第1章

2. 夜

 十二月二十九日。雪がしんしんと降り積もっていた夜。

 積もった雪に街灯がいとうのナトリウム灯が反射し、辺り一面がぼんやりと橙色だいだいいろに染まっていた。

「すっかり遅くなっちまった」

 そんなことをつぶやきながら、俺は雪の上を歩いて帰宅中だった。

 時刻は午後八時過ぎ。昼頃から同級生とカラオケに行き、日が暮れるまで馬鹿騒ぎしていたのだ。

 まあ、この時期は日没が午後四時頃なので、日が暮れてからも三時間以上は騒いでいたことになるのだけれど。

 さすがにドリンクバーだけで騒いでいたものだから、すっかりお腹が減ってしまった。

 俺は一人暮らしをしているため、家に帰っても誰もいない。

 地元の高校に進学したのは良いが、両親が高校入学と同時にそろって転勤したため、俺だけがこの街に残ったのだ。

 だから、家に帰ったところで食事が用意されている訳がない。

 いつもは自分で料理をするのだが、レパートリーが少ないため、一週間くらいでメニューをローテーションしているような状況だ。

 今日も時間があれば帰ってから夕食を作るつもりだった。

 しかし長時間の馬鹿騒ぎのせいでこんなに遅くなってしまい、体が疲れをうったえている。

 しかも、今は丁度食材を切らしており、冷蔵庫にはお茶と調味料くらいしか入っていないはずだ。

「……何か買って帰るか」

 仕方なく近所のスーパーに立ち寄る。

 そして、閉店間近で割り引きになっていた唐揚げ一パックを購入し、帰宅した。


 ◇ ◇ ◇


「……何これ」

 まじで珍百景。

 マンションの俺の部屋の前に、俺と同じ歳くらいの少女が転がっていた。

 少女は横になって、すやすやと寝息を立てている。

「寒い中、よく寝れるな」

 気温はおそらく氷点下。そんな中で普通に寝ていられることに驚かざるを得ない。

 ……いや、それよりも。

 この少女をどうしたものか。

 俺はその場でしゃがみ、少女を観察する。

 ふむ、可愛い。完全に俺の好みと一致する。

 白い肌。長いまつげ。桃色の唇。髪型は耳が隠れる程度だから、ショートってところか。

 体型はダウンでおおわれていてよくわからないが、おそらく女の子特有の曲線を描いていることだろう。

 見れば見るほど、本当に可愛いと思える。

 こんな可愛い少女を寒い中、外に放置しておく訳にはいくまい。

 何より、少女を起こさないことには俺が部屋に入れないし。寒いし。

 ならば、俺がするべきことは単純。寝ている少女を起こして、一緒に俺の部屋に入れば良いだけだ。

 だが、俺にはそれをすることができない。

 何故ならば。俺はコミュしょうだから。

 コミュ障をめんなよ。初対面の相手だと、まず確実に話せない。

 高校に入学した直後なんて、

「君の名前は?」

「…………」

 みたいな感じだった。ある映画のラストシーンの再現のようだが、決して意識してた訳じゃない。

 とにかく、俺にとって話すというのはかなりハードルが高いことなのだ。

 一応、それでも今は友達がいる。片手で収まるけど。

 ……少し話が逸れたから戻そう。

 コミュ障は話し掛けられるだけでもロクに受け答えができない。

 だから、逆に話し掛けなければならない場合となると尚更なおさらハードルが高くなる。

 話し掛けられた場合は、相手の話題から連想された言葉を自分で文章化すれば良い。

 しかし、話し掛ける場合は自分で一から言葉を紡いでいかなければならない。俺はこれが苦手だ。

 たとえ話す内容が決まっていたとしても、自分で言葉を選ばなければならないことには変わりない。

 簡単に言えば、言葉にならないってことだ。

 今だって同じ。

 少女を起こさなければならないけれど、何て言葉を掛ければ良いのかわからない。

 ましてや、この少女のことを俺は知らない。

 初対面の少女に話し掛けなければならない状況は、あまりにも俺にとってハードルが高すぎる。

 ……仕方ない。話し掛けられないなら少し刺激を与えてみよう。

 俺は右手の人差し指で軽く、少女の頬をつんつんと突いた。

 何これ、柔らけぇ。けれど、しっかりと弾力もある。所謂いわゆる、もちもち肌ってやつか。

 あまりの柔らかさに感動を覚え、結局三十回くらいつんつんした。

 のだが。

「起きないのかよ……」

 こんなにつんつんして起きないとか、つんつん耐性値が大きいに違いない。

 俺の万策ばんさくが尽きた。

 万策といっても、一つしかやっていないのだけれど。

 せいぜいコミュ障の俺にできるのは頬をつんつんすることだけだし。

 仕方ない、諦めて少女が起きるまで待つか。

 どうせ今は冬期休暇中だ。少しくらい夜更かししても問題ないだろう。

 俺はその場で胡坐あぐらをかいて座る。コンクリートの冷たさが尻から直に伝わってくる。

 さすがに時間が時間なので、俺のお腹は限界だった。

 袋からすっかり冷たくなった唐揚げを取り出し、パックを開ける。

 そして、手で一つ摘まんで、口に放り込んだ。

 丁度その時。

「んん~」

 少女が背筋を伸ばし、そして目を開けた。

 俺は、どうしたら良いのかわからず、ただ少女を見る。

 少女は起き上がって、上から俺の方を見た。

「なるほど……」

 少女はぽつりとそう呟いた。何に納得したのだろう。

「おはよ」

 少女は白い歯を見せながら、和やかに挨拶あいさつをする。

 雪は止む気配がなく、ずっと降り積もっていた。

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