三嶋 晴

正直ほっとした。

もう、私を見ることは無くなったかもしれない。

新しい対象の彼女が来たから。せめてもの償いに、さっき転けた拍子に落ちた髪留めを机に静かに置いておく。


はるちゃんこの絵凄い好き」


「やろ、この絵イルザって言うさっきの子をモデルにした。チョコあげよ」


授業が終わる度に私の席に訪れる癒しに、いつも通り持ってきたお菓子を差し出すと、嬉しそうに包装を剥がして口に入れる。


「おい、餌付けするなら俺にもしてくれよ」


突然至福の時間に割って入ってきたのは、少しだけ変わった性格の女みたいな顔をしている、変を体現した心桜しおんだった。

心桜は捲っている腕から覗くスカルのタトゥーに視線を感じたのか、体の後ろに隠して周りから見えなくする。


「お前は帰れ、りんの為に持ってきたお菓子やから無理。下さいって頼んだらあげよ」


「下せー……下さい」


チョコをひとつ受け取ってから相変わらずの無表情で帰って行き、よく絡んでいる2人の男子生徒の下に戻っていく。


「晴ちゃんまたユンファが夫婦みたいでやばいよ!」


「えっ、マジでか! うわやば! これは保存や保存」


今年の入学と同時くらいから好きになり始めた韓国のアイドルグループのSNSで、最も好きなユンファがグループの中でも仲の良い人とのツーショットが上がっていて、テンションが上がってつい大声になる。

そこで意識が戻って慌てて周りを見るが、特に誰も私を見ていなかった事にほっとする。


「またうるさいあいつ」「ほんと静かにしてくれないかな、死ねばいいのに」


偶然が重なって一瞬だけ静かになった教室に、密かに向けられた視線の主が、私に向かって陰口を叩く。

その言葉で一気に気持ちが落ち、少しだけ呼吸が乱れる。


「なぁイルザ、ドイツのどこに住んでた。俺はベルリンに13年住んでた、初等部の途中でこっちに来たからドイツ語も喋れるぞ」


「おい邪魔だって心桜、今俺らが質問してただろ」


「でもお前ら日本語ばかりで分かってなさそうだぞ、勉強も出来なくて生き方も頭悪いヤツらは引っ込んでろ」


そんな教室で少し大きな声で男子生徒を蹴散らした心桜は、日本語しか出来ない私たちには理解出来ない言語を発する。

だが、その言葉を聞くイルザさんは徐々に顔が明るくなって、遂にはここに来てから初めての笑顔を見せる。

暫くして少しだけ笑った心桜は再びこっちまで歩いて来て、もう一度手を出す。

仕方なくチョコをもうひとつ手の上に乗せると、ポケットに突っ込んで窓に寄り掛かる。


「何喋ってたか分からんわあんなの、お前ほんとにドイツ語喋れたんやな」


「お前らには遠い世界だからそう思うのも仕方が無い、日本人は見識の狭い馬鹿ばっかだからな」


「それで、何喋っとったん?」


「ん? お前が大きな声で喋るのに気を使うなら、俺も大きな声で喋ってはしゃいでやるってな」


「ははっ、お前馬鹿やろ」


「お前ら日本人よりマシだ、しかもイギリスで爵位まで貰ってる俺に失礼とか思わないのか」


「それはイギリスやから知らんわ」


「違いない」


また少し笑った心桜は窓から背中を離すと、授業が始まるチャイムが鳴る前に椅子に座る。

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