第121話 梅花の歌三十二首の序 令和によせて
天平二年正月十三日に、帥老の宅に萃まりて、宴会を申く。
時に、初春の令月にして、気淑く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披き、蘭は珮後の香を薫す。
加以、曙の嶺に雲移り、松は羅を掛けて蓋を傾け、夕の岫に霧結び、鳥はうすものに封めらえて林に迷ふ。
庭には新蝶舞ひ、空には故雁帰る。
ここに天を蓋とし、地を座とし、膝を促け觴を飛ばす。
言を一室の裏に忘れ、衿を煙霞の外に開く。
淡然と自ら放にし、快然と自ら足る。
若し翰苑にあらずは、何を以ちてか情を述べむ。
詩に落梅の篇を紀す。
古と今とそれ何そ異ならむ。
宜しく園の梅を賦して聊かに短詠を成すべし。
天平2年(730)正月13日、帥老の屋敷に集まり、宴会を開く。
時は、初春の素晴らしい月、空気もうるわしく風もやわらいでいる。
梅は鏡台の前の白粉のような色に美しく花開き、蘭草は腰につける匂い袋のまわりのように、うっとりとさせる香りを漂わせている。
それに加えて、朝の嶺には雲が行き来し、松は雲の薄絹をまとい傘をさしかける、夕の山洞には霧が立ち込め、鳥は薄霧の中に行き先がわからなくなり迷い飛んでいる。
庭には、初春の新しい蝶が舞い、空を見上げれば、去年の秋に来た雁が北の地に帰っていく。
そして、天空を屋根として、大地を敷物として、ゆったりと膝を寄せ合って、杯を思いのまま酌み交わす。
全員が一同に会して、言葉などは忘れ、目に見える美しい風景に心を解き放つ。
心を清らかにして、何も気に掛けることはせずに、私たちは満ち足りている。
詩歌でなければ、このような心を述べることができない。
詩として、落梅の編を作る。
この心には、昔であっても、今であっても、何の違いもないだろう。
さあ、園梅をお題として歌を詠み、ここに短歌を試みに作ってみようではないか。
令和元年5月1日にちなんで、万葉集巻第五、梅花の歌の序を、舞夢風に意訳した。
※師老:太宰帥大伴旅人の謙称。
※蘭:初春に葉を出すフジバカマと推定される。
※翰苑:筆の苑なので詩歌のこと。
どうして、この序から元号に取り上げられたのか、この序を書いた人(大伴旅人説、山上憶良説もあり)、当時の梅の花の宴会に出席した人たちなどは、予想もしなかったと思う。
しかし、数多の文から選ばれたのは、まさに天の意思、神の気持ち。
この、言霊の国日本が、うるわしき元号のもと、よき時代となるよう、願う。
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