第13話

 それからしばらく、私たちは黙々と歩き続けた。怪物も襲ってくる気配はない。夜行性だというのは本当だったようだ。

 問題は、先ほどの円盤だった。奴は全く唐突に、別動隊の足元から現れた。あれでは、最大効果域で爆発物を使用することが困難だ。


 何故私がこんなことに詳しいのかといえば、単純に父が自衛官であるからだ。母も、自衛官として任務にあたる父を誇りに思っていたようだし、武勇伝は散々聞かされた。

 しかし、武勇伝などというものは、母が随分尾ひれをつけたものだったのでは、と今の私は思っている。とはいうものの、父自身は寡黙な人間だし、母はもうこの世にいない。父が派遣先で何を見、何を聞いてきたのか、知る術はもう残されていない。

 もちろん、『父に頭を下げて教えを乞う』ということは論外。


「鳥の声がしないな」


 そう呟いたのは、私のすぐ後ろを歩く西野准尉だった。


「それはそうだ」


 即答したのは、やはり東間准尉だ。


「これだけ異様な生物が森を荒らしてるんだ。鳥でも熊でも逃げだすだろう」

「それにしたって静かすぎるように思うんだが……」

「任務に集中しろ。子供たちに不要な心配を与えるな」


 ん? 東間准尉は、今『子供たち』という言葉を使ったな。『民間人』ではなく。

 他人はもちろん、自分にも厳しそうな東間准尉。父と似ているような気はしていたが、私たちへの気配りに関しては、父より一枚上手のようだ。


 同時に、『子供たち』扱いされたことに対する悔しさも、私の胸中には芽生えていた。この脱出作戦において、少なくとも私と輝流は戦闘に参加したのだ。守ってもらえるのは有難い限りだが、『何の役にも立たない』という意味を『子供たち』にこめられたような気がして、あまりいい思いはしなかった。


 すると、先遣を命じられた隊員二人が戻ってきた。父の元へ駆け寄り、報告を始める。


「森を出るまで、あと百二十メートルほどです。敵影はありません」

「了解」


 父はそれだけ答えると、一度停止していた部隊に向かい、ゴーサインを出した。


「な、なに? 出られるの!?」


 疲労の濃い顔をしていた美穂の顔が、ぱっと輝く。健太は静かにガッツポーズを作り、克樹はふう、と大きなため息をついた。輝流はといえば、他の隊員同様、周囲の警戒を怠っていない。私自身はどんな顔をしていたか分からないけれど、安堵していたのは確かだと思う。


         ※


 残りの百二十メートルを抜けると、陸上自衛隊の幌付き大型輸送車が数台、停車していた。隣に、それより小ぶりな、しかし通信機器を満載した輸送車の姿も見える。

 父は車両隊の隊長と思しき人物と敬礼を交わし、短く『他の班の状況は?』と尋ねた。


「A、B、C各班、未だ到着しておりませんが、A、C班とは連絡を密にしております」

「ということは」

「……はい。神山二佐、B班は全滅です」


 先ほど多脚円盤に攻撃を仕掛けたのは、B班というグループだったのか。

 私は思わず、唇を噛みしめた。この班、コマンド班は軽傷者数名で危機を脱したが、残る三班は苦戦を強いられている。


「私たちの、せいだ」


 気づけば、そんな言葉が喉で鳴っていた。

 コマンド班が無事脱出できたのは、民間人保護という目的の基、最短ルートを辿ったからだ。逆に言えば、他の三班はコマンド班脱出のための陽動、いや、囮になったともいえる。


 誰を責めるでもない。だが、私たち――東間准尉の言う『子供たち』がいなければ、こんなことにはならなかったかもしれない。私はその場にへたり込み、体育座りの姿勢でうずくまった。


「何を考えているんだい、沙羅さん」


 私は声の主、輝流を見上げることなく、『なんでもない』と呟いた。


「沙羅さん、君が戦ってくれなかったら、僕たちも危ないところだったんだ。僕たちも母星で同類と、あるいは異生物と、延々戦ってきた種族だからね。考える時間は、これからいくらでもある。安全地帯に移って、気持ちが落ち着いたら考えればいい」


 その言葉に、私は自分が引っ叩かれたような感覚を覚えた。アッパーを繰り出すような勢いで輝流の襟元を掴み、立ち上がる。そして互いの鼻先が触れ合うくらいの距離で、怒声を浴びせようとして、やめた。


「お、おいおい沙羅、何やってんだよ?」


 健太が駆け寄ってきて、私と輝流を引き離そうとする。私は素直にそれに従ったが、輝流から目を離すことはしなかった。

 自分に呼びかける。落ち着け、と。今ここで喚きだしたところで、なんにもならない。しかし、輝流に言いたいことはある。私は軽く息を吸って、語りだした。


「ふざけないでよ、輝流くん。考える時間はある、って、あんたは言ったよね? でも、即死した人はどうなるの? 重傷者は? 戦闘はともかく、自分の人生を振り返る間もないんじゃない? そんな状況で、よく『時間はある』なんて悠長なことが言えたものね。地球人を馬鹿にしないで」


 静かに語った方が、どうやら与える恐怖感は増したようだ。輝流は目を見開き、じっと私を凝視した。私も負けじと、その目を見返す。否、睨み返す。

 

 この殺伐としたにらめっこは、呆気なく終了した。仲裁役が現れたのだ。


「あの~、輝流くん、ちょっと、いいか、な?」


 おずおずと近寄ってきたのは克樹だ。

 すると、輝流は目をパチクリさせて、『ああ、なんだい?』と、いつもの余裕ある空気をまとって振り返った。

 私も克樹の方を見遣る。すると、克樹が何かを大事そうに両手で掲げているところだった。


「さっきの円盤の怪物が現れた時、土に混じってこんなものが飛んできたんだ」


 それは、銀色に輝く筋肉組織のようなものだった。微かに脈打っているところが、その不気味さを増幅させている。

 しかし輝流は、じっとそれに見入っていた。


「これは……これは大変だ! 克樹くん、一緒に来てくれ! 神山二佐!」


 そう言いながら、輝流は克樹の腕を強引に引っ張り、父の方へと駆けて行った。私もさり気なく、そちらへ向かう。


「何事だ、輝流くん?」

「これは、さっきの多脚円盤の肉片です。これを解析できれば、敵の弱点を突けるかもしれません。早急に検査をお願いします」

「地球の文明レベルで解析できるのか?」

「十分です。この兵器は、数万年前に我々の母星で造られたものですから」

「了解した。回収班!」


 すると、鍔のないヘルメットの隊員が父の前に現れた。さっと敬礼する。


「これを直ちに、理化学研究所に送れ。なんでもいいから、気づいたことはすぐさま私に報告するようにと」

「了解!」


 命令を受けた隊員は、五百ミリのペットボトルのような容器に肉片を入れ、それをさらに慎重に、真っ黒い箱に入れた。

 彼の行く先を見ていると、オートバイが数台、駐車している。そうか。オートバイなら渋滞も無視して、東京の理化学研究所や防衛省にも行けるわけか。


 オートバイを視線だけで見送った父に向かい、東間准尉が声をかけた。


「神山二佐、子供たちだけでも先に、最寄の駐屯地に退避させるべきです」

「そうだな。輸送班!」


 今度は輸送車の点検をしていた隊員が父の前に立った。


「民間人を最寄の駐屯地へ送る。西野准尉、同行しろ。それから、市ヶ谷との連携を密にな」

「了解!」


 この場合、『市ヶ谷』というのは、東京都新宿区の市ヶ谷、すなわち防衛省のことを指す。


「さあ、四人はこのトラックに乗ってくれ!」


 西野准尉が大きく腕を振り回す。この四人とは、言うまでもなく私たち仲良し四人組のことだ。

 きっと、輝流はまだ戦力としてこの場に取り残されるのだろう。今までなら心配するところだが、先ほどの『時間』についての論戦があったので、素直に気遣うことはできない。私は輸送車後部のタラップを上がり、腰を下ろした。

 隣に健太、美穂、克樹が乗ってくる。座席は車両の側面に、互いに向かい合わせになるように配されているので、私たちの正面には、コマンド班の負傷者が乗り込んできた。最後に西野准尉が乗り込み、タラップは収容され、出入口になっていた後部も幌が下ろされる。


 私は昨夜から今までのことを振り返っていた。輝流にはまだ早いと言われたが、考えずにはいられない。健太も何かを考えているようだが、普段からは想像できない深刻な表情だ。美穂は『やっとシャワーを浴びられる!』なんてはしゃいでいるし、克樹はぶつぶつと独り言ちている。


 すると思い切ったように、健太がこちらに顔を向けた。


「沙羅、あのさ」

「何?」


 独りで脳内がパンクしかけていた私は、話し相手ができたことに感謝した。今、私が抱いている不安や恐怖心を、僅かなりとも共有できる相手が欲しかったのだ。

 しかし、健太が私に問うてきたのは、思いがけないことだった。

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