趙雲5 その死と諡のこと

漢中かんちゅう戦から二年後、

趙雲ちょううんも死んだ。順平じゅんへい侯とおくりなされた。


ところで諡だが、

劉備りゅうびが生きていた時代には、

法正ほうせいだけが貰っていた状態だった。


しょく攻略、そして対夏侯淵かこうえん戦に

辣腕を振るった名軍師だ。

もちろん、諡されるのに

ふさわしい人物ではあった。


時が下り、劉禅りゅうぜんのころ。

諸葛亮しょかつりょうの功績なんぞは言うまでもない。

忠武ちゅうぶ侯と諡されている。

諸葛亮亡き後の蜀を支えた

蔣琬しょうえん費禕ひいの功績も特筆すべきものだ。

きょう侯、けい侯とそれぞれ諡された。


陳祗ちんしは劉禅の寵を受け、

蔣琬、費禕と言った辣腕宰相亡き後の

蜀を、それでも何とか支えてくれた。

だから、ちゅう侯。


夏侯霸かこうはより帰属、

そして蜀を支えてくれた。

なので、……あれ、夏侯覇の諡ってなに?


そんなノリになってきたから、

関羽かんう張飛ちょうひ馬超ばちょう龐統ほうとう黃忠こうちゅう

そして趙雲ちょううんも諡されることになった。


改めて、みんなが彼らを

褒め称えたそうである。



趙雲死後、息子の趙統が爵位を継いだ。

その地位は虎賁中郎,督行領軍になった。


また、その弟の趙広。

かれは牙門將となり、姜維に従い出陣、

陣中で戦死した。




七年卒,追諡順平侯。初,先主時,惟法正見諡;後主時,諸葛亮功德蓋世,蔣琬、費禕荷國之重,亦見諡;陳祗寵待,特加殊獎,夏侯霸遠來歸國,故複得諡;於是關羽、張飛、馬超、龐統、黃忠及雲乃追諡,時論以為榮。

雲子統嗣,官至虎賁中郎,督行領軍。次子廣,牙門將,隨姜維遝中,臨陳戰死。


七年に卒す、追って順平侯と諡す。初にして、先主の時、惟だ法正が諡さるを見る。後主の時、諸葛亮が功德の世を蓋い、蔣琬、費禕の國の重を荷し、亦た諡さるを見る。陳祗の寵待され、特に殊に獎さるを加わり、夏侯霸は遠きより來たりて國に歸し、故に複た諡を得る。是れに於いて關羽、張飛、馬超、龐統、黃忠、及び雲に乃ち追って諡され、時の論にては以て榮えと為す。

雲が子の統が嗣ぎ、官は虎賁中郎に至り、領軍を行して督す。次子の廣は牙門將、隨姜維が遝中にて、陳びたるに臨み戰いて死す。

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