第12話~少しづつ縮まる二人の距離~

 彼女がとった行動が、あっという間に二人を引き合わせた。


 勢いでかけた一本の電話。どうせ出ないだろうと高を括っていたのが、驚く事にあっさりと繋がった。そして、タイミングよく終電が無くなったアナウンスが流れ、丁度仕事が終わったばかりの彼がその雰囲気を察して、送ってくよと言ってくれたのだ。

 これらのうちの一つでも欠けていれば、今日、二人は会うことは無かっただろう。そう思うと、単純に“タイミングが良かった”の一言で終わらせるには少し軽々しいのかも知れないと叶子は思った。


「こんばんは」


 白い息を吐きポケットに手を突っ込みながら、笑顔の彼が目の前にいる。会いたくて、声を聞きたくて仕方なかった彼が今、実際に目の前にいるのだから信じられない。

 外に出た寒さのせいか表情は少し強張っていた。


「こ、こんばんは!」


 それでも彼の笑顔を見ると、叶子も自然と笑みがこぼれてしまう。数段ある階段を転げ落ちてしまわない様にそろりと降りて彼に近づいて行くと、車にもたれていた身体を起こし慣れた手つきで助手席のドアを開けてくれた。

 そんな紳士な振る舞いにうっとりしつつも、一つの疑問が彼女の頭を横切った。


(助手席?)


 開け放たれたドアの向こうを覗き込むと、いつもの恰幅のいい男性の姿がそこには無い。叶子が不思議そうな顔をしていた事に、「ああ」と彼が気付いた。


「いつもの彼はもう帰ったよ。流石にこんな時間迄つき合わすことは出来ないからね」


 そう言われて叶子は納得すると、促されるままに助手席へと腰を沈めた。助手席のドアをそっと閉めた後、ボンネットに手を這わせながら足早に運転席側に回り込む。ドアを開けると、先に長い足がにゅっと入り込んできた。


「さて」


 ドアが閉められる事で、車は単なる“移動手段の一つ”と言う事だけではなく、“密室”という部屋を兼ね備えたものに変わり、うるさく騒いでいる心臓に拍車が掛かる。しかも、彼の甘い香りが車内に封じ込められ、その香りに彼女の思考までもが溶けて無くなってしまいそうだった。

 シートに座り両手でハンドルを掴んでいる彼は、叶子がそんな事で苦しんで居るとは当然気付いていない。一旦間を置き何かを考えている様な素振りを見せると、くるりと叶子の方へと振り向いた。


「えーっと。お腹空いてない?」

「あ、はい。ペコペコです」


 照れているのか、喜んでいるのか。とにかく叶子は笑顔で答えた。


「良かった、実は僕もなんだ。でも、こんな時間だとお酒飲む所しか開いてないかなー」

「何処でもいいですよ、私明日休みですし」


 車中での彼との距離が近過ぎて、彼の顔をまともに見る事が出来ない。視線を落とし膝の上にのせたバッグをギュッと握り締めながらそう言った。


「じゃあ……、僕の家に来る?」

「……えっ?」


 ――い、いきなりっ!?

 彼の提案を聞いた叶子は瞬きをするのも忘れるほど目を大きく見開き、あれほど見る事が出来なかった彼の顔を凝視した。


「い、いや、僕運転しなきゃだからっ。お酒飲む所行けないって言うか……。い、家に帰ったら食事作って貰えるから!」


 “下心がある”とでも勘違いされたと思ったのか、叶子の視線を切るとハンドルに向かって言い訳を始めた。

 変に取り乱した彼がとてもかわいく思える。そんな人が下心があってそんな事を言ったとは到底思えなかった。


「……は、はい。貴方がその方が良ければそれで大丈夫ですよ?」


 笑ってはいけないと思いながらも、口の端が自然と上がり始める。手で口許を隠しながらそう言うと、彼は自分に向けられた疑いが晴れたのを感じたのか、ほっとした表情で胸を撫で下ろしていた。


 話がまとまると車はゆるりと動き出す。人気のない駅のロータリーから出ると、胸ポケットから携帯電話を取り出し、何やらどこかへ電話をかけ始めた。


「――あ、僕だけど、……うん。今から帰るから。ゲストと一緒だから2人分用意しておいてくれる? うん。……あっ辛い物は避けてね。はい、じゃあよろしく」


 そう言うと、再び携帯電話を胸ポケットへと仕舞い込んだ。

 彼は電話の内容には特に触れず、さも当たり前かの様に真っ直ぐ前を向いて運転している。叶子が辛いものが苦手だと言う事を覚えていてくれていた事が、嬉しくてたまらなかった。

 ――しかし、その反面。妙に女性慣れしている風なのが否めないのも事実。


「……」


 気にはなるものの、ひとまずここは素直に喜んでおいた方が身の為だと、自分に言い聞かせた。


 車中で繰り広げられる他愛も無い会話達。やれ正月番組は似たような物ばかりで面白くないだの、今年はお餅を何個食べただの。おそらく彼にはどれもが無縁であろうと薄々感じてはいた。かといって気の利いた話が思いつかない叶子は、必然と常日頃自分が思っている事を語る事しか出来ない。この時ほど自分のボキャブラリーの無さに嘆いた事は無かった。

 

「お餅かぁー。そう言えば食べた事ないなぁー」


 けれど、優しい彼は彼女のそんなどうでもよさ気な話でさえも嫌な顔一つせず聞いてくれた。


「えっ? そうなんですか?」

「うん、僕の生まれた国では無かったからね」

「あ、やっぱり外国の、方……ですか?」


 たたずまいは確かに日本人離れしているが、黒い髪にブラウンの瞳。流暢な日本語と名刺の名前を見ると判別しにくいものがある。


「うん、アメリカ人の父と日本人の母とのハーフなんだ」

「わぁ、かっこいい」

「格好良くなんて無いよ。小さい頃良くそれでいじめられたし」


 一瞬静まり返った車内。自分の発言に“しまった”と思ったのか、彼は咄嗟に違う話題を振ってきた。


「あ、お、お餅って柔らかいんだよね?」

「え? ええ、柔らかくってびよーんって伸びますよ」

「へぇ?」


 赤信号の交差点を車がゆっくりと止まり、サイドブレーキがかかった音がする。進行方向を向いたまま、手で餅が伸びる感じを表現している叶子の頬に暖かいものが触れた。


「――?」

「これくらいやわらかいの?」


 ゆっくりと彼に振り返った叶子に向かってそう言うと、彼女の頬を軽くつねりながら全く悪気はないような顔で彼は微笑んでいた。


「……」


 無邪気な笑顔を見せ付けられ、叶子は思わず言葉を失う。痛がっているのだと勘違いしてしまったのか、動揺した彼が慌てて叶子の頬を撫でた事により又彼の手の暖かさに触れた。


「ごめん! 痛かった?」


 信号が変わり慌てて車を出すが、何度も彼女を気に掛けて様子を見ながらハンドルを握っている。そんな彼とは対照的に、叶子は彼につねられた頬に手をあてながらドキドキしている胸元をぎゅっと掴んだ。


「い、いいえ……」


 前方に連なる沢山のテールランプが彼女の顔を照らし、そのお陰で叶子の顔色の変化は彼には悟られずに済んだ。


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