馬超 孟起
馬超1 涼州の風
かれについては、
先にそちらを紹介しよう。
かれの父親は、
西のかた、
この乱、待遇改善のための
デモ的なものとみなされていたようだ。
190年、馬騰と韓遂が
韓遂は
馬騰は
それぞれに辞令が下った。
ただ、待遇云々の
話でもなかったのだろう。
馬騰は更に反乱を起こすが、
これはすぐさま制圧された。
なので馬騰、涼州に逃亡。
さて、時の長安城守備責任者は、
あの鍾会、
反乱を起こし、そして
あえなく討伐された、あの鍾会の父だ。
馬騰らの反乱を受けて荒廃した長安周辺。
ここで鍾繇は考える。
乱は乱をもっておさめるべし。
馬騰と韓遂に書状を送った。
長安周辺の賊を討伐してくれれば、
反乱の罪は不問にするぞ、と。
そこで馬騰、長男の馬超を派遣。
鍾繇に従って平陽まで出征させ、
そして平陽では、馬超の配下将、
自らの剣でもって郭援の首をとった。
後日、馬騰と韓遂が不和となったため、
馬騰、長安入りを希望した。
そこで馬騰、守備隊に取り立てられた。
涼州に残された馬騰軍は、
そのまま馬超が継承。
合わせて馬超は
都亭侯に封じられた。
馬超字孟起,右扶風茂陵人也。父騰,靈帝末與邊章、韓遂等俱起事於西州。初平三年,遂、騰率眾詣長安。漢朝以遂為鎮西將軍,遣還金城,騰為征西將軍,遣屯郿。後騰襲長安,敗走,退還涼州。司隸校尉鍾繇鎮關中,移書遂、騰,為陳禍福。騰遣超隨繇討郭援、高幹於平陽,超將龐德親斬援首。後騰與韓遂不和,求還京畿。於是徵為衛尉,以超為偏將軍,封都亭侯,領騰部曲。
馬超は字を孟起、右扶風の茂陵の人なり。父は騰、靈帝の末に邊章、韓遂らと俱に西州にて事を起こす。初平三年、遂や騰は眾を率いて長安に詣づ。漢朝は遂を以て鎮西將軍と為し、還金城へ遣る。騰を以て征西將軍と為し、遣って郿に屯せしむ。後に騰は長安を襲えど敗走し、退きて涼州に還る。司隸校尉の鍾繇の關中に鎮せるに、書を移して遂、騰の為したる禍福を陳ぶ。騰は超をして遣わせ繇の郭援や高幹を平陽にて討ちたるに隨わさしむれば、超が將の龐德は親しく援が首を斬る。後にして騰は韓遂を和せざられば、京畿に還りたるを求む。是れに於いて徵され衛尉と為りたらば、超を以て偏將軍と為し、都亭侯に封じ、騰が部曲を領ぜしむ。
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