第五章 初めて



彼の腕を握りそのまま押さえつけた、彼を壁に押し付けて正面から彼の顔に自分の顔を近づける、私の鼻と彼の鼻の距離は1㎝も無いほどに迫った、目の前の像がぼやけて良く見えなくなる程に近くで彼を見つめた。


彼は何もしなかった、抵抗もせず自らなにか仕掛けようともしなかった、ただ、不思議そうに、少し困った顔でどこかを見ていた。

そして私は待った、何かを待った、何秒経ったんだろう、何もしないまま、何も起きないままの時間が続いた、



これ以上は無駄だと思って、手を離して元の体制に戻った、何もないところを見てそっと呟いた、


「何もしてこないのかよ」


目を合わせない私のことを今度は深海がしっかりと見つめて言う


「浅川さんが傷付くようなことはしないよ、そんなことはしたくないよ、」


急に恥ずかしくなった、自分は一体何をしていたのか、さっきの時間はなんだったのか、


黙っていられない、このままじっとはしていられない、どうしたらいい、どうすればい、





気付けばワイシャツのボタンを留め始めていた深海を私は押し倒していた、



「イテッ…」


吐き出すように深海が声を上げた、反射的に出た声だったんだろう、その声に初めて深海の人間らしい部分を見た気がした、


「ごめん、浅川さん、痛いよ、なんでこんなこと、」


「私が傷つかないとしたら、、」


「?………」


「慣れてるわけじゃないんだよ、こんなことしたことないよ、」


「………」


深海はまた沈黙状態に戻った、ただ抵抗することもなく、また、何かを求めている様子もなく、私が退くのをずっと待っていた。


口が渇くのがわかった、手に汗がにじむ、


私は深海のワイシャツの袖をゆっくりとたくし上げ、その無数の線が刻まれた腕をあらわにさせた、


深海はそれでもただじっとしていた、


私は彼の腕にそっと唇を近づけ唇をその腕に這わせた、ザラザラしていて、まるで人の肌とは思えない、


今度は口から舌を出し、カサカサの舌で傷をなぞった。



「………ごめん」

無意識に言葉が出た



「…………大丈夫だよ、僕は」


「大丈夫じゃない!!!!」


自分でも驚くほど大きな声で叫んでしまった、もう止める事は出来ない


「酷いことしたの!何が気持ち悪いの!?どこが臭いの!?目が合ったら呪われるとか、触ったら感染するとか、深海菌って何よ!何にもされたことないのに!嫌いになる理由なんて1つもない癖に私は、みんなと一緒になって酷いことしてたの!触られたくないと思ってた、話したくないと思ってた!私の方がよっぽど汚れてるじゃん、最低じゃん!」


カラカラの口で叫び続けた、どんどん息が苦しくなった、目尻が熱くなり、涙が溢れ出しそうになった、


私の涙が床に落ちるのと同時に私の体が深海に引き寄せられた、私の叫びを止めるように深海が私を抱きしめた


「イテッ」


咄嗟に声が出てしまう、


「あ…ごめん…嫌だよね」


すぐに深海は両手を上げてほどいた、



「…嫌じゃない、」


私は深海と体を密着させたまま答えた、口が余計に乾いていく、心臓の鼓動が頭まで響いた、味わったこともない感覚があった。




深海はまた私を抱きしめてくれた、


幸せを感じる、彼といることで何より安心感を覚えらる



私は彼の頬を撫でた、髪をかきあげて、顔全体が見えるようにした、顔は熱く、今の私と同じ顔をしている気がした、意識して見たこともなかった顔、


とてもキレイだった。



「…してもいい?」


「…浅川さんが傷付かないなら、」



私は深海と唇を重ね合わせた。



「隣にいて欲しいから、泊まって」


「…わかった」


私は深海と夜を過ごした。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る