第5話

良楽は夢を見ていた。糸満の海で、子供の頃友達と連れ立って、海水浴をしたり、貝をとったり、砂浜で遊んだ日のことを。波打ち際ではしゃいだり、砂を友達にぶつけて無邪気に遊んだ日のことを。あの頃の良楽には、この世に戦争なんてあることも知る由も無く、親が死ぬなんてことも知る由も無く。ただ海の先には地平線しかなく、太陽の光が燦々と照らしている。ただそれだけしかなかった。

夢が覚め、眠りから覚めた良楽の目には泣いたあとがあった。良楽はなんで泣いたんだろうと思いつつも、心には悲しみと喜びがあった。瑠花が木曽に来て、父や母、友人を思い出したのだろうか。夢の中で糸満の海をありありと見た。美しい自然、友人や家族、懐かしい思い出。良楽はしばらく夢を反すうしていた。

三十分くらい経ったろうか。一階から加奈子の声が聞こえてきた。

「良楽さん起きてますか?朝食ができましたよ!」

良楽が答えた。

「すぐに行きます!」

すぐに着替えて一階へと降りて行った。そこにはすでに真也と加奈子、瑠花も食卓に付いていた。良楽も食卓に付いた。今日の朝食は、ご飯に味噌汁、納豆に目玉焼き。サラダにやっぱりイナゴである。瑠花の方を向くと、何事もなかったかのようにイナゴを食べている。加奈子が瑠花に尋ねた。

「瑠花さん、このイナゴっていう虫なんですけど、甘辛く煮てありますが、違和感ありますか?」

瑠花はすぐさま返して。

「沖縄では蝉を食べます。今では少なくなっていますけど。このイナゴはご飯の上に乗せて食べると美味しいですね」

真也と加奈子は沖縄では蝉を食べると聞いて、少しギョッとした。瑠花は続けて話した。

「朝食はあまり変わらないですよ。糸満でもスーパーがありますし、そんなに変わらないと思います。ただ糸満でも外食は沖縄の伝統料理があったりしますけど。普段の家庭料理は内地の人と変わらないと思いますよ」

瑠花は食事を済ませてごちそうさまでした。美味しかったと言った。続けて瑠花が話しはじめた。

「今では沖縄もごちそうさまでしたって標準語を使うんですけど、年配の人は方言で、くわっちーさびたんって言うんですよ面白いでしょ?」

真也と加奈子は方言の方がいいよなあと思った。沖縄みたいな異国の地にまで普通にスーパーがあったり、標準語を話しているのはなにかつまらないと思った。真也は瑠花に話しかけた。

「信州にも方言がありますよ、当然ですけどね。ごちそうさまでしたのことをいただきましたって言います。これは信州人でも最近まで知らなくてね。いただきましたのことを標準語だと思っていたんですよ。最近ではごちそうさまって言うようになったかな」

すると瑠花が面白そうに笑いながら話した。

「糸満の年配の方なんか時々なにを喋っているのか分からない時がありますよ。でも方言って失くしてはいけないと思うんです。なんでも標準語じゃつまらないでしょ?それに方言を話している年配の人たちが生き生きとしているように見えるんです。便宜上標準語は全国共通ですから、めんどくさいことはないと思うんですけど。でも言葉が違うって味があっていいじゃないですか。土地の文化から育まれてきたものでしょ?方言はいいと思うけどな。本当は失くしてはいけないと思います」

三人はそうだよなと言って瑠花の話しに同感した。突然瑠花は小春の遺書のことを思い出した。真也に良楽と二人になれる部屋はないかと話すと、二階の良楽が使っている部屋はどうかと勧めた。すると瑠花は了解して、良楽と二階に行くことにした。

瑠花は良楽の前に小春の遺書を置いて、真剣な眼差しで良楽を見つめ、話し始めた。

「兄さん。大事なことだからよく覚えておいて。ノート渡すから大事なところメモしておいてね」

瑠花は良楽に無地のノートを渡し、小春の遺言をまとめて入れてある木でできた箱を開けた。部屋はしんと静まり返り、箱を開ける音が部屋中に響き渡った。

中には遺言らしき紙が何枚も重なって入っていた。瑠花が一枚目を取り出し二人の間に置いた。一枚目は瑠花に当てた手紙だった。

「瑠花。あんたがこれを読んどる時はもう私はこの世にいないわ。あんたには世話になったね。最後はよう介護してくれたわ。ありがとな。私はあんたを産んで誇らしい。あんたには本当に手がかからなかった。自由にさせとったけど、真っ直ぐに伸びてったな。あとはあんたの人生や。私はとやかく言わん。生きたいように生きなさい。最後に一つお願いがあるんやけどな。家は売り払って欲しい。長く家族で一緒に過ごした家やけど、あの家はうちの代で終わりや。あんたは自分の家庭を守って欲しいな。それと良楽やけど、あれはな、しっかりしとらんから、あんたが時々気にかけてやって欲しい。すまんな。頼むな。あんたは最愛の娘やった。この世で会えて良かった。有り難う」

二人で読み終えたあと、瑠花は涙をぐっとこらえた。良楽の目には涙が伝っていた。

落ち着くまで少しの間があった。良楽は涙目で、瑠花が歯を食いしばり、こらえている表情を伺った。

しばらくして瑠花が二枚目を取り出した。良楽に向けた遺言だった。

「良楽。あんたには本当に手が焼けたわ。わたしはあんたのことでいつも頭がいっぱいやった。でもな、アホな子供ほど可愛いってのはほんとやで。あんたが用地買収で喧嘩しとった時は私にとっても地獄だった。でもな、あんたが市役所やめて山中さんの家に行くとなった時、わたし決めたんや。あんたには残せるもんはなるだけ多く残してやろうと思ったんや。わたしのな、遺産。瑠花にはやらん。あの子はしっかりしとるから。あんたに全部やる。それで得意の沖縄料理店開いてもらえれば、わたしにとって最期のお願いになるな。それとな、山中の真也くんはあんたの従兄弟に当たるんやで。わたしの兄さんは沖縄から仕事の転勤で木曽に行ったんや。そこで地元の奥さんと結婚して真也くんが産まれた。知らんといかんから教えとく。ほんとはあんたのことが可愛いんやで。喧嘩もしたけど楽しい思い出も沢山あったな。次に生まれ変わってもあんたのお母さんでいたい。良楽。有り難う」

しんと静まり返った部屋の中で、良楽は瑠花に小春の最期の様子を聞いた。

「お母さん最期はどんなだった?」

瑠花はしばらく黙ったあと話し始めた。

「お母さんは最期悪性リンパ腫で亡くなった。最初は調子がおかしいから近くの内科病院で診てもらったけど原因が分からなかった。それで琉球大学病院で検査したの。PETとCTの検査をしたの。わたしも同席したけど、結果は全身転移の末期ガンだった。骨にまで転移していた。担当医は抗がん剤治療を勧めたけど、助かる見込みは無かった。一時的に良くなる可能性は高いけど、抗がん剤で苦しむことは確実だった。お母さんは痛み止めだけ飲んで、他の化学治療は一切拒んだ。医者はそれだと一ヶ月持ちませんよと頑なに抗がん剤治療を勧めたけど、頑としてお母さんは譲らなかった。二週間病院にいたけど、家に帰りたいと言って終末期は家でわたしが介護しながら最期を迎えた。家に居たのは十日間だけ。でもその間に沢山の人達がお見舞いに来てくれた。最後の十日間は、庭と外が見渡せる窓際で過ごしていた。最後の二日間だけ苦しそうだったから医者の指示でモルヒネを使ったけど、最期は穏やかだった。眠るように亡くなった。わたしは医者と看護師、親戚や友人にすぐに連絡した。近くの内科医が臨終の宣告をしてくれた。集まってくれた人達みんな泣いていた。通夜も葬式も、とても温かい雰囲気でお酒を飲みながら、お母さんの思い出話しに耽っていた。みんな見事な最期だったって言っていたよ」

良楽はそうだったのかという、母に対する深い思いと葬式すら出ない自分の愚かしさを呪った。

二人はしばらく黙ったままうなだれていた。

しばらくした後瑠花が、じゃあ次のと言って、一枚取り出した。そこには良楽が受け取る遺産の承諾書があった。そこには喜満平良楽様二千万受け取りくださいと書いて、大きな実印が押してあった。瑠花がすぐさま良楽に言った。

「兄さん、これで沖縄料理店開いてね。絶対!」

良楽もそれに答えた。

「約束だもんね、絶対開くよ。俺の夢だし、お母さんが最期に助けてくれたんだ。絶対に店出すよ」

この時点で二人は分かっていた。良楽は木曽に永住する。良楽には五百万の貯金があった。これでおおよそ木曽に住みながら沖縄料理店でやっていけると良楽は確信した。

最後は写真のアルバムがあった。瑠花が取り出し、二人の目の前で開いた。そこには懐かしい写真が写っていた。小春の生まれた時の写真。子供の頃や学生時代。会社に勤めている時の社員旅行。結婚式の写真。良楽が生まれた時の写真。瑠花が生まれた時の写真。家族旅行の時の写真。糸満の海でキャンプをやった時の写真。キャンプの写真を良く見ると、真也らしき子供が写っている!良楽は少し興奮気味に言った。

「これ、真也さんじゃないか?!俺たち小さすぎてあんまり覚えてないよな!」

瑠花は可笑しそうに。

「お母さんの遺言どうりね。真也さん従兄弟なんだよ」

良楽が瑠花にお母さんがどんな人だったと思うか聞いてみた。

「そうね、とにかく曲がった事が嫌いで真っ直ぐな人だったね。お父さんが私たちが小さい時に亡くなったから、女手一つで育てたでしょ?苦労は人一倍したと思うのよね。アメリカの悪口は絶えなかったけど、信念の強い人だったと思うの。もう本当に譲らなかったよね。でもね、私たちにはとことん優しくて、母としての役割とか責任はちゃんと果たしたと思うの。こうやって遺書も私たちが後で困らないように遺してくれた訳じゃない。最後まで自分の果たすべき責任は果たしたと思う。亡くなる姿だって、最後にわたしが介護したって言ったって十日間だけじゃん。本当に周りに迷惑をかけず、あんなに綺麗に亡くなるなんて出来る?変な話、医療費もかからなかったのよ。お母さんが好きだった自然体って言葉。その通りに生きたし、最期もそうだったよ」

良楽はうなずき、今までもやもやしていたお母さんのことが一気に理解し納得出来たようだった。

瑠花は続いて話した。

「でもね、ひとつだけ謎に思っていることがあるの。お母さんは最後の十日間、窓から外ばっかり眺めていたのね。人生の最後に窓の外を眺めて何を思っていたんだろうって。多分一生考えても分からないと思うの」

良楽は永遠の謎だなと言った。

瑠花は最後にひとつだけあると言って話した。

「お母さんは最期に人生なんてアッと言う間だって言ったの」

良楽はそれを聞いて、答えを用意していたかのようにすぐさま答えた。

「あのな。人間なんてちっぽけな存在だ。宇宙から見たら人間の存在なんて点にもならないだろ?人間の一生も人類の歴史からしたら、一瞬だ。瞬きくらいで終わるよ。だから人は何かにすがったりするんだろうな」

「そんな人間が争ったり、比べたりするのは醜いわよね。みんな弱い者同士の人間がどうしてそんなことをするんだろう。なんだか悲しいよね」

良楽はそうだなと言ってうなずいた。

外を見ると夕焼けが広がっていた。綺麗な夕焼けだ。お母さんがその向こうにいるかと思うと、もう届かないと思った。二人はしばらく夕焼けを見ていた。永遠を感じさせる夕焼けだった。もう米軍も戦争も関係ないと思った。ずっと続いて欲しいと思った。

すると一階から加奈子の声がした。

「良楽さん、瑠花さん。夕飯が出来ましたよ」

今日の夕飯はカレーライスだ。加奈子が大きい鍋に沢山作りましたから、おかわりどんどんしてくださいねと言った。昨日残っていたオリオンビールも沢山ある。四人集まって、いただきますと言った。良楽はお腹が空いていたのか、カレーの香りが食欲をそそったのか、最初からがっつき始めた。良楽が無言でモリモリと食べる!カレーが口に入ったまま、加奈子に向かって生卵ないですか?と言った。加奈子はハイハイ分かりましたと言って生卵を四つ持ってきた。すると良楽はカレーライスの上に生卵を二つ割り、ぐちゃぐちゃにかき回してその上からしょうゆをたらした。再びモリモリと食べ始め、お代わりをした。加奈子はクスクス笑いながらどうしたのかしら?と言いつつ良楽が満足そうにカレーを食べているのを時々見ていた。真也も面白そうに良楽の食べている姿を見ていた。瑠花は知らんふりしてカレーを食べていた。三十分も経っただろうか。良楽はついに鍋にあるカレーを全て平らげてしまった!そして良楽は拳を突き上げ生きているってのはこういう事を言うんだ!と叫んだ。三人は吹き出し、真也は笑い転げた。真也は良楽に話しかけた。

「良楽さん、君はいいもの持ってるよ」

二人は握手し、良楽は再びガッツポーズをした。

興奮が落ち着いてきたところで、良楽は真也と加奈子に小春の遺言のことで話があると言って、二人に話し始めた。

「遺言の中に母の遺産と沖縄料理店を開くことが書かれていました。わたしにとっても念願のことなので、是非とも叶えたいと思います。資金は十分にあります」

真也は真剣に受け止め、良楽にこう答えた。

「それじゃあ木曽の上松に住んで、ここで沖縄料理店を開くんだね?」

良楽も真剣な表情で。

「もちろんです。母との約束でもありますし、わたしの夢でもあります」

真也は加奈子と少し話し合った後に良楽に話し始めた。

「わかった。それなら一度うちの町内会で挨拶してもらうといいかも知れないな。とりあえずは店の計画を立てるのと同時に宣伝もしなきゃならん。特にここの地域に根ざしてもらうために、町内会に入ることをお勧めするよ。まあどっちにしろここはいずれ出てかなきゃいかんから、アパートでも借りて、そこから店に通うとかがいいと思うけど。どうだね?」

良楽はうなずいて答えた。

「私もそうしようと思っていました。一週間以内にはアパートを借ります」

真也は瑠花にも尋ねた。瑠花はすぐに答えた。

「兄さんがそう決めたんだから私は何も言うことはなです」

そこで良楽は語り始めた。

「間取りはですね、二十人入れる宴会場を作って、あとはカウンターとボックス席ですね。会計は入り口に作って、厨房は奥に作ります。待合室に椅子を並べて、アルバイトを雇います。メニューは沖縄料理中心でアルコールやソフトドリンク、デザートも置きます。実は店の設計図とメニュー表も作ってあるんですよ。あとは保健所と消防署に届け出るだけです」

真也はうなずきながら聞いていた。そして良楽に言った。

「とりあえずは町内会で宣伝を手伝ってもらおう。これでも町内会では顔が効くんだ。良楽さんにはアパートを探してもらって、そこから町内会に来てもらおう。それと店の建物は地元の建設会社に頼む。電話番号教えるから直接掛け合ってくれ」

真也は続いて瑠花に話した。

「瑠花さんも長くここにいてもしょうがないと思うので、一度糸満に戻ってもらうといいと思います。折を見てまた来てもらえればと思います」

瑠花はすぐさま答えた。

「わたしも家のことが気になりますし、兄の店が出来たらまた来ます。明日の便で帰るようにします」

真也は締めるように言った。

「みんなこんなところかな?今日は遅くなったし、みんなお休みだな」

それぞれ着替えて、寝どころについた。良楽と瑠花にとっては特別な1日となった。二人はお母さんのことについて思いを巡らし、良楽は沖縄料理店のことも頭から離れなかった。思いが巡っているうちにだんだんと眠くなり、午前十二時前には全員眠りについた。
























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