箱の中身は

藤須 陽

第1話

 立川駅発の青梅線に乗った僕は数人しかいない車内でまだ誰も座っていない7人掛けの座席の端に座った。

 彼女が誕生日にプレゼントしてくれたスポーツメーカーの黒いリュックを大事に抱える。

 平日は朝のラッシュが終わると殺伐としていた車内は一気に平和になる。

 でも、日差しが車内に突き刺し暖かくなる空気。乗り込んだ人達のそれぞれの家の匂い。それらがこの箱に閉じ込められて僕はいつも息苦しさを感じる。

 そして、どこの誰ともわからない人達と隣同士に座る違和感。つり革や手すりも箱の中身はなんでしょうゲームのように、誰が触っていたのかわからないものを触る恐怖を感じるのだ。

 皆は気にならないのだろうか。隣に座る人がどういう人間なのか。


 発車する時には、座席は埋まり、ドア付近や、つり革に掴まっている人たちも目立った。

 僕の隣には、がたいのよい男がどっしりと座った。

 ふと隣に座っている男の手が視界にはいる。

 握った右の拳を包み込むように左手を添えている。ゴツゴツとした拳にはうっすらと血が滲んでいた。

 切り傷でもあるのだろうか?そんなことを思っていると、その男の隣に座っていた女が絆創膏とポケットティッシュを差し出し「良かったらこれどうぞ」と言った。

 男は少し驚き、戸惑いながらも「すいません」と受け取った。そしてティッシュで血を拭きとり、貰った絆創膏を貼った。

 それを微笑ましく見ていた向かいに座るおばさん。

 その隣にはスマートフォンをいじる女子高生。

 女子高生の隣には本を持ったサラリーマンが座っている。

 ざっと見える範囲の乗客を見回して僕は、この人たちは一体どんな人なんだろうかと考える。


 なぜこの男はケガをしたのか?

 隣にいるので顔はハッキリ見えないが、ライダースジャケットにジーンズ、体格はよく、浅黒い皮膚の色、足を広げたまま座る横柄さ。自分が強いことを強調している。

 喧嘩。かつあげ。むしゃくしゃしてたから殴った。この男の一撃を食らったら腫れた折れたではすまないだろう。最悪、相手は死んでしまったかもしれない。


 絆創膏を渡した女はなぜ見ず知らずの男に親切にしたのか?

 ゆるいパーマがかかった明るい髪色。ブイネックのセーターにスキニーパンツ。指や腕にはゴールドのアクセサリーを付けている。

 フラれたばかりで次の出会いを求めていたのか、周りに良い女アピールをしたかったのか。もしくは、キャッチの彼氏にカモを連れて来いと脅されていて男を捕まえる事に必死だったかもしれない。だとしたら、この女はなかなかあざとい。

 

 それを微笑ましく見ているおばさんは、襟がよれた服にだぼっとした茶色いパンツ。見るからに偽物のブランドバッグを膝にのせている。 

 よく見れば微笑みというよりニヒルな笑みだ。

 若さを使って男に媚びる女を蔑んでいるようだ。

 『歳を取ればあんたみたいな女は男に見向きもされなくなる。シワが増えてシミが増えて化粧の時間がうんと長くなる。胸と腹と尻がたるんで強制下着が手放せなくなる。せいぜい今のうち男に媚びとけ』と内心毒づき、ニヤニヤしている。


 周りに無関心な女子高生の関心はスマートフォンの中にしかない。彼氏とのやりとり。SNSへの投稿。友達へのいいね。バイトの連絡。

 今日はホテルで動画を撮らせればいつも以上のお金がもらえる。しかも顔出ししなくていいという好条件。丁度欲しかったコスメやバッグがあったので変態の趣味に付き合う事くらいなんてことないことだった。

 「りょ」とだけ打って送信。相手は喜んでお金を用意してることだろう。

 どのバッグを買うか、どのコスメにするかネットショップに映される商品を赤く塗った爪でスクロールするのに夢中だ。


 その隣のサラリーマンは手に持っているカバー付きの本に顔を向けてはいるが、黒目だけは女子高生のスマートフォンを凝視している。

 サラリーマンは女子高生の普通に憧れている。

 学校帰り、制服のまま寄り道をしてレインボーカラーのアイスを持って写メを撮る。はしゃぎながら新作コスメを片っ端から試していく。カラオケで合コンをする。

 色見のないスーツ。可愛くないネクタイ。伸ばせない髪。履けないスカート。すべてが女子高生と真反対だ。

 サラリーマンは想像する。

 髪をお団子にして、メイクをする。プラザに行ってコスメを見る。お気に入りの店で服を試着して店員さんと話をする。褒めてもらった服を一式買って家に帰る。今日の戦利品を机に並べ、服はハンガーにかける。

 胸が弾んだ。

 『女子高生のスマートフォンに映るコスメは新作だ。すごく可愛い色、パッケージも可愛い。欲しい。この子はこれからこれを買いに行くのか。羨ましい』

 そう思っているのだろう。


 そんなものだ。人は外見と中身が必ずしも一致するものではない。

 僕の彼女だってそうだ。小柄でやわらかい黒髪はいつも潤っている。僕の話に優しく笑い、まさに清純で清楚。僕の名を呼んでは恥ずかしそうに抱きついてくる。とても可愛らしい人だ。ずっと大切にしたい人だ。

 そんな彼女が先日、僕の部屋に男を連れ込んでいた。僕が家に帰ると、玄関には彼女の靴の他に見慣れないスニーカーが置いてある。不審に思いリビングのドアを開けると彼女は知らない男と裸で抱き合っていた。それも一緒に買ったダイニングテーブルの上で。

 僕の目に異常が出たのか、それとも脳に障害でも起きたのかと思ったが、僕を見た彼女は裸のまま「別れて欲しい」と言った。この人と付き合うのだと。

 とんだ茶番劇だ。

 僕は彼女を清楚だと思っていたけれど、そうではなかったらしい。要はベッドではないところで性行為がしたいということだ。恥ずかしがり屋の彼女が、直接言葉にするのはやはり勇気がいることだったのだろう。わざわざこんな場面を見せつけて気づかせようとするなんて。

 僕は笑って「わかったよ、気づかなくてごめん。もうこんな茶番はさせないから」そう言って彼女に毛布をかけてやった。

 「君もお疲れさま、悪かったね付き合わせちゃって」裸の男を労いながら、床に脱ぎ捨てられている服を拾い集めていると、男がなにか喚きながら殴りかかってきた。

 頬に拳が当たる。

 僕は突然の事に驚き、尻もちをついて男を見た。

 男はぼくに馬乗りになると、拳を振り上げた。また殴ろうとしている。

 僕は咄嗟に両腕を伸ばし、男の首を掴んだ。男から「ぅぐっ」と変な声が出る。殴ろうとしていた拳は僕の二の腕を掴み、必死に首から離そうとしている。

 弱い。

 あんなに威勢よく攻撃してきた割には握力も腕力もないな。と首を絞める手に力を込めながら冷めた目で男を見つめる。 

 男も驚いているかもしれない。白く細い僕の腕のどこにこんな力があるのかと。見た目で判断するのはよくない。

 男の顔は土色に変わり始め、口から涎が垂れ落ちる。男の体重がぐんっと僕の腕にのしかかった。腕を掴んでいた手もだらりと解けた。

 僕は男の体をよけながら手を放した。鈍い音を立てて男は顔面から床に落ちる。ピクリとも動かない。

 彼女は男を揺さぶっていたが、やがて僕を睨み「人殺し!」と怒鳴った。

 そんな彼女見たのは初めてだ。

 僕は殴られそうになったから回避した。それだけなのに。

 彼女は僕に平手打ちをした。何度も。何度も。

 僕がやめてくれと言っても止めなった。少し落ち着かせないといけない。

 彼女の手首を捕まえて壁に優しく押さえつける。そしてキスをしようと顔を近づけたとき、彼女の額が僕の鼻を直撃した。

 骨がズレたような鈍さを感じ、苦痛に顔を歪め、反射的に彼女のみぞおちに拳を入れていた。

 倒れこんでくる彼女を抱きかかえベッドへ運ぶ。


 彼女が目覚めた時にはほぼ準備は完了していた。

 また暴れられたら困るので、手足を縛って椅子に座らせておいた。

 彼女はすごく驚いて、大声を出してやはり暴れたけれど、椅子にくくりつけておいたので転げ落ちることはなかった。

 「ちゃんと説明するから、少しだけ我慢して。話が終わったらすぐにほどくからね」

 僕の声は届いていないようだけど、風呂場のドアを開けると瞬時に黙った。

 風呂場にはすでに両足を切り落とした男が横たわっていた。

 「あとは腕と首。胴体も出来るだけ小さくするよ。君は何も心配しなくて平気だからね。でもさ、こんな大掛かりな演出しなくても手紙とかメールとかで言ってくれれば良かったのに。まぁアブノーマルな事を伝えるって勇気がいることだもんね。でも僕は君を大切に想ってるから受け止められるよ」

 僕は男の腕を切り落としながら、どれだけ彼女が大切で大事で大好きなのかを伝えた。

 彼女はただ一点を見つめながら僕の話を聞き入ってくれた。

 全ての作業が終わる頃にはもう朝日が昇っていて、彼女も疲れてる様子だった。

 「少し寝た方がいい」

 僕は彼女と椅子をくくっていた縄を外し、ベッドへと運んだ。

 彼女は眼を見開いてなにかを言おうと口をパクパクしていたけれど、結局声には出なかった。

 僕は風呂場にある男のパーツを一つ掴み、ビニール袋に入れ、口を縛った。それをまたビニール袋に入れた。念のため3重にしてリュックに入れる。これなら血が流れてもリュックが汚れることはないだろう。

 彼女からのプレゼントは汚したくない。

 「ちょっと出かけてくるね」そう言って僕は駅に向かった。

 

 電車の往復も今日で三日目だ。しかしまだかなりのパーツが残っている。早く捨てないと彼女とゆっくり風呂にも入れない。

 忙しなく乗り降りする人たちを見つめながら、そんな事を考えていたら目の前に人が来た。カバンにぶら下がるキーホルダーが目に入る。“おなかに赤ちゃんがいます”と書かれていた。

 僕はすぐさま立ち上がり「どうぞ」と席を譲った。

 パッと見お腹は大きくない女性は「ありがとうございます、助かります」と頭を下げ座った。

 終点までまだしばらくかかる。

 僕は車両を変え、ちょうど開いた席に座った。

 そしてまた怖くなるのだ。この席はどんな人が座っていたのだろう。隣の人はどういう人間なんだろうと。

 僕はリュックを抱え直しまた周りの人間に目を凝らすのだ。

                完



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箱の中身は 藤須 陽 @su7201

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