第16話~裸の心~
唇がほんの少し触れた頬を指先で触れる。外国人の彼ならなんてことのないただの挨拶なのだろうが、生まれも育ちも日本で海外など学生時代の卒業旅行で行ったハワイ程度の叶子にはとても刺激的なものであった。
ボーッとした面持ちで用意された突き当りの部屋へ入ると、そこは既に明かりが点され暖房も入れられていた。
先ほど迄居た家とは違って、ゲストハウスはアンティークな作りになっている様だった。火は点されていないが小さな暖炉に天蓋のついたかわいらしいベッド。部屋の隅には蓄音機と叶子の腰ほどある大きなオルゴールが設置されていて、それらがなんともいえない存在感を醸し出している。ドレッサーには化粧水はもとより、使いきりタイプのコスメが一通り取り揃っていて、ここに女性が良く泊まるんだと言う事が鈍い彼女でもすぐにわかった。
少し胸が詰まる思いを感じつつも、ドレッサーのスツールに腰掛ける。肘をついて顔を両手で塞ぎ、大きな溜息を一つ吐いた。
『時間をかければかけるほどいい返事が貰えるなら、何日、何年だって待つからね』
彼の言葉が頭の中でリフレインする。思い返す度に大きなため息がこぼれ落ちた。
「はぁーっ……、どうしよう。まだたったの三回しか会ってないのに……。話が急展開過ぎて頭がついて行かないよ」
自分の顔が映し出された鏡を見つめ、指先で頬にそっと触れた。
(こんな私の一体何処がいいんだろうか)
特別美人でも可愛いわけでもない。一般的な顔立ちで、人混みに紛れるとすぐに同化してしまって簡単には見つけられなくなるほどだ。一流の会社に勤めて居るわけでもなく、お金持ちのお嬢さんでもない。性格だって内向的で友達もそんなに多い方ではなく、どう考えても彼に見合う女性だとは思えない。彼はとても素敵な人だ。だからこそ隣を歩く勇気が出ない。
どう考えても比べられるのが目に見えていた。
「はぁ……」
(時間をかければかけるほど、悪い方向へいってしまう)
そう決めるとスクッと立ち上がり、おもむろにバッグの中の携帯電話を探した。
「あれ? 無い?」
バッグを逆さにして中身を全部出すが、何度探しても叶子の携帯電話は見当たらない。
「もしかして……、リビングに置いてきちゃったかな」
流石に携帯電話が無いのは色々と困る。叶子はそう思うと、再び彼の家へと向かうことにした。
◇◆◇
リビングの扉をノックするが返事は無い。そーっと扉に手を掛けて中を覗き込むと、部屋の中はもう既に真っ暗になっていた。
(もう寝たのかな? 開いてるし入っていいよね?)
「お邪魔しまーす……」
彼と鉢合わせてしまうと言いたい事もいいにくくなる。見つかる前にさっさと帰ろうと部屋の中に滑り込む様にして入ると、壁伝いに部屋の電気のスイッチを探していた。
「――、……っ、」
カチャッと扉が開いた音が背後で聞こえた。彼が部屋に入ってきたと思って慌てた彼女は、怪しまれる前に何故自分がここにいるかを説明しようとその音がした方へと振り返った。
「あ、ご、ごめんなさい。携帯電話を忘れち……、――」
振り返った彼女の目の前に現れたのは、もわもわと沢山の湯気と共に頭をタオルで拭きながら、彼女がいる事を全く気付かずに立っている彼が居た。
「っき、」
「……?」
「きゃぁあっー!!」
誰も居ないはずの部屋から叫び声が聞こえ、ジャックは驚きのあまり肩を竦めた。俯いた顔を上げ暗闇の中の声の主を探すが、叶子は大急ぎで部屋を飛び出していってしまった。
「……」
その場に残されたジャックは、頭を拭いていた手もピタリと止まり硬直している。数秒経ってから事の顛末を理解したのか、
「叫びたいのは僕の方だよ……」
ポツリとそう呟くと頭を抱え込むようにして大きな溜息を吐いた。
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