3. 少女

「ふ~、ふ~」

 少女は俺が出した熱々の紅茶に息を吹きかけている。たぶん猫舌なのだろう。

 俺と少女は机をはさんで、向かい合わせで座っている。

 今は外よりも蛍光灯けいこうとうに照らされて、はっきりと少女の容姿を見ることができる。

 ショートヘアなのに、髪には雪の結晶のヘアピンが付いている。ファッションみたいなものだろうか。

 俺は一度だけ雪の結晶について調べたことがあった。だから、そのヘアピンの結晶構造も一瞬で特定できた。

樹枝六花じゅしろっか、か」

 ぼそっと俺はつぶやく。

 樹枝六花は、中心から等間隔とうかんかくに伸びた六本の枝の先に、さらに多数の枝が付いたような形のものだ。

 雪の結晶と言われたときにイメージされることが最も多いように思える。

 確かに、かなり形は綺麗きれいだし。

「助けてくれてありがと、平山ひらやまくん」

「あ、うん……」

 少女は笑顔で感謝の言葉を口にする。

 何故、俺の苗字を知っているのだろうと疑問に思ったが、玄関に貼ってあった表札でも見たのだろう。

 そして部屋に入れたは良いが、この先どうすれば良いのか全く考えてなかった。

 そもそもコミュ障だし。この少女と言葉で意思疎通できる気がしない。

「あ、私、自己紹介してなかったね」

 そう言って少女は手に持っていたコップを机の上に置く。

「私は江河えがわ紘編こあみ。よろしくね」

 俺は「こちらこそ、よろしく」という意味を込めて軽く頭を下げる。

 しかし、江河紘編か。懐かしいような気がする名前だ。何故だろう。

「む~、何かしゃべってよ~」

 俺が何も喋らなかったのが気に食わなかったのか、江河さんは頬を膨らませて不機嫌そうにしている。

 だが、そんな彼女も可愛かった。

 外で思った通り、完全に好みだった。俺の理想の女の子像が現実に君臨した感じ。

 ただでさえコミュ障なのに、可愛い少女と会話するなんて緊張してしまう。

 俺なんかがこんな可愛い少女と会話しても許されるのだろうか。

「ねえ」

 江河さんは真っ直ぐ俺を見つめている。真剣な顔で。

 随分ずいぶんと表情が忙しい人だ。

「私と付き合わない?」

 予想もしていなかった言葉が耳に届く。

「…………は?」

 思わず聞き返す。

「だから、私と付き合って」

「そ、その付き合うっていうのは、どういうことですか……?」

 状況が理解できない。

 だって一時間程前に会ったばかりだぞ。急過ぎないか?

「付き合うって言葉の意味も知らないの? 男子と女子が愛し合って、デートしたり、イチャイチャしたり、エッチしたりすることでしょ」

 さらっとエッチって言ったな……。

「で、どうなの?」

 出会って間もないのに「どうなの?」と訊かれても答えようがない。

 そもそも俺は江河さんのことを知らないのだ。知らない相手に対して好きとか嫌いとか、そういう感情を抱くことはまずない。

 だから、交際を申し込まれても結論を出せるはずがないのだ。

「……どうして、お、僕なんですか?」

 訊いたところで返事をできる訳じゃない。

 けれど、純粋に疑問に思ったことを尋ねる。

「何て言えば良いのかな。強いて言うなら、平山くんが好きだからかな」

 答えになってねえ。

「確かに人を好きになった時って、『優しいから好き』とか『格好良いから好き』とか、何かしら理由がある場合もあるけれど、私の場合はそうじゃない。平山くんを見て、ただ何となく好きだって思ったから好きなんだよ」

 つまりは一目惚れってことか。

 それなら会ってすぐなのに付き合って欲しいと言うのにも納得がいく。

 けれど、俺の場合は違う。

 確かに江河さんは可愛いと思う。見た目なんて完全に俺の好みだし。

 だが、だからと言ってこの気持ちが「好き」に該当するかどうかと言うと、はっきりと違うと断言できる。

 この「可愛い」は、テレビに出ているアイドルの見た目が自分の好みだとか、そういう感じだ。

 だから、恋愛感情から生じた「可愛い」ではない。

 あくまでも純粋に思ったことに過ぎない。

 しかし、逆に嫌いかどうかを考えると、嫌いではないとも言える。

 俺が嫌いなタイプかどうかは、現段階では判断できない。俺は江河さんのことを知らないのだから、当然なのだが。

 だから、今は答えを出せない。

「……保留で良いですか?」

 俺は結局、ありがちな返答しかできなかった。

「まあ、そうだよね。ゴメンね、いきなり『付き合って』とか言っちゃって。困るだけだよね」

 静寂せいじゃくの時が流れる。空気が、何となく重く感じられた。

 江河さんはすっかりめ切った紅茶を一気に飲み干す。

 そして口を開いた。

「あ、あのさ。もう一つお願い事があるんだけど」

 俺は江河さんの方を見る。

「来年の一月三日まで、泊めて貰えないかな?」

「…………は?」

 本日二回目の衝撃発言だった。


 ◇ ◇ ◇


 結局、俺は断ることができず、江河さんを泊めることにした。

 さすがに一緒の部屋で寝るのは憚られるため、江河さんはリビングで寝て貰うことにした。

 来客用の布団は一セットだけあり、江河さんにはそれを使って貰っている。

 既にリビングの明かりは消えているので、江河さんは寝ているのだと思う。

 時計を見ると、時刻は十一時を過ぎたくらいだった。

 俺も寝ようと自室の明かりを消して、布団に入る。

 そして気付いた。

「あ、唐揚げ一個しか食べてないや」

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