4-3 追跡と戦闘

 街中を歩くターゲットのパーティを追跡しながらも、リンディの気にかかるのは、成り行きで同行しているナユカのこと。別に邪魔になっているのではない。食堂に入る前から、セデイターに合わせて可能な限りうまくやってくれていたし、食堂内でも、彼女という壁役がいたから監視もうまくできた。問題は、ナユカの身の安全だ。自分は時と場所を選ぶつもりでも、いつ、どこでセデイトに入るか、すなわち、実力行使に入るかは、こちらで確定できるものではない。

 リンディのもともとの腹積もりでは、奴らが来るのは夜と予想していたため、先にナユカをアネットのいる出張所に送ってから、ひとりで彼らと対峙するつもりだった。しかし、彼らに想定外の時間に遭遇してしまったことで、その計画は頓挫。異世界人……かもしれない迷子を見知らぬ街の見知らぬ場所に放り出して、ひとりで出張所まで戻らせるのは気が引けるし、好ましくもない。字が読めないなら地図を見てもわからないだろうから、変なところに迷い込んで、トラブルに巻き込まれる危険性もある。戻るルートを教えようにも、リンディ自身、この街の地理も治安状況もまだ完全には把握しきれていない。したがって、不本意ではあっても、このままナユカを当面の間、連れ歩くしかないだろう。

 もうしばらくしたら、彼らが泊まるであろうどこかの宿の別室にでも彼女を置いて、待っていてもらうのがいいか……そして、機を見計らって事を起こす……。でも、セデイト対象者は神経過敏だから、魔導士ニーナの寝込みを襲うというのは難しいだろうな……。そういうのは趣味じゃない……ということだけではなく、そういったやり方は、セデイトの法的手続き上、問題を生じる。まず、こちらが名乗って、セデイトすることを告知しなければならないのだから。それに、予想される相手の能力値を考慮すると、宿を危険にさらすことにもなる。あのヒーラー……フィリスに何らかの協力をしてもらえば、対象の魔導士だけ夜中に外へ誘い出すことができるかも。そういう器用さが彼女にあればいいんだけど……。


 尾行しながら、セデイターがうまい方策をひねり出そうとしていると、前を歩く彼らが……なにやら、もめ始めた。苛立って大声を上げるセデイト対象者本人のおかげで、都合のいいことに、こちらに内容がすべて筒抜け。

 聞けば……つまるところ、食事に金を使いすぎて今夜の宿代がなくなったということだ。自身もそれなりの量を食べた剣士からも責められたようで、魔導士は逆切れしてわめいている。結局、仕方がないから今夜は野宿という方向らしい……それも二日連続で。あの情報屋から得た「昨晩、平原にいた」という話は、野宿だったということか。

 大食いはせず、普通の量の食事しかしなかった魔導剣士の男はさすがにあきれ、自分のつてでどこかへ泊まることにしたらしく、金の切れ目が縁の切れ目とばかりに、待ち合わせ場所と時間だけを一方的に告げてから、さっさと去っていく。今後、パーティと宣言どおりに合流するかは、怪しいもの。怒れる魔導士側が受け入れるかもわからない。

 一方、大食いしたほうの剣士は、持ち合わせがないとのことで、一緒に野宿に付き合うようだ。同道するのは、まだ益ありと考えているのか、あるいは、義理堅いのか、それとも魔導士かヒーラーのどちらかに惚れてでもいるのか、その辺の事情はまったくわからず、憶測の域を出ない。そして、協力者であるフィリスは、こちらの思惑に叶い、しっかり同行する。彼女は、リンディが話した印象では、ニーナを案じているように思える。戦闘になった場合、この二人がどのような行動を取るか、ある程度予測しておく必要はあるだろう。

 こうして、一名脱落した野宿決定のパーティーは、これから町外れへと向かうらしい。街中ではあまりにもみっともないというフィリスの意見に則っているようだが、もしかしたら、セデイターがやりやすいように配慮した提案なのかもしれない。


 このようなパーティの事情や行動プランは、ニーナが相手の発言を部分的にリピートしながら大声で怒っているので、周囲に丸分かりとなっていた。追跡する側としては、主にその怒りのはけ口となる協力者には気の毒でも、向こうの状況を把握するには、もうしばらく、その怒りを継続してもらいたいところだ。

 ともあれ、彼らが町外れへと進んでいるのは、これからセデイトするリンディにとって、基本的に好都合。低ランクの対象者であれば、まだ理性的な会話が可能なため、説得してセデイトを受け入れさせられることもまれにはあるものの、ほとんどのセデイト対象者とは戦闘になる。しかも、今回の相手は手強い。ゆえに、人の多い場所で一戦交えるのは極力避けたい。できれば、人気ひとけのない街の外へと連れ出してしまいたい。手っ取り早くセデイターが思いつく策は、挑発しておびき出すことだが、戦闘の素人である同行者がいる以上、その安全を考慮すれば好ましくない……。

 やつらが野宿と決まったことで、問題になるのはやはり、そのナユカの身の置き場である。追跡中の現在、彼女のための宿を確保している隙はないし、もちろん、こんな時間にその辺に放り出して待たせるようなことはできない。そうなると、このままセデイトし終わるまで、連れ歩くしかないか……不本意ではあるけど……。リンディは、バジャバルとの戦闘時に、後方にナユカがいたことを思い出す。……ともかく、事を起こす前には、ちゃんと離れているように言い聞かせておかないと……ああいったことにならないように。このは魔法をあまり理解していない。本当に異世界人か、単に記憶操作されただけの迷子なのかは不明でも、そのことは事実だ。あのときは偶然外れたからよかったけど、もし直撃でもしたら……。そんな事態は絶対に避けなければ。


 セデイターの追跡もそろそろ街の出口近くに差し掛かった頃、その対象たちは再びもめ始めた。というよりも、またも、魔導士ひとりだけが一方的に大声でどなっている。……相変わらず、なにが起きているのかわかりやすい。近々、喉を潰すのでは? 詠唱ががらがら声だと魔法が発動できなくなるというものでもないので、戦闘相手にとっては益がないが……。

 そんな、いらぬ心配をしたくなるようなわめき声によれば、ヒーラーが魔導士と剣士の二人を街の外へと連れ出そうとしているようだ。要約するに、寝るまでには時間があるから、真っ暗になる前に薬草や食料を取りに行こうと誘っている模様。明日には金が入るけれど、それまでに食べるものがないとかなんとか……。嘘か誠か……少々苦しい言い訳のようにも聞こえる……にもかかわらず、腹が減るという点で、大食したばかりのニーナがあっさりと説得されたようで、いったん街の外へ出ることにしたらしい。

 すると、おもしろいことに、魔導士はかえってやる気を出している。単純な人……ということではなく、セデイト対象者によく見られる特質だ。欲望への執着と気まぐれ……。これは食欲の勝利だろう。セデイトする側であっても、食の探求者リンディにはうなずける理由である。

 行動を見るにつけ、ありがたくも、明白な協力者となったフィリスが他の二人を街の外へと導いてくれたことで、セデイターの懸案はあらかた消えた。これで、仕事もかなりやりやすくなる。残る問題は、連れ歩いているナユカの安全確保だけ。事を起こす前は離れているように、そして、事を起こしたら、近づかないように……。しつこいようでも、リンディは改めて同行者に噛んで含めておく……。

 当のナユカもそれに異議はなく、素直に聞き入れた。……自身の安全はもとより、セデイトの邪魔はしたくない。戦闘になるそうだから、その際に、余計な神経を使わせたくはない。

 仕掛けるのに必要な環境の準備が次第に整っていく中、リンディとナユカのふたりはほとんど言葉を交わさず、前方の三人パーティを追跡していく。当の魔導士ニーナは相変わらず騒々しいものの、先ほどと違ってネガティブなやかましさではなく、楽しげだ。今しがたの大食いなど忘れたかのように、採った食料でなにを作ろうか、などと浮かれている。


 監視しながら追跡を続けているうち、十分に街から離れ、街路樹も概ね途絶えことで、周辺状況も確認しやすくなった。……そろそろ始める頃合いか。街道は周囲が開けていて、実力行使、つまりは戦闘もしやすい。巻き添え被害も起こりにくいだろう……。沈み始めた夕日を受け、リンディは辺りを見回してから、前方を注視する。

 すると、視線の先のフィリスが、もはや街路樹とはいえず、たまたま生えているだけの木に寄りかかって立ち止まった。そこで片方の靴を脱ぐと、それをひっくり返している。他の二人はその先を歩いたまま。靴になにかが入ったから、先に行けとでも言ったのだろう……おそらく、セデイターとコンタクトを取るために……。なんだか、目端の利くヒーラーだ。こういうことに慣れているのだろうか……それとも、なにか別の目的があるのか……。

 その意図を勘ぐりながらも、急がず自然にフィリスに近づいていくと、彼女のほうから、こちらを見ずに声をかけてくる。

「……されるんですか」

 もちろん、何をかは、わかっている。

「うん。いい頃合いだからね」

 ブロンドの前髪をさっとかき上げるセデイター。

「少し先に草原があります」

 協力者は下を向いたまま。街へ来た時に通った道ゆえに、知っているのだろう。おそらく、最初からそこへパーティを誘導している……薬草の採取を理由として。……なかなかの策士だ。

「なるほど……」リンディの視界の奥には、それがあった。まさか、罠じゃないよな……。「それじゃ、そこで」

「強いですよ、彼女」

 戦闘になるのは、もうわかっている。ヒーラー自身では魔導士は止められない。

「そう?」

 セデイターも対象の魔導士が強いのは知っている。当然だ……なんといっても、Aランク対象者なのだから。

「ええ。彼女は……」

 視線を上げたフィリスが言いかけたところで、前方からニーナの怒声が降りかかる。

「ちょっと、遅いよ!」

 その声の主へ顔を向けたヒーラーは、結局、リンディと視線を合わせることはなく……。

「……では、よろしくお願いします」

 急いでパーティのもとへと走り去った。


 協力者が魔導士たちに合流するのを待って、追跡者たちが少し進むと、件の草原はもう目と鼻の先。先行のパーティは、フィリスから聞かされたとおり、夕闇の草原へとずんずん分け入っていく。

 ここにおいて、ついに機が熟したことを悟ったセデイターは、装備の確認をしつつ、精神集中を高めてゆく。そして、今一度、ナユカに離れているように言い含めてから、足を速めて一気に彼らに向かうと、魔導士から十分な距離を確保したまま、後方より大声で呼び止める。

「ねえ、ちょっと、そこのあなた」

 呼んだセデイト対象者のみならず、三人が一斉に振り返る。

「なに?」

 返事をしたのは、その魔導士……ニーナ。立ち止まっているブロンド美女に鋭い視線を送る。

「魔導士さんに用があるんだけど……いい?」

 声は大きくても、リンディの口調には落ち着きがある。対して、返ってくるのはイラついた大声。

「だからっ、なにっ?」

「あたし、こういう者」セデイターは、二歩ほど近づいて己が何者かを示す紋章を手にとってかざす。「わかる? セデイター」

「いいえ、全然わからない」

 今度は抑えつけるように呻いた対象者の声には、明白な怒気が滲んだ。エンブレムは、遠くてはっきりわからないかもしれない。しかし、言葉とは裏腹に、これからなにが起きるのかは、明らかにわかっている様子だ。やはり、他のセデイターが来たのも一度や二度ではないのだろう。それを何度も撃退してこその、Aランク対象者である。

 ともあれ、わかっているのがわかったのだから、それで十分だ。わかる、わからないで押し問答しても仕方がない。このまま先に進める。

「あたしはセデイターのリンディ=フレヴィンドール。これより、あなた『ニーナ=ローゼンヴェイル』をセデイト……」

 リンディが押し問答をショートカットしたところ、相手がそれ以降のこちらの発言をショートカットする。

「わからないって言ってるでしょ!」

 怒鳴るが早いか、赤い炎がいきなりこちらへ飛んできた……。


 こういう先制攻撃のパターンは、前回のごとく頻繁にあることにつき、当然、予測していたセデイターは、赤い炎の矢を軽快によける。ただ、ニーナの高速詠唱は予想外の速さで、魔法はかなりきわどいところをかすめていった……少し焦った。高速詠唱は高等な魔法技術で、誰もができるわけではない。その上、この速さはかなりのもので、いつ詠唱したのかわからないほどだった……。相手のレベルを考えれば、侮ってはいけない……。

 警戒を新たにしたリンディが、表面上は余裕でAランク対象者に向き直ると、高笑いするその姿が目に入る。

「あーーっはっは。後ろを見な、バーカ! 連れが丸焼けだよっ!」

 ま、まさか……そんな……。 離れていろって言ったじゃない! リンディは青ざめて後ろを振り向く。その視線の向こう、かなり離れたところには、ナユカが……。無事に立っていた。何の問題もない……無事だ。

 ほっとしたセデイターの耳に、後ろから詠唱とは呼べないほどの高速詠唱、つまるところは、気合のような声がわずかに届く。振り向く途中の視線の隅には、今度は細く青い炎の矢。後方を確認するため、体を横に向けていたリンディは、あわてて後ろへ横向きに倒れこむ。これでかわせる……ことはなく、高温の炎は跳ね上がった左脚を貫いていた。倒れこんだセデイターに、地面からの衝撃とともに激痛が走る。

「あうっ」

 反転して上体を起こし、耐魔法ローブで左脚を抱えるように覆って消火。でも、すぐに立ち上がらなければやられる……。痛みをこらえて咄嗟に立ち上がろうとするが、片足の踏ん張りが利かず、力を入れた途端、ふらつく。

 そこへ、再度、ニーナの高速詠唱。俊敏には動けない今、セデイターは反射的に魔導士に正対する。瞬間、飛来した細い氷の槍で右肩を貫かれていた……向こうはタイミングを計っていたようだ。肩に氷が突き刺さったまま、衝撃で斜め後ろに吹っ飛び、横に倒れる。

「ぐっ! う……」

 痛みでうめきながらも、倒れたまま魔導士のほうを見ると、ゆっくり歩いて近づいてくる。早急に体を起こすべく、右肩に刺さった氷の槍を引き抜こうと左手をかけたところ、そこに抵抗を感じ……上方へ向けた視界に入ったのは、いつの間にか自分の体を跨いで立っているニーナ。身体強化魔法で高速移動した彼女が、腕を伸ばして横倒しの氷槍に手をかけていた。刺さったままでそれを引き上げたことで、横向きのセデイターは仰向けになる。

「うあっ」

 空に正対して痛みに耐えるリンディを上方から見下ろし、突き刺さった槍をつかみ直すと、魔導士がそいつをぐりぐりと動かす……。激痛が右肩を襲う。

「あううっ! ぐ……」

 すでに鮮血の滲んだ氷へ、さらに血が染み出してゆく。すると、唐突に……。

「だー、冷たい!」

 叫んだニーナが、氷から手を離した。そして、唇が動く。


「くぅうっ!」

 継続する痛みに耐えつつも、セデイターはこの状況を打開すべく、なんとか詠唱しようとして口を開こうとする。しかし、右肩への連続的な痛みが集中を散らし、詠唱がまったくできない。魔法の詠唱は、ただ呪文を唱えればいいというものではなく、イメージが構築できてこそのものだ。その姿を見下ろしている小柄なはずの魔導士は、口の端を上げてにやりと笑っている……。

 突き刺さった氷の槍を動かしていたニーナは、それをいったん停止。そこで、詠唱を開始すべく、リンディは再度唇を開きかけた……途端、またも氷を動かし始める。

「ぐぁっ!」

 痛みで詠唱が中断されるのを見て、サディスティックな笑みを浮かべるニーナ……またも氷を停止させる。彼女が次にやることは予測できても、リンディには詠唱するより他はなく、また唇を動かそうとする。すると、やはりまた激痛が! サド魔導士は氷をぐりぐりと回す。

「あうっ! うっ……あ……」

 継続する痛みで、まったく詠唱できない。出るのはうめきと苦悶の声のみ……。


「あー、もう飽きた」倒れたままひとり身悶えるセデイターを跨ぎ、仁王立ちしていたニーナは、火魔法で負傷した彼女の脚を蹴る。「覚めなよ」

「うぐっ!」別の箇所への激痛で、リンディは我に返った。「……あ?」

 自分を見下ろして、魔導士がにやにや笑っている……。

「お目覚め?」

「あ!」

 セデイターは状況を理解した――攻撃者の魔法で幻影を見せられていたことを。刺さった氷で肩をえぐられていたのは、幻だった……。実際、氷はまだ刺さったままで痛みもある。しかし、ニーナがそれをぐりぐり動かしたのは最初だけ。戦闘用グローブを装備する前だった魔道士は、「冷たい」と叫んですぐやめ、幻影魔法を詠唱していた。

「無様だねぇ、勝手に悶えちゃって。あははははっ」

 高笑いしている天才魔導士……。彼女の作り出した幻に連動して痛がり、必死に詠唱しようとして勝手に中断していたセデイターは、恥辱で頭が真っ暗になる。この系統の魔法への耐性はかなり高いから、絶対にかからない自信があったのに……。

「くっ」

 体の痛みすら瑣末に思えるほど、そちらのダメージが大きい……。今、自分がすべきことを一時忘れるほどに……。

「それじゃ、詠唱どうぞ」

 やるべきことを思い出させたのは、侮蔑の表情を向けている当のニーナ。屈辱にまみれながらも、リンディは詠唱のために唇を動かすしかない……。しかし、それを見越した魔導士は、再び脚を蹴る。

「うっ!」

 詠唱は中断。そこで、またセデイターが唇を開くと、それに連動するかのように加虐者が打撃を加え、うめきとともにその詠唱は中断。まるで、さっきの幻影を現実で繰り返しているよう……。

「うふふふふ」

 繰り返される加虐行為を含み笑いで楽しむニーナは、苦痛に顔をゆがませるリンディを見下ろしている。……このままでは、同じことの繰り返し、同じ苦痛の繰り返しだ。とうとう被虐者は……沈黙を選んだ。

「……」

「あら、もう終わり? あきらめちゃった? それとも、やっぱりこっちのほうがいい?」

 反応が得られなくなったサディストは、蹴りを入れるのはやめて、いまだセデイターの肩に刺さったままの、氷の矢へと興味を向けてきた。

 しかし、沈黙には理由があった。次第に痛みの感覚が鈍麻しつつあるリンディは、黙ったまま気合をいれ、ニーナが右脚を元の場所──体の横へと戻そうとする動きを見計らって、その足首を左手でぐっとつかみ、思いっきり引き寄せる。魔法詠唱という手っ取り早い手段に頼りすぎの魔導士全般がついつい忘れてしまう、物理攻撃というやつだ。

「ぎゃっ!」

 片足立ちで無理な体勢だった魔導士はバランスを崩し、倒れまいと、左手でセデイターに突き刺さったままの氷の矢につかみかかる……が、それも虚しく、回転しながら斜め後方へ崩れ落ちてゆく……。それによって、捕まった手からは逃れたものの、つかんだ氷の矢は解け始めており、リンディの右肩から容易に抜ける。

「ぐっ……」

 氷は、抜けるときに今一度、彼女の右肩をえぐった……。だが、ここはチャンスだ。倒れて地上を転げた魔導士は、したたかに腰とわき腹を打ったらしく、手をそこへ当てて動けない。いわゆる息が止まったというやつだろう。瘴気の影響で痛みを感じにくくなっているセデイト対象者も、生理的反応には抗えない。

 上体を起こしたリンディは、セデイターらしく非殺傷魔法である麻痺魔法を高速詠唱。ところが、ぶり返す痛みで集中力が途切れがちなため、魔法発動に必要なイメージを作れず、発動失敗。視界に留まっている傍らの魔導士は、いまだうめいており、起き上がれない――その間隙に即効性の痛み止めを服用。少しでも痛みが抑えられれば、こちらにまだチャンスはある。


 二度目の高速詠唱ではイメージの作りやすい魔法に変え、左手に自分に刺さっていたのと同様の「氷の槍」を見事生成。セデイトは政府の依頼による「保健業務」につき、対象者を負傷させると、報酬の減額や傷害での告訴もありうるが、もはや、そんなことにこだわっていられない。単純に、やらなければやられる……。自身もすぐには立てないため、右に倒れているニーナの脚をめがけ、上半身を投げ出すようにして突き刺しにかかる。

 それに対し、魔導士も倒れたままで、高速詠唱。エレメント系防御魔法のエレメンタルシールドを召喚し、攻撃を防御。槍も盾も砕けて消滅する。その刹那、魔導士は今まで倒れていたのが嘘のようにすっと立ち上がり、セデイターから距離を取る。

「さあ、詠唱してごらんなさい。もうできるでしょ!」

 その声の方向へ向けて、リンディはなんとか立ち上がろうとするものの、右肩と左脚の負傷で力が入らず、バランスを崩して再度転倒。

「あふっ」怪我している部位を地面に打ちつけ、ぶり返した痛みに身悶える。「うう……」

「無様だねぇ。さっさと立ちなよ、ほら」ニーナが、小さく尖った氷のつぶてを倒れている体の手前へ撃ってくる。「当たっちゃうよ。うふふっ」

 再び加虐的な笑いを浮かべ、同じような氷の──いわばナイフを、セデイターの手前すれすれに撃ち続ける。立つこともできず、攻撃に追われるように、後方へじりじりとにじり下がっていくリンディ。そして、それを追うように氷の短剣を撃ち続けるニーナ。セデイターはじわじわと追い詰められていく……。


 ここで、ずっと黙って傍観していたパーティメンバーの剣士が、少し近づきながらも距離を取って、同行者である魔導士に声をかける。

「もう、そのくらいにしておけ」

 後方から届いた声に、くるっと振り向くニーナ。

「なに?」

 ぎらっと光った眼光が声の主を射る。背筋にぞっとするものを感じ、たじろぐ剣士の男。

「あ、いや……もういいんじゃないかな、それ以上は……」

「わたしに意見する気?」

 抑えられた声に、こもる怒気。いや、込められているは殺気だ。

「う……。い、いや……その……」

 しどろもどろの剣士は、ただうろたえるのみ。ニーナがこれ以上のことをしたら、自分たちも重大犯罪の共犯扱いにされてしまうという忠告を同行のフィリスから受け、蛮勇を奮って出張ってきたものの、どうやら止められなさそうだ。

「黙っていなさい。それとも、あんたも同じ目に遭いたい?」

 魔導士の唇の端が上がる。笑みなのか、詠唱の始まりなのか……。青ざめた剣士は無言で両手を挙げ、警戒を崩さずに正対したまま、じりじりと後ずさっていく。自分まで被害をこうむっては、元も子もない。怒れるサディストに大怪我させられるよりは、共犯のほうがまだまし……。それでも、そんな相手に対してさえ仲間として義理立てしているのか、剣士はゆっくりとニーナの後方を指差す。

「後ろ……」

 魔導士は、はっとして獲物の方を振り返る……。もめている間……というよりも、剣士が一方的に脅されている間に、上体を起こした体勢のセデイターは、すでに詠唱を完了していた。即刻、発動された麻痺魔法がニーナを直撃! 

 ……したはずが、まったくの無効果。魔導士は魔法が撃たれたのに気づいた一瞬で、防御魔法を展開していた。この高速詠唱のスピードは、尋常ではない。それも、上位魔法のハイブリッドシールドだ。

 このシールドは、エレメンタル系と麻痺魔法の含まれる暗黒系両対応の複合ガード魔法で、人間にとって効果のあるすべての攻撃魔法から防御するもの。当然、難易度は高く、高速詠唱であればなおさらである。しかも、高速詠唱の場合、魔法の威力は確実に低下するため、必要な魔法効果を得るには、使い手にかなりの魔力のポテンシャルが要求される。一般に、ニーナのような攻撃魔法の使い手は、防御魔法は不得手なことが多いのだが……そうではなかったらしい。

「無敵かよ……」

 つぶやいたリンディに、投げやりな気分が満ちてくる。こうなると、もう打つ手がない。自分の放った魔法の威力は、怪我で集中力が落ちている分、下がっているのかもしれない……。でも……たとえそうだとしても、こんなガードのされ方をすると……。あの異常な速さの詠唱には、絶対に対抗できない。半ばあきらめの気分で、頭は真っ白、気分は真っ暗。

 ……さすが、Aランクのターゲット……すごいよ。あたしひとりじゃ手も足も出ない。ひとりでやろうなんて、あたしってほんとバカ。こんなふうに、手も脚もやられちゃって……あはは……。せめて怪我してなかったらなぁ……とっとと逃げ出したのに……もう逃げられもしないよ……。

 眼前の魔導士は、魔法の詠唱を始める。セデイターの戦意喪失を見て取り、もはや威力の落ちる高速詠唱ではない。通常の詠唱による上位魔法で完全にしとめる気だ。

 ……最初の一撃。あれがきつかったなぁ。でも、ずるいよ、だまし討ちなんて。……まあ、あたしがユーカを信じてなかったのが悪いのかなぁ。ごめんね、ユーカ……。絶望的な気分になりながらも、ニーナの動きを注視しながらどこか突破口がないか、リンディは探す……まだ完全にあきらめたわけではない。そこへ突然、セデイターの前に現れたのは、どこからともなく疾走してきたナユカ。

「もう、やめてください!」

 両手を広げて、立ち上がれない自分をかばうように立ちはだかった……驚いて叫ぶリンディ。

「だ、だめ!」咄嗟に立ち上がろうとするが、力の入らない手足ではまともに立てず、横向きに転倒。「あうっ」

 痛みが走る。ここからすぐ体勢を立て直せば、ガードできるかも……そんな淡い期待を抱きつつ立ち上がろうとあがくセデイターを、離れた場所から見下ろした魔導士ニーナが、あごを上げて斜に構えながら言い放つ。

「あーらら。……でも、もう詠唱は完了しているのよね」

 そのまま躊躇なく、ふたりに向かって赤く燃え盛る大火球が撃ち込まれた……刹那、斜め後方から走ってきたフィリスが、勢い込んで倒れながらも渾身のガード魔法を発動。間一髪、強力な魔法のシールドが展開され、自らとリンディ、ナユカを包み込む。これにより、ニーナの魔法は雲散霧消し、三人は辛うじて難を逃れた。


 とどめの一撃を阻止され、わなわなと怒りに震える魔導士……。その燃え盛る憎悪の眼光は三人へ──というよりも、起き上がろうとしている「裏切り者」のヒーラーへ一直線に向かう。その視線を固定したまま、脱兎の勢いでその先へ駆け寄ったニーナは、立ち上がりかけた目標の頬を力任せに引っ叩く。打撃の衝撃で半回転しながら崩れ落ちた体に向け、今度は足を振り上げる。

「なんのつもり!」

 怒号とともに、横転している同行ヒーラーの背中を、魔導士は思いっきり蹴りつけた。

「っ!」

 背中を蹴られて声も上げられないまま、地面に突っ伏したフィリス。痛みの中、視野の片隅に攻撃者の姿を捉え、頭を抱えて体を丸める。

「この裏切り者!」眼下の腰を蹴る。「ふざけんな!」「バカ!」「死ね!」

 それらの罵声が発せられる度、背中や腰や脚に蹴りが入る。よりダメージを受けそうな頭や腹などに攻撃が入っていないのは、それでも仲間に配慮している──ということでは決してなく、怒りに任せて手近なところを闇雲に蹴っているから。加えて、小柄で非力な魔導士の蹴りは、最初の不意打ちを除き、さほどのダメージを与えるものでもないので、咄嗟にとった防御体勢が効を奏し、フィリスもどうにか耐えている。とはいえ、このままでは……。

 自分が与えるダメージの多寡など意に介する余地もなく、頭に血が上った狂乱の魔導士は、倒れたままのパーティメンバーを罵倒しつつ、ただひたすら蹴り続けるのみ──自らが魔法使いであることを忘れたかのように。そして、今や、セデイターのことは頭から消え去っている……。


 この隙に、負傷していない右ひざと左腕で体を支えて、なんとか体を起こそうとしているリンディは、目の前の非道を再び止めに行こうかという雰囲気のナユカに声をかける。

「手伝ってくれない?」

 声に振り向いた異世界人は、左目にスコープをかけたセデイターがなにをしようとしているか悟った──つい最近、それを見た。

「はい」

 返事をして近づき、抱きかかえるようにリンディを立たせる。久しぶりに立ち上がることができたセデイターは、支えとしてこの力持ちの肩を借りておく。……ここのところ、彼女の筋肉に世話になってばかりだ。

「あたしに任せて」

 蹴り続ける魔導士と倒れているヒーラーを、リンディはまっすぐ見つめる。ナユカにさっきのような危険なまねはもうさせられない……。瞳には毅然とした意思の光が戻ってきた。

 その体を支えている側にとっては、怪我の状態を考慮すれば、本人の言葉に従わず、そのまま逆方向へ向かいたいところではある。しかし、瞳に輝く生気を見れば、それを妨げようという気にはならない。それに、先ほどのように勝手な行動をとっても、心配させるばかりで自分にはなにもできないことを痛感してもいる……残念ながら……。


 自身を支えている隣の肩から左手を外し、ナユカから離れたセデイター、リンディは、痛む脚を引きずりながらも、静かにセデイト対象者ニーナの背後に近づいてゆく……。先手を打たれ続けたこれまでとは違い、今度はちゃんとした策がある。プランどおり進めば、うまくいくはず……。

 一方、対象の魔導士は、依然、自分のパーティメンバーに裏切りの代償を払わせることに夢中で、本来の「敵」の接近にまったく気づかない。蹴られ続けているフィリスは逃げようともせず、体を丸めて倒れたまま、一言も発することなく、ひたすら耐えている。負傷して逃げられないのか、あるいは、逃げずに耐え忍んでいるのか――ニーナを自分に引きつけておくために。

 たぶん、これが最後のチャンス。これを外さなければ明日もご飯が食べられる。いや、まずは今晩……。空腹を思い出す前に、タイミングを計ったセデイターは、いきなり斜め後ろから魔導士に跳びかかるように抱きつく……勢いで、両者は転倒――予定外。

「ぐぇ」

 双方のうめき声。とりわけ、不意を打たれた華奢なニーナは、それを限りに声が出せない。横転気味に倒れたとき、自分の腕で胸の谷間――は、皆無に近いが、それが災いしてクッション効果はなく、気管をしたたかに打っていた。

 一時的にせよ、息が詰まって相手が行動不能──具体的には詠唱不能なら、結果的にこちらのチャンス。リンディは、首を廻して自分の顔を彼女の顔に近づけ、その唇に自分の唇をすっと重ねた……はずが、歯と歯がクラッシュ――痛い。


 通常、セデイトは、魔法を使うのが常套である。しかし、高速詠唱を得意とするこの天才魔導士には、魔法の発動前に察知されてしまう危険性が高い。というのも、魔法を発動しようとすると、魔力の源である魔法元素が大気中を流れるのだが、優秀な魔導士はその動きに敏感で、特に、天才ニーナはその感度が尋常ではないと思われる。リンディの魔法がことごとく防御されていたのは、おそらく、そのためだろう。単に詠唱を視覚や聴覚で認識しているのではなく、流れる魔法元素を感じ取っているからこそ、確実に防ぐことができるのではないか……。

 ゆえに、通常の魔法に頼ることのできない今は、この方法しかない。すなわち、口から魔法元素と瘴気をまとめて吸い取る――これなら、その瞬間まで魔法の発動を察知されることはない。

 実は、この手法は、古来よりあるマジックドレインの原初形態であり、魔法元素とともに瘴気をも強力に吸い取ってしまうもの。弊害が大きいため、現在ではマジックドレインとして使われることはなく、逆に、瘴気を吸い込む目的で、セデイターの非常手段としてのみ伝わる手法である。もちろん、使用は推奨されておらず、そのやり口からも、あまりやりたくはない。


 作戦では、気づかれる前にさっと唇を奪う──というか、吸い付くつもりだったのだが、そううまくはいかないものだ。なにはともあれ、歯は無視し、重ねられた唇──というよりも接続した口を通して、リンディはニーナの体内から瘴気と魔法元素を一気に吸引する。いわば、人工呼吸の逆である。

 すると、吸われた体からみるみる力が抜けていき、圧し掛かかっている別の体の重みに抵抗することもできなくなった。身動きすらかなわず……その意志さえも次第になくなってゆく……そして、ついに……。

 重量に――といっても、それほど重いわけではないが――つぶされた小柄な魔導士の瘴気を、その体勢のまま完全に吸い尽くしたセデイターは、用が済んだ唇と歯を相手から離して頭を上げた……ものの、腕と脚の負傷のせいで、乗り上げた体から簡単に立ち退くことができない。どうにかしようと、もそもそ動いていると、状況に気づいたナユカが急行してきた。

「あ、あの……来ちゃいましたけど……」

 終わるまで近づかないようにしていた……。なんだか、やっていることが妖しくて……。

「あたしを……どかせてくれる? 邪魔だから」

 つぶしたままじゃまずい……それにしても……。自らが発した、通常ありえないばかばかしい言い回しに、リンディは軽く失笑。

「ああ、はい」なんか笑ってる……ということは、やはり終わったのだろう。「でも、どうやって……」

 負傷者をどう動かすかは悩むところだが、ここは本人のほうがわかっている。

「左に……ひっくり返して」

「ひっくり返す……えーと……」怪我人の負傷箇所に留意して、どう動かすべきか……。「やってみます」

 魔法だったら、空中を浮遊させたりして、簡単にできるのかもしれないという思いが頭をよぎったものの、この場の救助者は筋肉を頼みにするしかない。それに、彼女の想像とは異なり、実のところ、魔法であっても、この状況で使うのは身体強化魔法だろうから、結局は筋肉頼みである。魔法もそうそう都合よくはない。

 幸いにして、今使われる筋肉は魔法なしでも信頼に足るものだったため、少々苦労はしながらも、負傷者に新たなるダメージを与えることなく、無事、魔導士の背中側に仰向けにすることができた。こうして、またも、リンディはこの筋肉の世話になった。

「ありがと」

「それで、この人はどうしましょう?」

 指した先には、重しから解放されても、横向きに倒れたまま動かないニーナ……。意識はあっても、セデイト直後で意思はない。

「あー、ちょっと待って……」怪我をしている側の腕と脚をそれぞれ庇いながら、リンディはじわじわと横にずれた。「そこに座らせて」

 指示を受けた救助者は、小柄な魔導士を仰向けにしてから、上体を起こす。脱力しているため、また後ろに倒れてしまうのではないかと心配したものの、意外にそうでもなく、足を伸ばして座った上体をキープ。……どうやら、こちらの意向に基づいて、必要最小限の力は入るようだ。セデイト後の対象者がどういう状態なのか、ナユカは実感する。


 ともあれ、今さっきまであれほどの蛮行を働いていた、セデイト対象の天才魔導士は、今や口を半開きの放心状態……もはや詠唱のための声を出すこともない。ついに完全に無力化され、ようやく誰に対しての脅威でもなくなった。



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