Ma puce

城崎

 されると思った抵抗も、あると思った肉体もなく、私の剣は彼の頭部である兜を吹き飛ばした。その兜も、おそらくは吹き飛ばされることを想定して作られているのだろう。ほとんど力などかけず、胴体から離れて飛んでいった。結果として私は、ただ虚空を切り裂いたことになる。何の手応えもない違和感と、相対する相手への恐怖に、体勢が崩れたまま動けなくなってしまった。


 私は一体、何を相手にしているんだ?

 縋るかのように、剣を握る力が強くなる。


 もとより彼は戦線に出たことがなく、実力は未知数として警戒対象となってはいた。とはいえ、敵対している以上いつかは倒さなければならない相手だ。恐れて挑まないわけにもいかないだろう。それに、自分の実力だって並大抵ではない。1対1であれば勝てるという自信が、自らにはあった。しかし、傷も付けられない相手だと分かった今、勝てるとは到底思えない。他に攻撃する手段のないことを後悔しながら、死を覚悟する。


 後ろで深いため息が聞こえ、ようやく体勢を立て直して彼の方を見た。当然ながら口も、おそらくは肺などの器官なんてないはずなのに、こちらを哀れむような吐息が確かに聞こえる。彼は気怠げな足取りで私の前に転がっている兜を手に取ると、そのまま元の位置へと付け直した。小さな砂が、彼の中を落ちる音がする。


「どうした。逃げないのか?」

「それ、は」

「私は人ではない。貴様のように意気揚々と剣を振るってくる人間が中身を見た瞬間から狼狽える様子が面白いものだから、この姿でいるだけだ」

「人じゃ、ない……」


 兜が肯定からか、縦に揺れた。


「大方、未だに戦線へ出たことのない私が1人でいるところを見計らって来たのだろう。1対1で勝てればそれでよし。勝てなくとも、自分1人の犠牲ならば安いものだ、どうとでも替えがきくだろうと見込んでな」


 彼が、私と視線を会わせるように膝を曲げる。じっとこちらを見つめてくるのは、兜に施された目のような文様。それはまるで、蛙を睨む蛇のようにも見える。


「どこか、間違っているところはあるか?」


 自らの考えがあまりにも筒向けで、口元に苦し紛れの笑みが浮かぶ。柄を握る力も弱くなり、からりと剣が床を掠めた。


「何一つ、間違っていない」


 否定したところでどうにもならないだろうと、首を縦に振る。完敗だ。彼の洞察力ももちろん高いのだろうが、なによりも私の行動が単純で分かりやすいのだろう。降伏のために手をあげようとした途端、彼はまた深いため息をついた。先ほどよりも長ったるいそれは、多少の嘲りを含んでいるように聞こえる。


「どうして、貴様は逃げない?

「私の話など聞かず、隙をつき、背を向け、早々と立ち去れば良い。或いは、貴様の国が得意としている魔道具を用いて瞬時に消え去るのも良いだろう

「だのに、どうして何時迄もこの場に留まっている?」


 どっと浴びせられる言葉の端々から感じられる濁った感情に、思わず剣を握り直した。さっきまでグローブ内を占めていた熱が、一気に引いていく。


「それでは、まるで逃げて欲しいかのように聞こえます。あなたほどの方ならば、私など一撃で葬り去ることが出来るでしょうに」


 彼はああと頷くと、両の手を上へとあげた。


「今の人間による降伏の合図とはこうだったか? あいにく、白い布など持ち合わせていないんだ。これで、手を出さないことの証明になればいいが」

「それでは、まるで」


 敵前逃亡の文字が頭を過ぎり、即座に息を呑む。

 そんなことは許されない。

 誰も許さない。

 私だって許せない。


「馬鹿にするな」


 立ち上がりざまに飛び上がって切り上げるも、切っ先に感覚はなかった。続けて振りかざそうとするも、手中にあるはずの感覚がない。地に足が着く感覚と共に聞こえる、軽い金属音。肩から力の抜けていく私に、鎧は笑う。


「貴様はもしかして、ここで私に殺されたいのではないか?」


 どきりと心臓が高鳴った。とっさに脳内で否定するも、言葉は喉から出て行かない。口内が知らぬ間に渇いている。ようやく口を開いたときには彼が目前に迫っており、硬い指が私の頬を撫でた。


「先ほどまでの落ち着いた態度と威勢が、まるで嘘だったかのように青い顔をしている。本当に分かりやすいやつだ」


 限りなく優しい触れ方に、頭が揺さぶられる。いくら振り払っても、彼の手は自らの頬を捉えたまま動かない。


「まぁ、そう思うのも無理はないだろう。貴様の待遇はよく知っている。アレは……そうだな。家畜の方がまだマシと言ったところか? 貴様ほどの戦果をあげている者などこちらにもいないというのに、酷いものだ」


 絶えず振り払い続けるも、彼は言葉の通り微動だにしない。兜には表情などないはずなのに、笑みはどんどん深くなっているのがよく分かる。


「だがあいにく、私は前線にいる者たちのように血に飢えてはいない。むしろ、無闇に殺生はしない主義なんでな。貴様を殺したりはしないよ」


 撫でていた手が止まった。


「だが、逃がしもしない」

「ッ私に捕虜としての価値など無い」


 ようやく出た音はかすれており、自分ではうまく聞き取れなかった。しかし、彼には正しく意味が伝わっていたらしい。彼は、小さく息を吐き出した。息がかかりそうなほど近くにいるのに、なんの温かみも感じられない。


「そんなことは嫌でも分かる。貴様、こうは考えなかったのか? 私が貴様をここに招き入れたのだと」


 考えもしなかった発想に、全身から力が失われていく。すべては仕組まれたことだったという失望。そんなことをしなくてもいいのに、彼が腕を引き、無理矢理に立ちあがらせられる。


「私は、貴様を買っているんだ」

「私を、買っている?」


 軽く縦に頷かれた。どうして私は買われているのだろう。私には、漏らせる情報など無い。

 ……けれども、彼と違って肉体がこの場に存在する。死にはしないという名目の元で人体実験の材料になるのか、はたまたこの国の拷問器具の発展に貢献するのか。場合によっては、現在と何ら変わらないかもしれないことに気付き笑いが溢れる。


「私の駒になれ、アメリア」

「……駒?」

「そうだ。私の駒として、私のために生きろ。刃向かうことはもちろん、死ぬことすらも許しはしない」


 紡がれた予想外の言葉に、理解するのに時間を要した。死なない傀儡の兵となれということならば、死が約束された今の方がずっといい。


「ついでに優秀な貴様がこちら側に着けば、我が軍の勝利する決定打となる。貴様としても、これ以上の犠牲を出す前に戦争など終わらせてしまいたいだろう?」


 続いた『ついで』というにはあまりにも大きな話に、同意してしまいそうになる。しかし、駒として生きることは出来ない。


「……戦力を削ぎたいのなら、ただ単に私を殺せば良いじゃないですか。あなたが手を汚したくないというのならば、別の者を呼べばいい。どうしてわざわざ、支配下に置こうとするのです? あなたが良くとも、他の者は多くの同胞を殺した私を受け入れはしないでしょうに」

「戦力を削ぎたいのではない。ただ私は、貴様が欲しいのだ。他の者からの視線が気になると言うのならば、私の檻に入れたままにしておこう。別に戦わずとも、一向に構わん」

「檻、って」

「この中だ」


 彼は自らの鎧へ手をかけた。


「貴様は死にたいのではない。生きる場所が欲しいだけだ」


 鎧の腹が開かれる。そこには虚空ではなく、別世界が広がっていた。

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Ma puce 城崎 @kaito8

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