第39話 柿本人麻呂 宇治川の流れを見つめる
柿本朝臣人麻呂の、近江の国より上り来たりし時、宇治河の辺に至りて作りし歌一首
もののふの 八十宇治川の 網代木に いさよふ波の 行くへ知らずも
(巻3-264)
※もののふの:八十氏にかかる枕詞。
宇治川の網代木で、しばし止まる波は、いつの間にか消え去る。
そして、その行方はわからない。
「網代」は、晩秋から冬にかけて、川の中に棒杭を打ち並べ、それに竹で編んだ簀を掛け、氷魚や鮎などをとる仕掛け。
漁期が終わると網代木を取り外し、宇治川の激しい流れだけが見える、荒涼とした眺めとなる。
網代木の立ち並ぶあたりで、流れをさえぎられた水は、渦を巻いて滞る。
しかし、その滞りも、ほんの一瞬に過ぎない。
すぐに、もとの流れに戻って、行方もわからず、消え去ってしまう。
人麻呂は、それをじっと見つめ、何を感じたのか。
どんなに抵抗しても、やがては流される、消えていく自分、人の世、世界の無常を感じたのだろうか。
人麻呂が後にした近江朝廷は、ほんの一時の栄華、今は壬申の乱で、廃墟、荒都となってしまった、その哀別の想を込めて、この歌を詠んだと、学者たちは語る。
しかし、それだけではないと思う。
川の流れを見ていると、宇治川に限らず、流れ去るもの、消え去るものへの、惜別、哀別などの感情がわいてくる。
人麻呂は、この世に一時だけの存在である我々を含めて、全て、流され、消え去っていくものへの手向けとして、この歌を詠んだのではないだろうか。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます