第95話 怖ろしい神は、やはり妻?
娘子の、佐伯宿祢赤麻呂に報へて贈りし歌一首
ちはやぶる 神の社し なかりせば 春日の野辺に 粟捲かましを
(巻3-404)
佐伯宿祢赤麻呂の更に贈りし歌一首
春日野に 粟捲けりせば 鹿待ちに 継ぎて行かましを 社し怨めし
(巻3-405)
娘子のまた報へし歌一首
我が祭る 神にはあらず ますらおに つきたる神そ よく祭るべし
(巻3-408)
※「娘子」は、未詳。
佐伯宿祢麻呂の最初の贈歌は万葉集に採られていない。
娘子は、
神の社がなかったならば、春日の野辺に、粟を捲きますのに。
赤麻呂は、
春日野に粟を捲いてあったなら、鹿を待ち伏せして、いつも行くのだけど、神の社は実に怨めしい。
赤麻呂に対して娘子が更に返す。
私が祀る神ではありませんよ。ますらおの貴方についた神様なのです、大切にお祀りをなさい。
この歌の「神の社」は、赤麻呂の妻のこと。
娘子は、まず、武人の家系(ますらを)赤麻呂に恋の言葉などをかけられ、「神の社=あなたの奥様」がいなかったら、あなたに十分に逢えるのですがと返す。
つまり、やんわりとした「お断り」
※「粟」と「逢う」をかけている。
それに対して赤麻呂は、神の社(妻)がいなかったなら、「鹿待ち=恋人を待つ」を、いつでもしますよ、全く妻が怨めしいと、ほぼ諦めだろうか。
そして最後は、娘子の、きっぱり断りの歌となる。
まず、あなたの神様(奥様)を、お大切に。
結局、赤麻呂はフラれてしまったのである。
「神の社」は、恐れるべきもの。
また、妻も恐れるべきもの、特に浮気を知った妻は怖い。
さて、当の赤麻呂の妻が、この歌を知った時の表情と対応は、どうだったのだろうか。
想像するだけで、怖いような気がする反面、「また若い娘にくだらないことを言ってフラれたんでしょ」と、赤麻呂が、呆れられているような気もする。
それにしても、こんな歌に詠まれてしまった春日の神様は、大笑いかもしれない。
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