第13話~長い夜の始まり~
まだお互いの事を良く知らないのに、簡単に家に行くって言ってしまった。
(──本当にそれで良かったのかな?)
でも、彼が悪い人には全く見えない。
(うん、大丈夫)
心の中でそう呟き、自分を――、そして彼を信じる事にした。
『あんたはバカ正直だから、すぐ騙されるのよ!』
頭の中に眉毛をつり上げた藍子の顔が浮かび上がり、以前言われた事のある台詞を吐いている。
休日のある日、家でのんびり過ごしているとチャイムが鳴った。丁度荷物が届く予定だったと言うのもあり、てっきり宅配便の業者だと思い込んだ叶子は、何のためらいも無く玄関の扉を開けてしまった。目の前に立っていたのは小さな子供とお年寄りで、新聞の勧誘とかではなさそうだ。難を逃れる事が出来たと思ったのだが、実際はそうではなかった。
今思うとこのご時世、チャイムが鳴ったからと言って何の確認もせず玄関の戸を開けてしまった自分が末恐ろしい。何より相手の方が急に扉が開いてびっくりした様子だった。そりゃそうだろう。きっと今までは居留守を使われるかインターホンで無下に断られているかの二択だっただろうから。もしかしたらそれこそ扉が開いた時点で小さくガッツポーズまで作って居たかも知れないのだ。
その証拠にその子供と老人は驚いた顔をしてはいたが、口元がわずかに上がっていたのを叶子は見落とさなかった。
しかし、扉を閉められては終りだと思ったのか、二人とも急に泣きそうな顔に変わり、そればかりか老人に至ってはケホケホと急に咳き込み始めた。
『これが最後なんです、これが売れないと困るんです』
とか、なんとか“落とし文句”的なセリフをつらつらと畳み掛けるように言い放ち、その時冷静な判断が出来なかった叶子は二人の話を鵜呑みにしてしまった。
これも人助けだと思って買ってしまった“願いが叶う”と言われる小さな硝子細工。給料日前にしては結構な値段の買い物だったのを良く覚えている。
その時の話を藍子にすると呆れた顔で冒頭のセリフを吐かれたのだ。
そんな事があったのを急に思い出した彼女は、なんだか自分の判断が果たして正しいのかどうか、少し不安になって来ていた。
「着いたよ」
「――あ、はい!」
そうこうしてる間にどうやら彼の家に到着したようだ。流石にここまで来ておいて「気が変わりました」なんて、いい大人が言えるわけがないと、叶子は腹を括る事にした。
視界に入りきらない程の大きな門の前で車が止まり、思わずフロントガラス越しに上を見上げる。
「こ、ここですか?」
「うん」
ゆっくりと門が開くと、“家”と呼ぶには申し訳ないレベルの大きなお屋敷が目の前に飛び込んできた。
屋敷の前にはお金持ちの象徴とも言える大きな噴水が、誰も眺める者が居ない中でもカラフルなイルミネーションと共にザバザバと噴出している。
「す、すごっ……」
「ちょっと嫌味っぽいよね? ここまで来ると」
彼女が思わず零してしまった言葉も彼は聞き逃さず、何故か自虐っぽい事まで言って笑った。
目を皿のようにして辺りを見渡していると、彼が運転席側のパワーウィンドウを開けた。
「お帰りなさい」
「ただいま。遅くなって悪いね」
警備の人に人差し指と中指を立て敬礼の様な仕草をすると、警備の人も同じ仕草をして応えた。
(け、警備の人も居るんだ。そ、そりゃそうよね? こんな大きなお屋敷だもの。……に、しても)
――彼は一体何者?
お抱え運転手も居るし、高級ホテルは顔パス。それなりにお金持ちなんだろうとは薄々感じてはいたが、自宅に連れて来られて見て正直ここまでスケールが大きいとは思っても見なかった。
(きっとプールなんかもあるんだろうな。毛の長い大きなワンコとかも絶対居るはず)
そんな貧困な発想ばかりしている間に、車は既に大きな屋根のある玄関前へと止まっていた。すぐさま車から降りた彼は助手席のドアを開け、
「どうぞ」
と、満面の笑みで迎えてくれる。
「あ、ありがとう、ございます」
車から降りてみると、見るもの全てが映画の中の様な光景であった。これが個人の家なのかと言われると、まことしやかに信じがたいものがあった。
ホワーンとなっている頭で、彼に導かれるように後ろをついて行った。彼が大きな扉を開けると明かりが無くても平気じゃないかと思える程、煌びやかな装飾品達が出迎えた。そして出迎えたのはそれだけではなく、毛の長いワンコ――、でも無かった。
「Welcome back! Jack!」
どこからともなく聞こえた声と共に、ブロンドの髪をした綺麗な女性が駆け寄ってくる。その女性はそのままの勢いで彼に抱きつき、彼の頬にキスをした。外国人が良くやる挨拶の表現にしてはやけに親密そうに見えた。
「カレン? こんな時間にどうしたの?」
「どうしても貴方に話しておきたい事があっ……? ――」
言い掛けてその女性は彼にしがみついたまま、叶子を見つけた。
「あら? この子猫ちゃんはどなた?」
彼はその女性を自分から引き剥がすと、襟元を正しながら叶子に紹介した。
「こちらはカレン。僕の秘書をやってくれてるんだ」
「……よろしく、子猫ちゃん」
引き離されたのが少し不満だといった表情を浮かべると、腕を組み顔を横に少し傾けながら、口元だけをくっと上げた。
「は、初めまして」
(“子猫ちゃん”って……、これってバカにされてる?)
「で、こちらが……」
叶子に向けられた彼の手が止まる。一瞬間があいた後、その手が彼の顎へと移動した。
「名前……そういや聞いてなかったね?」
「あ」
今の今まで名乗っていなかった事にお互い今やっと気付いた。叶子は名刺で彼の名前はわかっていたが、叶子の方は聞かれないからとちゃんと名乗っていなかったかもしれない。正確には電話を掛けた時に名乗っているはずだが、ちゃんと伝わってなかったのだろう。
「あ! すみません、野嶋 叶子といいます」
そんな二人のやりとりを見て、カレンはフンッと鼻で笑った。
「ねぇジャック。貴方名前も知らない人を家に呼んだの? 相変わらず無用心ね」
そう言って両手を広げて肩を竦めた。
カレンの言った「ジャック」という名前に、叶子は不思議そうに首を傾げた。
「ジャック?」
「ああ、そうか。名刺には日本語名しか書いてなかったね。えっと、“小田桐”は母方の姓で、“
苦笑いをしながらジャックがすっと手を差し出した。差し出された手につられて彼女も手を伸ばす。
「改めまして、僕はジャックって言います。宜しく。……カナ」
しっとりと耳に残る様な声で囁きながらニッコリと微笑んだ紳士は彼女の手を取ると、少し屈んで手の甲に軽く口付けた。
その仕草に、顔から火が出るとはこの事かと思い知る。“天はニ物を与えず”という言葉があるが、ジャックに至ってはニ物どころか何物あるのかと思う位、全てがパーフェクトだった。
つい先程までちょっと疑っていたのが申し訳ない。藍子の言う通り、自分は人を見る目が無いのだと痛感させられた。
「あ、あ、あ、あ、あの、よ、よよよよ、よろしく、お願いします!」
真っ赤になってどもっている叶子と、下唇を少し噛みはにかんでいるジャックの様子を見ていたカレンは、天井を見上げながら目をクルクルと回していた。
「呆れた。今頃自己紹介してるなんて」
カレンとしては皮肉の意味を込めて言ったのだが、二人はさもその通りだと言わんばかりに目を合わせて笑い出した。
そんな二人を見たカレンは、やってられないとばかりに肩をすくめながら玄関へと足を向けた。
「あはは、……っと。カレン? 話があったんじゃ?」
「もう馬鹿らしくて話す気が無くなったわ」
後ろも振り返らず、手をひらひらとさせながらカレンは扉に手を掛けた。
「おやすみ」
バタンと扉が閉まると二人で顔を見合わせ、また大笑いした。
「あははっ……っと、ごめん。行こうか」
「はっ、はい」
長い廊下を並んで歩き出す。コツコツと二人の靴の音が鳴り響き、天井の高い廊下はその靴音さえも大きく反響し、それがまるでリズムを取っている様にも聞こえる。
「あ、ねぇ、カナコってどんな字書くの?」
「えっと、願いを叶えるの“叶う”に子供の“子”って書いて叶子です」
「叶える子かぁ……、素敵な名前だね」
「あ、ありがとうございます」
「じゃあさ、」
今宵の二人は何処までお互いを知る事が出来るのだろう。朝を迎える頃にはわざわざパソコンで検索せずとも彼の事がわかるだろうか。
――沢山話がしたい。
叶子は漠然とそう思った。
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