第3話

シトシトと雨が降る音で良楽は目が覚めた。ボンヤリと目が覚めていく。茅葺き屋根の天井が見える。雨の音以外はしんとして静まり返っていた。しばらく天井を眺めながら、どれくらい寝たのだろうと思った。腕時計を手に取り、針を見ると、七時を指していた。良楽は眠い目をこすり起きることにした。よく寝たもんだ、昨日の睡眠薬が効いたのか、少し脱力感があるくらい気持ちよく寝れた。ゆっくり立ち上がり、伸びをした。すると、一階から加奈子の呼ぶ声が聞こえて来た。

「良楽さん起きましたか?朝食の用意が出来ていますよ」

良楽は服を着替えてから、一階の食卓に向かった。

真也と加奈子がテレビのニュースを観ながら良楽を待っていた。ちょうどその時テレビでは、糸満での米軍基地建設のことが報道されていた。

真也は良楽が食事時に落ち着いて食べられるように、良楽が二階から降りてくる前に、リモコンでテレビのスイッチを切った。

良楽がまだ少し眠そうな顔で、それでもよく寝れた満足感があるせいか、笑顔で真也と加奈子に笑顔で挨拶した。

「おはようございます、お待たせしました」

真也がすぐさま良楽に言った。

「熟睡できたように見えるけど……ま、聞かないでおく……見るからに快眠できましたって顔してるもんな」

加奈子も穏やかな笑顔で良楽に言った。

「わたしも安心しましたよ、ささ、ご飯も温かいうちに召し上がれ」

良楽はありがとうございますと言って食卓に着いた。いただきますと言って食べはじめたが、いつもより食事が美味しく感じる。自然と笑顔にもなる。イナゴはカリカリだ。ホカホカのご飯と熱い味噌汁が幸福だった。

何故かしら良楽の目には、深い安堵感からきたのか熱い涙が浮かんでいた。 こんな幸せがあっていいのだろうかと、良楽は心底思った。良楽はご飯をおかわりした。イナゴをご飯の上に乗せて食べるのが、また格別に美味い!胃袋を満たし、深い満足感の中で良楽は食事を終えた。しばらくの間放心状態になった。

真也と加奈子はそれを察していて、良楽に声をかけることはしなかった。

加奈子が何もなかったように、お茶とすんき漬けを用意した。

三人はそれをつまみ始めた。無言でいると、良楽が突然思い起こしたように真也に問いかけた。

「真也さん、この家には新聞やテレビはありますか?」

真也は今日の新聞やニュースは、糸満の海が埋め立てられたことを報じているので、本当は良楽に見せたくなかったのだが、しぶしぶあるよと言った。そして苦い表情で新聞を良楽に手渡した。

信濃毎日新聞の一面には大きく「糸満基地埋め立て完成」と載っていた。良楽は無表情のまま記事をくまなく読んだ。そして、糸満にはもう帰れないと悟った。 真也と加奈子も良楽が恐らく木曽に永住することになるだろうと感じ取っていた。真也は良楽のことを心配して言った。

「良楽さんは独身だったね。家族や親戚、兄弟はいないのかね?」

良楽は少し間を置いて応えた。

「うちはあまり親戚付き合いがなくて、母も亡くなりましたし、父も私が若い頃に亡くなりました。唯一妹が居まして、結婚をして家庭も持ってます。糸満に住んでいます」

「それならば近いうちに妹さんと連絡を取った方がいい、妹さんも心配だろうに」

「そうした方がいいですね、妹の名前は琉花(るか)って言うんですけど、糸満とつなぐ唯一の生命線になりそうです」

良楽はことの重大さに気付いていて、冷静だった。新聞のテレビ欄を見ると、NHKで朝の八時から三十分枠で、糸満の埋め立てのことを特集で放映されることが載っていた。

沖縄の米軍基地は、嘉手納飛行場や普天間飛行場など全部で六ヶ所ある。基地は南シナ海や東アジアなど、アジアの有事の際には最重要拠点としての役割を担っている。

しかし、これらの米軍基地では、朝から戦闘機が爆音で住宅地を低空飛行したり、米軍の兵士による女性や子供に対する暴行事件や、海の埋め立てによるサンゴの被害や、海の生態系への影響などが大きな問題となって、地元住民からの猛烈な反感を買っている。

良楽の母もその反対運動に熱心だった。良楽が子供の頃から、畜生アメリカと言うのが口癖だった。 母の名前は小春(こはる)と言うが、小春の両親は小春が五歳の時に、太平洋戦争で沖縄に置ける本土決戦の時に、防空壕で両親共に日本兵の手榴弾で集団自決をして亡くなった。五歳だった小春は、親戚のおばさんに引き取られて育てられたという。そんな小春は、アメリカと東京が憎かった。旦那さんは、アメリカはすごい、東京はすごいと言っていたが、小春はそれが嫌で堪らなかった。よく小春と口論にもなった。小春は旦那が病気で亡くなる時には、まだ小学生だった良楽にあんなことを言っているから早死にするんだよ、いい気味だとまで言った。

そんな良楽は東京の大学には行かせてもらえず、地元の琉球大学に入学し、公務員免許を取り、糸満の市役所に就職した。小春にしてみれば自慢の息子であったが、良楽にしてみれば、家族の愛を受けたという記憶はあまりなかった。市役所で、用地課への移動の辞令を手にした時は、良楽にとっては普通のことであったが。小春にしてみれば、用地買収で地元住民を排除しないかと心配していた。

そこで糸満の海埋め立ての命令が出たのである。

良楽はNHKの特集が始まる前に、真也に沖縄問題について関心があるか聞いてみた。

「真也さん、沖縄の米軍基地問題についてはどれくらい知ってますか?」

すると真也は目をつぶり、深刻そうに考えながら、ゆっくりと答えた。

「そうだなあ、新聞やテレビで知るくらいだけど、関心はあるよ。基地は撤退すべきだね」

そんなことを話しているうちに、テレビで糸満での基地問題の特集が始まった。最初に、糸満の海を土砂で埋め立てている様子と、カヌーに乗ってプラカードを掲げ、それに反対するデモの様子が映し出された。この頃良楽は、地域住民の説得にあたっていた。

司会はNHKのアナウンサーである。そのほか、国会議員や大学教授、ジャーナリストたちが机を囲み、席に着いていた。

真也は不機嫌そうに低い声で呟いた。

「こんな討論番組観たくないよ、もっと現地取材出来ないのかね」

良楽も同意見だった。自分が現地にいただけに、番組が真実を隠して放送していると分かった。

番組の内容はオープニングで観た予想どうり現地住民のインタビューが少しあっただけで、政治家や学者の討論番組で終始した。

与党や保守の論客は、日米同盟や極東の安全保障のために米軍は糸満に必要だと言う。それに対して野党やリベラルの論客は、糸満市の人たちが安心して暮らすためには、糸満の基地建設反対と沖縄からの米軍即時撤退が必要だと言っていた。しかし両者の意見は平行線で、三十分の番組はあっという間に終わってしまった。

テレビを観ていた三人は、エンディングのテロップが流れて行くのを観ながら唖然としていた。番組が終わると、真也はすぐさまリモコンでテレビを消して、良楽に呆れた声で尋ねた。

「良楽さん、本当はこんなんじゃないんでしょ?」

良楽も苦虫を噛み潰したような表情で答えた。

「現場ではもっと敵意剥き出しの争いがありました。この放送が全国に流れたことで事実の隠蔽にもなりますし、真実が闇の中に行ってしまったことにもなりますね。すごく残念です」

その場の雰囲気は、憤りと何かスッキリしない手詰まり感があった。そこで加奈子はまだ台所にあったすんき漬けとお茶をササッと用意した。加奈子は難しい表情をしている良楽に微笑みかけ声をかけた。

「良楽さん、さっきの番組のことは忘れてお茶にしましょうよ。それと、瑠花さんに連絡しなくていいの?」

良楽は気持ちがほぐれたのか、真顔になって答えた。

「ま、正直に言うとがっかりでしたけど、お茶をいただいた後に瑠花に連絡します」

こうして三人はお茶を飲みながらすんき漬けをつまんでいた。なにを話すでもなく、ただ三人とも頭を空にして無表情で漬物をつまんでいた。すると突然良楽の携帯が鳴った。しかも瑠花からだ!

良楽は慌てて瑠花からの電話だと二人に告げ電話に出た。瑠花と話すのは二ヶ月振りだ。

「兄さん、瑠花だけど木曽の親戚の家にお世話になっていることは知っていたけど……心配していたんだよ!」

良楽は瑠花の声が聞けて深く安堵した。糸満の情景が蘇ってくるようだった。良楽は電話先のことが急に知りたくなって瑠花に話した。

「瑠花!そっちは大丈夫か?」

「こっちは海沿いで基地の反対運動は続いているけど、兄さんの方が大丈夫じゃないんじゃないの?」

そのとうりである。良楽は正直に瑠花に話した。

「俺な、こっちで調子がおかしくなって心療内科に行ったら病気になりかけていると言われた」

瑠花の深いため息が電話口で聞こえた。

「兄さん、取り敢えずお母さんの遺書とかまとめたのがあるから、直接山中さんにも挨拶しなければいけないし、直接そっちに行きたいから、山中さんに電話変わってくれる?」

良楽は、真也に瑠花から言われた要件を伝えて、電話を変わった。

「瑠花さん、初めまして山中真也と言います。良楽さんはこちらで預かっています。要件は良楽さんからお聞きしました。こちらに来られるということですが、いつになさいますか?」

瑠花が電話の向こうで深々と頭を下げているのが分かった。

「山中さん、兄が大変お世話になっています。そちらに行く時間ですが、明日の羽田行きの飛行機に乗って、そちらの最寄の駅まで電車で行きます。時間は新宿駅を出る前に連絡しますが、それでよろしいでしょうか?」

真也は瑠花の凛とした口調に気が引きしまる思いだった。

「有難うございます、それでは上松という駅で降りてください。車で迎えに行きます。」

「有難うございます。ではそのように致します。申し訳ありませんが、兄に変わってくれませんか?」

真也は良く出来た妹さんだと思い感心した。そして良楽に電話を手渡した。

「兄さん、山中さんに迷惑かけてるんでしょ。仕方ないんだから、明日私がそっちに行くから。お願いね」

と言ったきり電話を切った。

真也は明日の予定を良楽と加奈子に伝え、瑠花を迎える準備をした。

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