第26話

 そこから先の行軍は、思いの外ゆっくりだった。相反するタイムリミットが、私たちを締めつけていたのだ。

 まず、多脚円盤と戦うには、輝流に体力を温存しておいてもらわなければならない。さっさと敵を倒していかなければ。

 一方、あまりに早く移動しては、輝流の方が体力的にダウンしてしまう。


 いったい、どちらを優先すべきだろうか。


 銃声はあちらこちらから、絶え間なく続いている。最初は私たちは早歩きだったが、その騒がしさに背を押され、小走りになった。森林方面に、ひいては多脚円盤の潜んでいるエリアに踏み込んでいく私たち。


 今助けるからね、美穂、克樹。

 もう少しだけ、私たちに力を貸して、輝流。


 そう願わずにはいられない。同時に、私の心は震えていた。恐怖心はもちろんある。しかし、一種の興奮もまた覚えていたのだ。

 私がいなくとも、作戦の成否に違いはないかもしれない。でも、人を守る、人のためにこの身を尽くせるということに違いはない。


 誰の足も引っ張るわけにはいかない。だが、私は自然と、そんなネガティヴな感情からは離脱していた。皆で人質を救出し、輝流も一人の人間として迎え入れられる体勢を整える。

 お母さん、里奈、ごめんなさい。でも私は、今この世にいる皆と一緒の時間を、もっと持ちたいのです。私は絶対に死にはしません。だから、戦わせてください。


 そう念じた時だった。


「や、やべえぞおい!」

「来たな」


 健太と輝流が同時に叫ぶ。健太の腕の中のパソコンがアラームを鳴らし、輝流からは臨戦態勢に入った気配がする。

 アスファルトが衝撃波と共に破断され、立っていられなくなった。


「皆、頭を下げろ! 匍匐前進だ!」


 ゴゥン、という、聞き慣れながらも馴染めない鳴き声と共に、多脚円盤はその全身を現した。私たちは、そいつの足元にいる。


「総員、身を隠せ! 鞭に打たれるぞ!」


 東間准尉が警戒を促す。同時に、私たちは各々、ブロック塀や民家、電信柱などの陰に入った。

 攻撃態勢が取られたのは、まさにその直後。しかし、発砲はない。円盤の下部に、美穂と克樹をくるんだ筋肉質の袋があるからだ。人質作戦は、変更していないらしい。

 人間大の怪物は、一時的に後退した。きっと、巻き添えを喰うのを避けるために。


「こ、こんな近くに出てくるなんて聞いてねえぞ!」

「シッ! 黙ってて、健太!」


 全高百メートルはあろうかという、多脚円盤。確かに、見上げても見上げきれない高さ、巨大さに、私もまた圧倒されていた。が、私は恐怖感を振り払って、崩れたブロック塀を両腕で担ぎ上げた。


「でやあっ!」


 すると、ブロック塀はあり得ない軌道を描いた。怪物の主脚の関節部に当たるかと思われた石片は、まるで竜巻に巻き上げられたかのように、本体を真下から直撃した。ガクン、とよろめく円盤。

 今転倒させることができれば、すぐに美穂と克樹を救出できる。しかし、円盤も進化を果たしていた。向こう側に倒れかけた円盤の鞭が一本、頑強な脚部へと一瞬で変形し、ふらついた本体を支えてみせたのだ。


 そしてあろうことか、円盤下部から美穂と克樹を引っ張り出し、振り回し始めた。

 二人共気絶しているようだ。いや、生きていてもらわなければ。そう信じなければ。

 いずれにせよ、これでは遠距離攻撃はできない。どうしたらいい?


 私がぐっと息を飲んだ、その直後だった。


「馬鹿!!」


 という怒号と共に、私は弾き飛ばされた。見れば、仰向けになった私の足元に健太が転がっている。作戦を考えるのに必死で、私が踏みつけられるところだったようだ。

 私はうつ伏せになった健太を、腕を絡ませ、家屋の裏に引っ張り込んだ。


「健太、大丈夫!?」

「ああ、だいじょう……ぐっ!」

 

 見れば、健太のシャツの背中は広く切り裂かれていた。深くはないが、長い切り傷ができている。私は、背筋がざわざわするような感覚に囚われた。

 多脚円盤はといえば、私たちにこれ以上危害をつもりはないらしく、前進を開始した。ズン、ズン、ズンと、三本(新しくできたものも含めると四本)の主脚で地面を踏み抜き、鞭を先行させて、牽制しながら歩を進めていく。


 これ以上前進させたら、攻撃態勢のまま待機している特務隊が危険に晒される。

 こうなったら……!


「西野准尉、健太に応急処置をお願いします!」

「あ、ああ、だが君はどうする?」


 私は西野准尉の言葉を無視して、


「輝流くん、バックアップして!」

「分かった!」


 とだけ言葉を交わし、一旦半壊した家屋に引っ込んだ。そこにあったのは、よく料理に使われる包丁だ。私は迷わず包丁を手に取り、怪物の足元へと引き帰してきた。


「沙羅ちゃん、一体なにをするつもりだ?」

「円盤は、下手に我々を攻撃することはありません! 体力の温存を考えるはずです。さっきの輝流くんの仮説が正しければ。いえ、善意から彼の言葉を信じられれば」


 西野准尉に対しては、全く答えになっていないが、私の狙いは分かるはずだ。

 多脚円盤を横倒しにして、筋組織でできた袋に閉じ込められた美穂と克樹を救出。その後、円盤が動けなくなったところに集中砲火。

 そのために、輝流の援護の元で、私が多脚部分を切り裂き、円盤を転倒させる。


 考えてみれば、馬鹿馬鹿しいほど単純かつ無謀な戦闘だ。いや、これが戦闘と呼べるのかどうかすら怪しい。私が木登りの要領で、円盤の脚部に包丁を突き刺していくだけのだから。

 だが、やるしかない。遠距離火器を封じられた我々にできることは白兵戦であり、その力を与えられているのは私だけだ。


 私は両手で包丁の柄を握り、二十メートル近い助走から一気にジャンプ。


「はあああああああ!!」


 バレーボール部に勧誘されたこともある私の跳躍だ。対怪物補正も相まって、私は地上十メートルほどの高さにまで躍り出た。


「ふっ!」


 息をつきながら、筋肉質な脚部の筋を断ち切るように、深々と包丁を突き刺す。やはり補正がかかっているのか、包丁は刃こぼれ一つ起こさない。


「でやあっ!」


 私が思いっきり包丁を一文字に引き抜くと、そこから透明な液体が噴出した。これが多脚円盤の燃料なのか血液なのかは判然としないが、今度こそ怪物はぐらり、と体勢を崩した。

 数本の鞭が私の周囲に集まってきたが、青い炎によって接近を拒まれる。輝流の援護だ。


 その間に、私はひたすら、脚部のその部分をえぐり続けた。深く。もっと深く。千切り飛ばせるくらいに。すると円盤は、ついにバランスを崩した。私を包囲しようとしていた鞭の一本が硬質化し、五本目の脚部になろうとする。しかし、それは呆気なく失敗した。

 別な特務隊が仕掛けた地雷原の上に、足の裏を付いてしまったのだ。


 五本中、主力となる脚部は三本。そのうち致命傷を負ったのが一本に、急ごしらえの脚部が一本、地雷で吹き飛ばされた。そうして、意外なほど呆気なく、円盤は横倒しになったのだった。

 私はと言えば、地上十メートルの高さから宙に放り出されたわけだが、そこは輝流が先回りをして、私を抱き留めてくれた。お姫様抱っこだ。

 すっかり忘れていたが、地球の重力下であれば、輝流は地球人よりも高いパフォーマンスができる。それだけ引力の強い母星からやって来た、ということだろう。


 考えるのはここまで。早く美穂と克樹を救出しなければ。

 私は倒れ込んだ円盤本体に、ゆっくりと近づいた。手には先ほどの包丁を握っている。すると、多脚の付け根部分に、例の袋があった。この中に、二人は閉じ込められている。まず近い方から、慎重に包丁を差し込んだ。そのまますっと包丁の先端部を下げる。

 すると、まるで羊水のような透明な液体が溢れ出し、気を失っている美穂が現れた。

 怪物に誘拐されてから数日。しかし私は、美穂と十数年ぶりに再会したような気分になった。


「美穂! 起きて、美穂! 目を開けてよ!」


 パチンパチンと頬を叩いていると、美穂はゆっくりと目を開け、数回咳き込んだ。透明な液体が、口元から排出される。


「だ、大丈夫、美穂?」


 すると美穂は震えながら、


「あ、あなた、さ、沙羅……?」


 と言うが早いか、私に抱き着いてきた。


「沙羅! ああ、沙羅! あたし、生きてるわよね!? 死んでないわよね!?」

「ええ、それだけ話せれば問題なさそうね」


 私は美穂を健太に任せ、もう一つの袋、すなわち克樹が閉じ込められてる筋組織に向かった。


「げほっ、あ、沙羅さん……」

「もう大丈夫だよ、克樹。美穂も救出したところ。早く安全地帯まで後退しましょう」


 そう。人質の救出成功と、多脚円盤の殲滅完了は意味が違う。特務隊として派遣されていた各部隊は、この時刻を以て攻撃部隊となり、倒れ込んだ円盤に、情け容赦のない砲弾の雨を降らせることとなる。

 私たち四人組は西野、東間両准尉からその場を離れるよう指示される。


「こちら西野! 人質二名を救出、各部隊は全火力を以て、多脚円盤を撃滅せよ!」


 直後、私の耳は、爆音によって一時的に麻痺させられた。

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