4、賞与

 次いで賞与にはどのような傾向が見られるのか、賞与を内容別に分類してみた。


【表2】号令篇に見られる賞与の内容別分類

  Ⅰ、賞金      17

  Ⅱ、爵禄      10

  Ⅲ、連帯責任を除く 5

  Ⅳ、贖罪      4

  Ⅴ、封邑      4

  Ⅵ、官吏登用    4

  Ⅶ、免税      1

  Ⅷ、賠償      2

  Ⅸ、人質解放    1

  Ⅹ、倍賞      4


 賞金と爵禄の例が多い。この二つが最も一般的な賞与であったようだ。また次の史料にあるように、


能捕得謀反、売城、踰城帰敵者一人、以令為除死罪二人、城旦四人。


【能く謀反し、城を売り、城をえて敵に帰する者一人を捕得とらえれば、令を以て為に死罪二人、城旦四人を除す】


 と、謀叛人を捕まえた功績を有罪となった仲間の贖罪に使うことができた。

 号令篇の賞与の条件で特徴的な点は、次の史料のように戦功だけではなく密告にもあった点である。


諸吏卒民、有謀殺傷其将長者、謀反同罪。有能捕告賜黄金二十斤。


【諸の吏卒民の其の将長を殺傷するを謀る者あらば、謀反と同罪。く捕告するあらば、黄金二十斤を賜う】


左右有罪而不智也、其次伍有罪。若能身捕罪人、若告之吏、皆構之。若非伍而先知他伍之罪、皆倍其構賞。


【左右に罪有りて知らざるや、其の伍に次するものは有罪。みずから罪人を捕らえる、若しくは之を吏に告げるは、皆之をしょうする。若し伍に非ずして他の伍の罪を先知すれば、皆其の構賞を倍とす】(注10)


 これは刑罰の連帯刑と合わせて注目される。また自分の所属する「伍」以外での法令違反者に対する密告は通常の賞与の倍であり、密告の奨励がうかがわれる。

 一般的な褒賞は戦争の終了後に行われている。


而勝囲、城周里以上、封城将三十里地、為関内侯、輔将如令賜上卿、丞及吏比於丞者、賜爵五大夫、官吏豪傑与計堅守者十人、及城上吏、比五官者、皆賜公乗。男子有守者、爵人二級、女子賜銭五千、男女老小无分守者、人賜銭千。復之三歳、無有所与、不租税。此所以勧吏民堅守勝囲也。


【而し囲に勝つこと城の周理以上なれば、城将を三十里の地に封じて関内侯と為し、輔将しくは令は上卿を賜ひ、丞及び吏の丞に比する者は、爵は五大夫を賜ひ、官吏豪傑のともに堅守を計る者十人、及び城上の吏の五官に比する者、皆公乗を賜ふ。男子の守有る者は、爵は人ごとに二級、女子は銭五千を賜ひ、男女老小の分守き者は、人ごとに銭千を賜ふ。之を復すること三歳、あずかる所の有る無く、租税せず。此れ吏民の堅守して囲に勝つを勧むる所以ゆえんなり】


事已、守使吏身行死傷者家、臨戸而悲哀之。寇去、事已、塞祷。守以令益邑中豪傑力闘、諸有功者、必身行死傷者家、以弔哀之、身見死事之後。城囲罷、主亟発使者往労、挙有功及死傷者数、使爵禄。守身尊寵、明白貴之、令其怨結於敵。


【事めば、守は吏をしてみずから死傷者の家に行き、戸に臨んで之を悲哀せ使む。寇去り、事已めば、塞祷す。守は令を以て邑中の豪傑の力闘し、諸の功有る者に益し、必ず身ら死傷者の家へ行きて、以て之を弔哀し、身ら事に死するの後にまみゆ。城囲めば、主はすみやかに使者を発して往きて労さしめ、有功及び死傷者の数を挙げて、爵禄せ使む。守は身ら尊寵して、明白に之を貴び、其の怨みをして敵に結ば令む】


 ここでは「主」が使者を発して爵禄を行っており、賞与が君主の権限で与えられていることを改めて確認する。このときの褒賞は爵禄と賞金であり、さらに三年の免税が加えられた。このとき役職に応じて褒賞が行われるが、特に「豪傑」が「官吏」と並んで褒賞されている点は注目できる。同じ城内の民間人であっても「豪傑」とそれ以外の住民の間に、身分の差があったことがわかる。

 賞与で興味深い点は、受賞者が自らの意志で褒賞を選択できたことである。


収粟米布帛銭金牛馬畜産、皆為平直其賈、与主人券書之。事已、皆各以其賈倍賞之、又用其賈貴賎多少賜爵。欲為吏者許之、其不欲為吏、而欲以受賜賞爵禄、若贖出親戚所知罪人者、以令許之。其受構賞者、令葆宮見、以与其親。欲以復佐上者、皆倍其爵賞。


【粟米、布帛、銭金、牛馬、畜産を収めるに、皆為に其のを平直し、主人に券を与えて之を書す。事已めば、皆各其の賈を以て之を倍賞し、又其の賈の貴賎多少をもって爵を賜ふ。吏と為るを欲する者は之を許し、其の吏と為るを欲せずして、以て賜賞の爵禄を受け、若しくは親戚の知る所の罪人を贖い出さんと欲する者は、令を以て之を許す。其の構賞を受くる者は、葆宮にまみえ令め、以て其の親に与ふ。以てた上をたすけんと欲する者は、皆其の爵賞を倍す】


 ここでは「吏」となるか「賜賞の爵禄を受け」るか「親戚の知る所の罪人を贖い出す」かを選べた。また住民が供出した物資を政府が賠償する制度について書かれており、これは政府が住民の私有財産を認めていた可能性を推測させ非常に興味深いが、賠償された物資を政府に再び献納すると、賞与の爵賞が倍にされた点も注目される。ここでも住民が自らの立場や状況に応じて、より利益になる方を選択したはずである。


守入城、先以候為始……(中略)……候者為異宮、父母妻子皆同其宮、賜衣食酒肉、信吏善待之。……(中略)……発候、必使郷邑中信善重士、有親戚妻子、厚奉資之。……(中略)……候三発三信、重賜之。不欲受賜而欲為吏者、許之二百石之吏、守授之珮印。其不欲為吏、而欲受構賞、爵禄皆如前。有能入深至主国者、問之審信、賞之倍他候。其不欲受賞、而欲為吏者、許之三百石之吏。


【守は城に入れば、先づ候を以て始めと為し……(中略)……候者は異宮をつくり、父母妻子皆其の宮を同じくし、衣食酒肉を賜ひ、信吏は善く之を待つ。……(中略)……候を発するには、必ず郷邑の中信善重の士をせ使め、親戚妻子有れば、厚く之を奉資す。……(中略)……候三たび発して三たび信、重く之に賜ふ。賜を受くるを欲せずして吏と為るを欲する者は、之に二百石の吏を許し、守は之に珮印を授く。其の吏と為るを欲せずして構賞を受けんと欲すれば、爵禄皆前の如し。能く入ること深く主国に至る者有り、之問ひて審信なれば、之を賞するに他候に倍す。其の賞を受くるを欲せずして吏と為るを欲する者は、之に三百石の吏を許す】


 この史料では「候」(斥候の候=間諜)がその任務の成果を「吏」となるか「賜」を取るか選ぶことができた。人々はより利益になる方を選択したと推測される。

 賞与の方法にも特徴がある。先に上げた史料では「守」や「守」に命じられた「吏」が城内の「死傷者の家」や「豪傑」を足を運んで慰労、褒賞する姿が見られる。これらの直接的な接触行為を通じて城内の人々は、「守」を中心とする指導部に対して信任を与えたのであろう。

 また賞与に関する規定は、『墨子』兵技巧書の中では号令篇のみにしか現れないことを付記しておく。




(注10)蘇時学は「皆構之」の「構」は「購」と同じであり「賞」の意味であるとする。以降「構賞」と表記される箇所が複数あり、この部分はあるいは「賞」の脱字があるかもしれない。

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