4-2 ターゲット発見

 ターゲットのパーティは夜にこの街へ到着するというのが、リンディの予測であり、それに基づいて行動するなら、いつものようには、夕食を取れそうにない。したがって、朝寝や情報収拾によって遅めになった昼食は、もう夕方にさしかかる頃合でもあることから、夕食を兼ねてしっかり取っておく必要がある。

 例に違わず、食事にこだわる食道楽がナユカを先導し、食堂を物色しながら通りを歩いていると、そのうちの一軒の前で、やけに騒がしいグループが目についた。いやな予感がしたセデイターは立ち止まり、同行者とともに離れた物陰から彼らを観察する。ああいう騒々しいパーティには往々にして……いるものだ。

 見たところ、四人パーティで構成は男女二人ずつ。その中で、際立って騒いでいるのが魔導士らしき小柄な女。なにゆえ魔導士とわかるかといえば、魔導士風のローブを着用しているという見たまんまの理由であり、加えて、純粋な魔導士らしく、目立った武器の類を装備していない。これは、まさか……。


 ちなみに、この世界の魔導士は、どこかのファンタジー世界のごとき魔法射出用の杖などは持たない。よって、大なり小なりのそのようなアイテムを奪われたらにっちもさっちも行かない、などということはない。なにも持たなくても、魔法は発動可能である。

 とはいえ、集中力を高めるアイテムはよく携行されており、それらなしでは魔法が使えないというものではないが、イメージによって魔法を発動するというここでの特性から、あるほうが魔法の効果や成功率を高めたりすることができる。言わば、一種のブースターの類であり、そのアイテムを見つめる、あるいはそれに触れるなどの行為により、術者の精神集中を促し、能力の向上を可能にしているわけだ。

 なにを持つかは各人によって異なっているが、携行しやすく、とっさに視界に入れたり、触れたりしやすい指輪や腕輪、ペンダントなどのアクセサリー類が一般的だ。中には、武器として使う杖や剣を、そのようなアイテムとしても使う者もおり、彼らは魔導戦士にカテゴライズされる。ただ、そういった重いものは、魔法イメージ構築への集中力を削ぐ恐れがあることから、純粋な魔導士は軽装備に徹することで、高い魔法効果を引き出している。


 今、観察しているパーティの編成は、装備から察するに、男二人は剣士……そのうちひとりはおそらく魔導剣士で、魔導士ではない女はヒーラーだろう――彼女は、セレンディアには少ない、褐色の肌をしている。実に、事前の情報による、ターゲットのセデイト対象者が所属しているパーティと構成が同じ……とはいえ、バランス的にはありがちなので、それだけでそうと決め付けることはできない。重要なのは、ターゲットが若くて小柄な女魔導士であること。すなわち、眼前のパーティにおけるひときわ騒がしい女と一致する。セデイト対象者は、ハイテンション状態を維持していることが多く、その点からも彼女がターゲットである可能性は高い……。

 そこで、セデイターは、例の瘴気を可視化するスコープを取り出して装着し、向こうから見られないように物陰から少しだけ顔を出して、一瞬だけ魔導士を覗き見る。

「当たり」

 セデイト対象者であることは確実だ。こちらの身分がばれないよう、スコープはすぐに取り外す。……それにしても、あれがターゲットなら……この時間にこんなところにいる? 予測だと、夜にこの街に到着するんじゃなかったっけ? いったい誰がそんないい加減なあて推量を……などとボケる必要もなく、リンディ自身のものだった。

 確かに、先ほどの情報屋によれば、夜にここから半日の地点にて目撃されたのだから、現在この場所にいるのも不可能ではない。ただ、あのパーティの進行は遅かったはずで、それを考慮すれば、夜になるのが自然だ。徹夜で歩いてきた? あるいは、あわててこの街へ入った? もしかしたら、なにかの事情があるのかも……。理由はどうあれ、まずは確認である。あの魔導士が本当に件のセデイト対象者かどうか……。

 とはいえ、残念ながら、ふたりが隠れている物陰からでは距離があり、人相までははっきり視認できない。いちおう、記憶ではおおよその顔立ち――とりわけ童顔だと認識しているが――それを見極めるには、もう少し接近する必要がある。

 セデイターは、早速、物陰を利用して目立たないように、じわじわとそのパーティへと近づいていく。その間、ナユカにも、自分の後ろをふつうに歩いてついてくるように指示。相手はこちらを知らないので、当然ながら、物陰から物陰へ走って移動するような、かえって目立つ尾行はしない。

 そのまま進んでいくうち、目的のパーティは、あろうことか、その食堂へと入ってしまった。こちらが見張っているのがばれたという雰囲気ではないが、まだ確認ができていないのに、ここで見過ごすことはできない。仕方なく、リンディもその食堂に入ることにする。どこで食べるか、しっかりと選びたかったのに……。

「あの店に入るよ」セデイターは、後方の同行者に振り向く。「入ったら、自然に振舞ってね。あいつらのほうをあまり見ないように」

 指示を受けた側は黙って2度ほどうなずいたが、その前に「あいつら」という指示者の言葉に反応し、その先を聞き終えるまで、短い間ながら、じっとそちらを見てしまっていた。

 また、自然に振舞うというのも意識すると難しいようで、場慣れした目から見れば、どこかしら緊張感が見て取れる……。まぁ、素人だから……仕方がないかな……。こんなところで、マッサージしてリラックス……なんてわけにもいかないし……肩揉むくらいかな……やらないけど。とりあえず、向こうはこちらにまったく意識を向けていないから、問題は……ないだろう。

 セデイターは、素人の同行者に影響を与えないよう、自分自身ももう少しリラックスするべきだと自戒し、自分の肩を軽く揉んだ。


 夕方前のこの時間、昼食と夕食の狭間であり、店内は比較的すいている。それでも、それなりに客が入っているところを見ると、相応に人気店らしい。……てことは、まぁまぁ味も期待できるかなぁ……などと、そっちのことが頭をよぎる。そんなどうでもいいこと……いや、どうでもよくないことはさて置き、席に着こう……。

 本題に再フォーカスしたセデイターは、大胆にも、彼らの隣のテーブルに陣取る。自分の面が割れているとは思えないので、別に近くでもかまわない。席の余っている店内でも、そんなに不審ではないだろう。仮に一つテーブルを空けた席に座って、後からそこに誰かが陣取ったら、観察しにくくなってしまう。

 同行者を彼らに背を向ける側に座らせ、リンディ自身はその対面に着席。これでこちらからは丸見え。ナユカというていのいいブラインドもあるし、こういうことに慣れていなさそうな彼女の表情も向こうからは見えない。……セッティング完了。

 後でしなければならなくなりそうなことを考えると、エネルギー補給として食事をしっかり取りたいのはやまやまだが、別席を監視しながらでは、残念ながら落ち着いて食べるのは難しい。ストレス下の食事は好みではないので、ここはこらえて軽い食事にしよう……普段どおりの、あまり刺激のないものに……。

 そう心を決めたセデイターがメニューを手に取ったところ、意外にページがある。選択の余地なく偶然入った店にしては、なかなか料理の種類が豊富なようだ。適当にぱっと開いて、ざっと目を通すと、そこには……。

「あっ」

 軽い驚きの声を発したリンディ……その視線の先には……前から食べてみたいと思っていたあれが……。そして、ページをめくると、さらに……。

「うっ」

 うめき声を上げた食道楽。なんと、ここにもまた別の……いつか食べようと思っていた、天然のあれ……。目を……目を、そらさなければ。とっさに、またページをめくると……

「あうっ」

 驚きとうめきを同時発声した食の探求者。こ、これは……もしかして、あの……幻の……? て、店員に確認を……。息づかいが荒くなっている目の前の美女を、ナユカが怪訝そうに見つめる。

「あの、大丈夫ですか?」

 耳に届いた声へ向かって、リンディは顔を上げ、眼前の物体を見つめ返す。焦点が次第に物体の顔に合い……正気を取り戻した。

「あ。大丈夫……ちょっとね……」よだれに至る前のものを飲み込み、あわててメニューを畳むと、ナユカに渡す。「はい、これ」

 もう見ないようにしよう……目の毒だ。

「あ、どうも」メニューを受け取った異邦人が、こともあろうに、非常にやばいことを言ってくれる。「でも、まだ読めなくて……」

 それは、つまり……自分にもう一度このメニューを見ろと……? なんて、残酷なの……この……天然サディスト! 心の中で異国の者に言いがかりをつけつつも、食の探求者は気持ちを落ち着け、手っ取り早い対策を思いつく……すなわち……先にこっちで……適当に決めてしまえばいい。

「チキンのセットにしましょう」

「え?」ごまかし含みにつき、普段より言い回しが丁寧になってしまったリンディを、ナユカは少し奇妙に思う。しかし、この言い方には、なにか意図があるのだろう……向こうにばれないためとか……。勝手にそのように斟酌し、その提案に同意する。それに、チキンは嫌いじゃない……ここのものがよほど変なものでなければ。「……はい。では、それで」

 これでメニューをあまり見ないで済むとはいえ、まったく見ないというわけにもいかない。チキンのセットメニューなら、たいていあるとは思うけど……。食道楽は異邦人から再度メニューを受け取り、慎重に表紙を開く……最初のページは、たぶん目次だろう……それなら、見たらまずいもの……いや、おいしそうなものが唐突に現れることはないはず……。

 恐る恐る開いたそこには……予想どおり、幸いにして目次があった……この予測は当たった。どうでもいいことに気をよくして、さっと目を通すと、その中にあったのが「珍味」という項目。さっき見てしまったのはここか……。どうやら、このセクションを避ければ、あれとか……あれとか……あまつさえ、あんなものを目の当たりにしないで済む。そう、目にしなければ……ううっ。気持ちのどこかに食欲の泣きが入る。こんなタイミングじゃなければ食べていたのに……。でも、こんなの食べながら、あいつらを監視できないし……。

 事実、これまでのところ、そちらに気を取られてしまって、まるで監視対象に集中が出来なくなっている敏腕セデイター。自身でもそういう認識を持ちつつ、やつらのほうを見ると、相変わらず騒がしい。食事はすでに始まっており、テーブルの上には、たくさんの料理が並んでいる……。

 あいつら、好き放題注文しやがって……。理不尽な怒りが湧き上がる。まったくいったい誰のせいで……。でも、見方によっては、あいつらがここに入ったおかげでこの店を見つけることができたわけか……。この……なんか……ちょっと変わったものを出す店を……。そう考えると、怒りも少しは治まるような、見つけても今は食べられないから、やっぱり湧き上がってくるような……。えーい、いつまでもうだうだしていてもしょうがない。さっさと無難なものを注文してしまおう。なにか食べれば気持ちも静まるだろう。


 メニューを閉じたリンディは店員を呼び、ナユカにはちらっと見ただけのチキンとピラフのセット、自分には監視しながらでも食べられるサンドウィッチ系の軽食を、メニューすら見ず、店員に聞いて注文。それに二人分の飲み物とサラダを加えて……それ以上は、後から随時頼むことにする。向こうがいつ動き出すかわからない……。とはいえ、そう早くは動かなさそうだ……あれだけの量を食べるんだから。そう思って、あちらのテーブルに再び目をやると、すごいスピードで料理が平らげられている。

 その視線と軽い驚きを含んだ目の表情に気づいたウエイトレスが、リンディに目配せし、小声で話す。

「あちらさん、すごいですね。まだ注文するみたいですよ」

「へえ……払えるのかなぁ」

 こっちはまともに料理を選べやしないのに……と思うと、イラつきを越えて虚しくなってくる。そんなセデイターの耳に、注文書きとペンを持ったままの彼女が口を近づける。

「お金はあるって見せられたそうです」

「それはそれは……」すでに何度か給仕に現れた、担当のウエイターに対してだろうか……。もちろん、上品な行為とはいえない。しかし、そんなことよりも、食道楽には尋ねるべきことがある。「ところで……」

「はい」

 微笑むウエイトレス。

「えーと……」メニューにあった、あの……幻の……やっぱりやめた。聞いてしまうと、注文してしまう……。「また後で呼ぶから、よろしく」

「かしこまりました。では、失礼いたします」


 去っていくウエイトレスを、食の探求者は目で追う。……本当は聞きたかった……あの料理たちについて。しかし、今はそのことに気を取られてはいられない。忘れてしまうのが一番だ。質問のためにもう一度メニューを開いて、そのセクションを目の当たりにしてしまうようなことは避けるべき。現実的判断で欲求をなんとかねじ伏せ、再びやつらのほうへ目を向ける。

 すると、好奇心を抑えきれなくなった正面のナユカが、リンディに小声で尋ねる。

「後ろで何が起きてるんですか?」

 あまりあいつらを見るなという最初の指示を守っている壁役は、背後を見ることができない。

「あ、そっか」後ろに振り向けないんだっけ。「大食いの早食い」

「そうなんだ……」

 それは気になる……見ものだ。もちろん、見たい。そのせいか、なんだか背中がむず痒い。

「ちょっとだけ見ていいよ」

 幸いにも、監視者から許可が下りた。

「え? いいんですか?」

「いいよ、どうせみんな見てるから。ただ、静かにね」

 すでに彼らのテーブルは注目の的。まださほど多くはない客からの一様な視線を浴びている。ここで隣席の一人がちょっと振り返っても不審ではないだろう。むしろ、完全に無視しているほうが不自然だ。許可を得て、後ろへゆっくりと振り向いたナユカは、目を丸くする。

「うわー」

 驚嘆はあくまでもささやき声で。それから、すぐに向き直る。目には驚きが残ったまま。

「すごいでしょ」

 にこっと笑うリンディに、異世界人がうなずく。

「あんなの見たことないです」

 テレビ以外では。テーブルの上に皿が山積みになっているのは壮観だ。

「ふつうなら、ないよね」

「ふつうなら?」

「対象者だから」

 異常な速さで大量に食べまくっている当該人物は、童顔の女魔導士。体は小さいのに、凄まじい。同席している仲間の剣士もかなり大食で、あたかも競うかのように食べているが、体格の差にもかかわらず、彼女には及ばない。

 このような無茶苦茶な大食いは、瘴気に侵されて精神が高揚している魔導士にはよくある行為であり、リンディは何度か目にしたことがある。その場合、たいていは、その食いっぷりを目の当たりにしたレストラン側が支払いを気にし始め、大食いたちの所持金を確認する──唯々諾々と料理を出し続けて踏み倒されでもしたら丸損だ。そして、案の定、足りないことがわかれば、そこで給仕はストップ。満足しないセデイト対象者がその場で暴れるというのが、ありがちなパターン。

 仮に、この場でそうなると、セデイターが即、出張ってここでセデイトしなければならない。正直、こんなところで戦闘を始めるのは好ましくなく、そういった事態にならないことを望みたいところ。ただ、幸いにも、このパーティは、先のウエイトレスから聞かされたように、注文の前に大金を見せたらしく、よほどでなければそうはならないのではないだろうか。

 それにしても、なぜこの連中はそんなに金を持っているのだろう? 情報では大きな犯罪は犯していないようだから、難易度の高いダンジョンでお宝でも見つけたとか、よほど困難な依頼を片付けたとか……。Aランクの対象者だけに、その戦闘能力は高いと思われ、そういったこともおそらく可能だろう……やはり、侮ることは出来ない。

 もちろん、対象者本人である魔導士に関しては心してターゲットとしているため、セデイトまでに至るのが難しいことは最初から覚悟している。しかし、問題は他のメンバーで、まだ実力がさっぱりわからない。ここは、なんとかしてメンバーを分断してしまうのが、安全策といえよう。パーティーとしてかかってこられたら、自分ひとりで対処するのは、事だ……。

 考えを巡らせている間に給仕された料理をゆっくり口へと運びつつ、リンディは対面のテーブルをさりげなく監視し、ナユカには気にせず食事を進めるよう促す。


 それから、そのまま見張り続けてしばらくしても、やつらの……というよりも、魔導士の食事の量とスピードは一向に衰えることを知らず、大量の料理を追加注文した。分け前が減るとでも思っているのだろうか、剣士のほうも対抗するように大食いの継続中。他の二人、魔導剣士とヒーラーらしき者は、次々と平らげられていく皿を尻目にマイペースの食事。正気なら、張り合わないのが賢明だろう……つまり、この二人は正気だ。一方、この剣士はどうだろうか……? 魔導士ではないので、セデイト対象者ではないはずだから、ただのシンプルな早食いの大食いということなのか……。

 リンディ自身はよく食べるほうではあっても、早食いではないので、正直、こういう食べ方は理解できないし、感心もしない。たいてい味音痴でしかない早食いと違って、食事はじっくり味わって食べるというのが、食道楽の本分である。……ったく、こっちは食べたくても食べられないのに……特に、あれとか、あれとか……なんといっても、あれを……。

 立場のもたらす不公平感に苛立ちを覚えながらも観察を続けていると、突然、向こうのヒーラーらしき女が立ち上がった。どうやら、魔導士が皿をひっくり返し、料理の一部が隣に座る彼女の服へとこぼれたようだ。魔導士の女はちらっと隣に視線をくれただけで、そのまま食事を続行。

 一方、ヒーラーはテーブル上のこぼれた食べ物をさっと片付け、近くにいたウエイトレスに頼んで持ってきてもらったタオルで、自分の服を拭く。特に怒った様子はなく、淡々としているのが奇妙だ。人間が出来ているのか、この魔導士を恐れているのか、こういうことが慣れっこなのかはわからない。いずれにせよ、冷静さを保っている彼女は、セデイターにとって接触する価値のある相手だろう。

 後始末の続きを店員に任せたヒーラーは、汚れてしまった自分の服を整えるべく、化粧室へと向かう。……ここはチャンスだ。リンディは、ナユカにすぐ戻ってくるからそのまま食事を続けるように言い置き、彼女の後をさりげなく追う……。


 追跡者が音を立てずに化粧室へ入ると、中にいたのはヒーラーのみ。少し濡らしたタオルで、服の汚れを拭っている。その姿はどことなく物悲しげ……にも見える。

 情報では、確か「フィリス」とかいう名前だった。後半ははっきりと覚えてないけど……なんだか、ややこしい苗字だったな……ジャジャバルの後半のような……いや、バジャジャルだったっけ……? えーと、確か……。ああっ、もういい、そんなことは! それよりも……。

 接触するため、リンディは静かに彼女に近づく。名前のほうは「フィリス」で確実だが、警戒させないためには、呼ばないほうがいいだろう。

「なんか、大変だね」

「え?」その声へフィリスが振り向くと、ブロンドの美女がいた。見ていたのか……まぁ、あれだけ目立っていれば……。「……いつものことですから」

 諦めにも似た、ため息交じりの声。

「そうなの?」

 いちおう聞き返したものの、ああいうのと長期に渡って同行していれば、大概そうだと知っている。セデイトする側ゆえに、対象者と長い間一緒にいることは決してないが、セデイト直前の状態なら、いろいろ見てきた。

「ええ……」

「実は……あたし、こういうもんなんだけど……」セデイターの紋章を取り出したリンディは、右手でかざして、彼女に見せる。「わかる?」

「あ」目を少し見開いて、軽い驚きを表したヒーラーは、それがなにか即座にわかったらしい……。それでも、驚きは一瞬だけで、すぐにもとの落ち着いた表情に戻る。「セデイターのかた……ですね」

「そう。リンディ=フレヴィンドールね」自分を指して、まずは、名乗った。「それで、あなたが一緒にいる魔導士についてなんだけど……名前は、ニーナ=ローゼンヴェイル?」

 この苗字も難しめだが、当初よりのターゲットのため、さすがにきっちり覚えている。……とりあえず、噛まなくてよかった。

「……はい」

 セデイト対象魔導士のパーティメンバーは、慎重にうなずいた。……隠し立てする気はなくても、警戒心はあるらしい。それでも、まだ一般にはあまり知られていないこのエンブレムだけで、こちらの身分がわかったということは、誰であれ、セデイターがいつかは来ることを予期していたのか、あるいは、すでに何度か接触を受けているのだろう。後者の場合は、全員失敗していることになり、おそらくそちらの可能性が高いが、失敗の報告などわざわざするはずもないので、定かではない。

「状況はわかっているみたいね……」その問いに無言で首肯したフィリスを見て、リンディは協力を望めると判断。……ここは強めに出てみよう。協力を仰ぐのではなく、ストレートに指示を出してみる。「店の中で事を起こしたくないから、あなたには、できるだけ彼女を興奮させないようにして欲しいんだけど……頼める? たぶん……慣れてるんじゃない?」

「はい……いつものことなので……やります」

 拒否も抵抗もない。先に漏らしたのと同じ「いつものこと」という言葉でも、先ほどのような諦念ではなく、本人の意思が感じられる。たぶん、こちらの言ったとおりにしてくれるはずだ。それでも、いちおう念を押しておく必要はある。

「じゃ、お願い。くれぐれも、あたしと会ったことは言わないように」

 話してしまったら、元も子もない。逃げられるか、その場で戦闘になるか……。セデイト対象者の一般的な性質として、無視してそのまま大食いを続けるというのもありうるが。

「承知しました」

 きっぱりと返事をしたその雰囲気から、対象者に明かしてしまうことはないとリンディは確信。

「また後でね」

 先に立ち去ろうとするセデイターに、後ろから協力者の遠慮がちな声がかかる。

「あ、あの……よろしくお願いします……」

「ええ、任せて」

 振り向いて微笑み、先に元の席へと向かう。


「お待たせ」収穫を得て戻ってきたリンディは、ナユカに状況を尋ねる。「なんか変わったことあった?」

「たぶん……ないです」

「たぶん?」

 セデイターは着席。

「見えないので……」

「あ、そっか」

 うなずいて、苦笑いするリンディ。……愚問だった。でも、指示通り、振り返らなかったわけだ……まじめだなぁ。自分だったら……間違いなく、何度か後ろを見てるだろうな……。ここはほめてあげよう……心の中で。えらいえらい。

 それはともかく、向こうのパーティのひとりを味方につけた……とまでいえるかどうかはまだわからないものの、少なくともこちらの邪魔はしないことははっきりしたので、セデイターは先ほどよりもリラックスしている。そこで、何気なくナユカの手元に目をやると、料理がさほど減っていない。こっちが緊張感を醸し出していたから、食が進まなかったのかな……それとも、口に合わないとか? 異邦人の味覚はよくわからないけど、これまでのところ、なんでも食べていた……。いずれにせよ、料理を意識したら、無性に味見したくなってきた。多少、緊張がほぐれた食道楽は、ようやく食への探求を開始する。

「それ、ちょっと味見していい?」

「ああ、はい。どうぞ」

 ナユカが前へ差し出した皿から、リンディは傍らにある小皿に、セットのメインであるチキンを少し取り分けて食べてみる。少し冷めているが、味は……悪くない。ちょっと変わったスパイスが使われているみたいだ。

「結構、いけるじゃない」スパイスが何なのか……気になる。「もう少しいい?」

「どうぞ」

 再び料理を取り分ける食の探求者。食欲も出てきた。

「あまり食べてないけど、おいしくない?」

 異文化の食事は、受け入れていても、どうしても無理な部分はどこかにある。それがこれなのだろうか? 

「いえ、そんなことないです。ただ、ちょっと緊張して食欲が……」

 あ、そっちね。

「ないの?」

「なかったんですけど、今出てきました」

 リンディが普通の姿、すなわち食道楽に戻ったのを見て、ナユカの緊張感もほぐれ、食欲が戻ってきた。

「そうなの? それじゃ、なんか別のものでも頼もうか」

 今の料理は味見がてら大半を食べてしまったので、別の料理を追加注文する。ここでメニューにあった「珍味」にしてしまうと、さすがに食べるほうばかりに気を取られてしまうので、ごく一般的な料理を数点……苦渋の決断だ。

 一方、監視対象のテーブルも、若干ペースは落ちたものの、依然として胃へ向かって大量輸送中。この調子だと、なんらかの動きがあるまで……すなわち、食事の終了までの道のりは長いだろう。こちらももうしばらくはゆっくりしていられそう……。セデイターは監視を少しばかり緩め、食事へと集中力の一部を傾ける──本分を忘れない程度に。


 追加した料理をゆっくり味わう食道楽とその同伴者が食べ終える頃には、向こうはすでにありえないほどの量を平らげていた。剣士はすでに脱落しているものの、当の魔導士、ニーナはそれでもまだ食欲があるらしく、速度は常人並みに遅くなっているとはいえ、しぶとく食べている。ただ、もうそろそろ終着ではないだろうか……。セデイターは、食事から監視へと集中を切り替える。

 予想通り、やがて対象者の食事の手は止まり、そのタイミングで、ずっと前にごく普通の食事量を食べ終えていたヒーラーのフィリスがデザートを注文。もしかしたら、これで食事を終えるというシグナルをリンディへと送っているのだろうか? 思った以上に協力的だとセデイターは解釈する。

 その見立てどおり、魔導士もどうやら満足したらしく、「軽くデザートで締め」などと高らかに宣言して、デザートを五品ほど注文。到着したそれらは別腹の中へと高速で移送され、それを最後に、ようやく大食い狂騒は終わりを告げた。


 食べた量が量だけに、体の大きくない当該魔導士はそう簡単には動けないらしく、長めの食休みを取っていたが、そろそろ夕食の時間に差し掛かり、次第に店内に客が増えてきた。すると、ようやく重い腹……ではなく、それを支える腰を上げ、店を出るための身支度を開始。そこで、リンディとナユカも怪しまれないように退席する準備を始める。

 食道楽には「珍味」がどうしても心残りだが、また次の機会にと、すっぱりと未練を断つ……また来ることがあったら……あるかも……あるはず……いや、絶対に来る。断てない未練を引きずり、新たなる決意を胸に秘めた食の探求者は、向こうが結構な額の勘定を済ませて店を出るのを見届けてから、取り急ぎ同行者とともに店を後にし、距離を取りつつ、彼らの追跡を開始する。



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