ぜられる。
美作守・筑紫鎮西府副将軍などを歴任した後、天平18年(746)四月、従五位下に叙された。
同年、豊前守に任ぜられ、翌年正月、正五位下に昇る。
万葉集に七首の歌を残している。
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