第99話 大津皇子の流涕
大津皇子の、
ももづたふ 磐余の池に 鳴く鴨を 今日のみ見てや 雲隠りなむ
(巻3-416)
大津皇子が、処刑される時に、磐余の池の堤で、涙を流されながら御作りになった歌。
磐余の池に鳴く鶴を、今日をかぎりに見て、私はあの世に行くのだろうか。
大津皇子は、天武帝の皇子。
容姿、才能、人格、人望全てが、抜群であり、天武朝では重んぜられていた。
しかし、天武帝の皇后(後の持統天皇)にとっては、我が子である皇太子ながら病弱の草壁皇子の将来を脅かす危険な存在。
かくして、天武帝崩御(686年9月9日)後、翌10月3日に、大津皇子は謀反の首謀者として捕らえられ、24歳の若さで、処刑された。
要するに優秀なるがゆえに危険視された。
客観的に見れば、病弱の草壁皇太子と比較すれば、誰が皇位を継ぐべきか、衆目が一致していたのだろうと思う。
しかし、天武帝の皇后(持統天皇)としては、何としても、我が子を皇位につけたい、そのためには、大津皇子は邪魔でしかない。
この処刑事件の直前に、大津皇子は伊勢神宮の斎宮である大伯皇女に秘かに逢いに行き、処刑される地の倭に、あわただしく戻った。
「罪なくて殺される」正真正銘の辞世歌であり、まさに絶唱。
自分の死を凝視した、一種のさわやかさを感じるけれど、そのさわやかさゆえに、後世の人の心を鋭く打つ。
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