2、「守」による城内の統制
派遣された「守」が城内でまず行うことが、城内の人心掌握である。これは次の史料に詳しい。
守入臨城、必謹問父老吏大夫、諸有怨仇讐不相解者、召其人明白為之解之。守必自異其人而藉之、孤之。有以私怨害城若吏事者、父母妻子皆断。其以城為外謀者三族。有能得若捕告者、以其所守邑小大封之、守還授其印、尊寵官之、令吏大夫及卒民皆明知之。豪傑之外多交諸侯者常請之、令上通知之、善属之、所居之吏、上数選具之、令無得擅出入、連質之。術郷長者父老、豪傑之親戚妻子、必尊寵之、若貧不能自給食、上食之。及勇士親戚妻子、皆時賜酒肉、必敬之、舎之必近太守。
【守入りて城に臨めば、必ず謹みて父老吏大夫に問ひ、
ここから、城内に入った「守」は、厳罰と重賞によって統治に挑んでいることがわかる。謀叛者を「三族」(注3)という重刑に処している一方で、謀叛者を「捕告」したものは、「邑」に封じて、さらに「守」が「印」を授けて「尊寵」して「官」として登用し、この褒賞を「吏大夫及び卒民」という城内の人々の隅々に公布して知らしめている。謀叛者への厳罰と、謀叛者を「捕告」したものに対する褒賞を城内に公布することは、「守」が賞罰を明らかにする人間で、反抗するものには厳しいが、協力者には手厚く報いることを、赴任当初に城内の人間に宣伝する必要があったものと思われる。
また、この史料には「守」が尊重しなければならない城内の人間について書かれている。それは「
「守」が配慮する城内の人間については、他にも「
望気者舎、必近太守。巫舎必近公社、必敬神之。巫祝史与望気者、必以善言告民、以請(注6)上報守、守独知其請而已。巫与望気者妄為不善言驚恐民、断勿赦。
【望気者の舎は、必ず太守に近くす。巫の舎は必ず公社に近くし、必ず
ここでは「巫」が「必ず
以上から「守」が城内の有力者や宗教者の協力を誘導または強制し、これを制御・利用して、城内を厳罰と重賞によって統治していたことがわかる。
では具体的に「守」はどのような賞罰によって城内を統治していたのであろうか。
(注3)「三族」は本人及び父母妻子兄弟を全員死刑にする。父母妻子兄弟が謀叛に加担していたか否かは問わない。また別の箇所では謀叛罪は父母妻子兄弟を「車裂」にするという記述がある。「車裂」は四肢に縄をつなぎ、それをそれぞれ別方向から馬車で引っ張るという死刑方法で、非常に重い罰である。
(注4)「父老」は漢代には行政組織に組み込まれるが、戦国時代の「父老」は農村の民間組織における指導的地位にある人間を指す。漢代では「父老」は徴税の代行を行っていたようで、その指導力影響力は強力なものであったと推測される。「豪傑」は城内の有力者であるがその性格は詳しくはわからない。浅野裕一氏はこの「豪傑」を後漢六朝の門閥豪族体制につながる「豪族」の初期的段階と推測している。しかし「豪傑」の「外多交諸侯」という記述を、『史記』遊侠列伝に登場する、戦国時代から秦漢時代の民間社会に強い影響力をもった、「豪侠」の社会の広範囲にわたる任侠的結合のネットワークと捉えることも可能のように思われる。
(注5)「巫祝史」は神に仕えて神事を掌る者。漢代の「巫」はシャーマンとも解され、鬼神を祀り、神がかりな吉凶予言や病気治療にあたった。民間宗教的性格を持ち民衆の支持を得て高い影響力を持ったが、知識層には蔑視を受け、政治的圧力を受けていたらしい。「望気」は天候などから吉凶を判断する占いとされる。
(注6)『墨子間詰』の注において、『墨子干誤』の注釈者である蘇時学は「請」は「情」の誤りとしているとある。「情」であれば意味は「実情、ほんとうのこと」となり、占いの本当の結果は「守」にのみ伝えられたこととなる。
(注7)戦時の祭祀の方法を書いた『墨子』迎敵祠篇にも同様の記述がある。
(注8)江村治樹氏は戦国時代の都市からは宗教的な祭祀遺跡と考えられるものが発掘されていないことから、戦国時代の都市の宗教の希薄性を指摘している。これは宗教の政治的隷属と関係あるもののように思われる。
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