第2話 7世紀日本史・万葉集・初期万葉についての本

2018年のまんなかあたり、「歌声」https://kakuyomu.jp/works/1177354054885865139 という小説を書いていました。(こちらは短縮版で、ロングバージョンは同人誌(アンソロジー)に載せて発刊しました)額田王を主人公にした小説です。2017年の後半くらいから、わたしはずっと万葉集の歌について、歌を歌ったひとびと、歌を歌うことについての小説を書きたいと思っていました。万葉集についての本、初期万葉(額田王と同時代)の時代背景などについての本を読み、いまも読み続けています。今後、万葉集に限らず記紀歌謡(日本書紀や古事記に載っている歌)についても読んで、歌を歌うひと・歌を集める・編集するひとについて短編連作のような形で書きたいなあと思っています。


現代日本を舞台にしない場合は、わたしはだいたいどんな作品でも十冊くらい本は読むのですが(情報としてわかっても妥当性を知るためには、だいたいそれくらいは5000字の短編でも必要だったりします)、「歌声」についてもそれくらいは読んでいると思います。額田王には評伝(伝記文学ではない)が、最近のもので二冊出ていて、今回はそれについて書きたいと思います。


直木孝次郎『額田王』吉川弘文館、2007年。

梶川信行『額田王 熟田津に船乗りせむと』ミネルヴァ書房、2009年。


どちらの本も、その出版社での人物評伝シリーズ(前者は「人物叢書」、後者は「ミネルヴァ日本評伝選」)のうちの一冊で、よく学術論文等でも引用される、比較的信用性の高いシリーズと言えると思います。


この二冊ですが、筆者の性格が異なります。直木孝次郎氏は歴史学者、梶川信行氏は文学者なのです。どちらも上代・古代の専門家ですが、学問として違うものによって立って書いているため、自然と叙述のしかたにもちがいがあります。前者は史料(歴史的事実を明らかにするための文字資料)として「万葉集」「日本書紀」を使い、後者は文学作品として解釈します。評伝なので額田王の誕生から死までの人生を描くことは共通していますが、全体の構成としても異なります。


前者を読み始めて面食らうのは、最初の80頁ほどが、額田王の誕生前のことについて割かれていることです。なにを書いているかというと、日本書紀という史料が額田をどう扱っているか、彼女の称号(「王」あるいは「姫王」(日本書紀に出てくるのは後者))の意味、親族関係にあると思われているひとびとの社会的地位、当時の女性が何歳ごろ第一子を産むか、などなど。そこから額田の出生年を割り出そうとしているわけですが、なかなか迂遠な書き方です。最高なのはそのことについての筆者の書き方で、「わかりやすく書くことにもつためたつもりだが、根が史学出身であるために、ふつうの万葉研究書にくらべると、こむずかしい考証が多くなったのではないかと思う。めんどうなところは飛ばして、あとからゆっくり読み直していただきたい。」(7頁)わかってやってるんかい! とツッコみたくなりますが、まあそうなんですよね。歴史学者ですから。仕方ありません。


後者はというと、誕生を含めて、当時の社会情勢・世界情勢、額田の系譜についてなどは40頁弱でコンパクトにまとめ、それ以降は作品とその解釈、彼女の人生の動きに割かれています。


前者がしょっぱなに引くのが「日本書紀」という「正史」(朝廷が編纂させた歴史書)であるのに対し、後者は「万葉集」なのも、なるほどな、というスタンスのちがいです。


わたしがこの二冊をどう読んだかというと、後者のほうをさきに全部読んで、前者はぱらぱら読んで前半の緻密な考証ぶりに嫌気が差し(笑)、必要そうな部分だけ拾い読みし、あとで前者のほうも全部読む、という感じでした。


どちらの筆者も、文学・歴史学双方に明るいことが文の端々に感じられ、安心して読めました。また、額田というのは登場する史料が限られており、後世付け加えられた「悲劇の女性」的イメージが一時期まで蔓延している状況だったようなのですが、二冊ともにそういったこととは無縁で、あくまで当時の状況・史料から推察した彼女の人生だったことにも好印象を持ちました。


とくに直木氏に関しては、大正生まれ・80代であるにもかかわらず、非常に現代的な女性観・ジェンダー観で額田の人生をとらえていることに、感嘆せずにはいられません。有名な額田の「茜さす紫野行き標野行き野守は見ずや君が袖振る」それに対しての「紫のにほえる妹を憎くあらば人妻ゆえに我恋ひめやも」についての解釈は、自分の意思で自分の人生を生き抜いた女性として額田を描いており、感動せずにはいられませんでした。この本の白眉です。


後者に関しては、作品そのものの緻密な分析が際立っています。文学研究者ならではというか、ことばの使い方によってどういう効果が出ているか、などの分析を詳細に行い、そこから宮廷で活躍した歌人としての額田を浮かび上がらせています。


前者では「鏡王女は額田の姉ではなく、額田本人ではないか」という説、後者では「『紫の~』の歌を返したのは大海人皇子ではなく大友皇子ではないか」という説が取られており、そちらもエキサイティングでした。二冊を同時に読むことで、額田について重層的・多面的に知れたと思いました。


どちらもオススメですが、やはり後者のほうを先に読み、その知識を元に前者で気になった部分を読む、という読み方がオススメです。前者の前半は、まあ歴史学者じゃないと退屈……なような感じ……ですね(笑)


その前に、当時の時代的背景や、万葉集とはそもそもなにか、ということを知っていたほうが良いかと思います。


時代的背景については

篠川賢『飛鳥と古代国家』(日本古代の歴史)吉川弘文館、2013年。

(高校教科書に出てくる用語を、最新の研究成果を生かして叙述し直す、結構体系的なシリーズです)


万葉集については

佐佐木幸綱『万葉集』(NHK「100分de名著」ブックス)NHK出版、2015年。

(テレビ番組を構成し直した本で、わかりやすく平易だと思います)


の二冊がオススメです。全部読もうとせず、関心のあるところを拾い読みするのが良いと思います。わたしはわりとそういう読み方が多いです。

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