旧友との再会②
清水はテーブルの上の伝票を持ち、立ち上がった。
それに続いて立ち上がった俺は、清水と共にレジへと向かう。
自分が奢る、俺が奢ると、俺達はレジの前で攻防を繰り広げた。
そして戦いを制した俺は、誇らしく財布から取り出した金で料金を支払うと、清水と共に店を出た。
「ごちそうさま」
清水は深々と頭を下げ、礼を言ってきた。
「おぅ!…なぁ、どっか飲み行かないか?」
久々に会ったのだ。
まだまだ語り足りない俺は、飲みに誘った。
「おぅ!飲みに行くか!」
「…どこ行く?清水、この辺詳しい?」
「詳しいよ…響は女がいる店がいいのか?」
「ん?キャバクラとかか?清水は行きたいのか?」
「いや、響がそれを望んでないなら、行かなくていい」
俺も男だ。
微塵も望んでないと言えば嘘になる。
だが、久しぶりに会った友。
二人きりで話がしたい。
「普通の居酒屋とかにしようぜ」
「そうか…どこがいいかなー?…あっ!響、キャビア好きか?」
「キャビア?好きだよ。一度も食べたことないけど、多分好き」
「貰い物のキャビアが家にあるんだけど、俺の家近いから、それツマミにして酒飲むか?」
「おっ、いいね!清水の家で飲もうぜ!」
行き先も決まり、俺達は清水宅へと向かう事となった。
途中コンビニに寄り、酒とツマミを買い揃え、清水宅の前に着いたのは、それから二十分程経った頃だ。
「…凄えな」
俺は、自分の住むおんぼろアパートを思い浮かべながら呟いた。
目の前に聳え立つのは、家賃がいくらか想像も付かない程の高級感満点のマンション。
俺は恐縮しながら清水の後を追って、エレベーターに乗った。
「…広っ」
最上階の八階にある清水の部屋に入り、俺はまた呟いた。
「…家賃、高いだろ?」
俺はたまらず、清水に尋ねた。
「ん?そんなでもないぜ。築何十年も経ってるし、セキュリティーも付いてないしな」
「セキュリティー付いてないと、安いのか…」
確かに、高そうなマンションにありがちな、エントランスでの、ロックを解除する作業は無かった。
防犯カメラぐらいしか、セキュリティーは付いていないのかもしれない。
だがしかし、俺のアパートの家賃より、安い筈がない。
俺は部屋の中を遠慮気味にキョロキョロと見回し、静かに頷いた。
「そんな事より、早く飲もうぜ」
清水はそう言うと、台所の方へと走って行く。
俺は清水を待つ間、座るように勧められた高そうな漆黒の皮のソファーに腰掛ける事なく、壁際に飾られている様々な置物や絵画を見ながら暇を潰した。
そして暇潰しだったはずの鑑賞に夢中になっていると、いつの間にか準備を済ませていた清水が、テーブルから俺を手招いていた。
「乾杯!」
清水の乾杯の音頭を皮切りに、俺達の宴会はスタートした。
「響、キャビアいっぱいあるからな」
清水は、クラッカーにキャビアを載せた物を俺に手渡した。
「サンキュー」
俺はクラッカーをちびりと一口かじり、目を閉じる。
キャビアの塩辛さと旨味が口の中に広がる。
ゆっくりと噛み砕いたクラッカーを喉の奥に流し込むと、俺は缶ビールをぐいっと飲み込んだ。
「…うめぇ」
素直な感想が、俺の口からこぼれ出す。
「ははは!うまいか!」
清水はクラッカーを頬張りながら、愉快そうに笑った。
美味いツマミに、酒のピッチも上がっていく。
俺達はお互いの近況報告をしながら、酒を馬鹿みたいに飲んだ。
「…そうか響、今無職なんだ」
俺が無職である事を話した途端、清水は悲しそうな顔をした。
「おいおい、お前が暗くなるなよ!元気だせよ!」
立場は逆な筈だが、俺は清水を励ますように、元気付けた。
『人の痛みが分かる所は、昔と変わらないな』
俺はそう思い、悲壮感漂う清水の顔を見詰める。
「…なぁ、昔の話しようぜ!」
俺はしみったれた酒が嫌いだ。
話を変えよう。
「…昔話か…俺達もおじさんになったんだな」
「そうだな…もうおじさんて呼んでいい歳だな…」
「お前、誰か連絡取ってる奴いるか?」
「ん?…いないな…響はいるのか?」
「俺もいないな…みんな結婚とかしてるのかな?」
「祐二は結婚したぜ…そういえば響、祐二の結婚式出なかったな」
「えっ?いつ結婚したんだ祐二…俺、呼ばれてないよ」
「んーと…五年ぐらい前かな…他の奴等は来てたんだけどな」
「…あ!俺の所にも招待状来てたわ!仕事休めなくて行けなかったんだ」
「そうか…だよな!俺達のリーダーの響が、招待されない訳ないよな」
「ははは、忘れてたわ!」
祐二というのは、田宮祐二という男で、清水と同様、俺と小学校から高校まで一緒だった親友の一人だ。
それからも昔話は尽きない中、酒を飲んでいるせいか、俺はまるで昔に戻ったような感覚に陥っていった。
「…はははは、だな」
清水は話の途中、不意にリモコンを手に取り、テレビを点けた。
「あいつらも親父になってんだろうな」
俺は、テレビの音をBGM代わりに話を続ける。
「…うん」
清水の返事が、上の空に感じた。
清水は俺の顔を見ずに、テレビを見ている。
いや、見入っていると言った方が正解かもしれない。
俺は、清水が見いっているテレビの画面に視線を移した。
「…自殺した原因は、虐めによるものと思われます」
薄めの化粧をした女性アナウンサーの言葉に、俺は反応した。
「…虐め」
俺は呟く。
「…ん?」
清水は、俺の呟きに反応した。
自殺の原因が虐め…
俺の体は不愉快で満たされた。
そしてそれはやがて、自殺した者を死へと追い詰めた奴等に対して、不愉快以上のドス黒い気持ちへと変わっていく。
「…悪り、俺この時間、ニュース見るのが習慣なんだ。小説のヒントになるから」
ドス黒い感情に包まれる俺に、清水は笑い掛けた。
「…ん?あぁ」
今度は、俺が上の空で返事をした。
その後も、俺はニュースに釘付けになった。
テレビ画面は、自殺した少年が通っていた、中学校らしき風景を映している。
俺は清水との会話を止め、テレビに集中した。
ナレーターは、まだ14歳の少年が、虐めを苦に自殺したと語っている。
その少年は、自分が住むマンションのベランダから、遺書を残し、身を投げた。
そしてその遺書には、同級生から受けた虐めの内容が、鮮明に書かれていた。
虐めた奴等も十四歳。
まだ子供だ。
しかし俺はいくら子供でも、虐めていた奴等を許せなかった。
「…響?」
清水が不安そうに語り掛けてきた。
「…ん?なんだ?」
「どうした響?なんか恐い顔してるぜ?なんかあったか?」
「…いや、今のニュース見てたら、なんか腹立ってきた…悪り悪り」
「自殺したニュースか?」
「あぁ」
「なんで腹立つんだ?知り合いかなんかか?」
清水は不思議そうな顔をしている。
「いや、別に知り合いじゃないけど…虐めが許せないんだ」
「へぇ…正義感強いんだな」
「正義感の問題か?虐めはよくないだろ」
「確かに悪い事だな……俺も昔、虐めをしてたけどな」
そう言った清水は、ばつの悪そうな顔をしている。
「…小学校の時のあれか?」
「…あぁ」
清水はでかい体を縮こませた。
先日貴明に話した、いじめっこの一人が、この清水だったのだ。
「あの時、響に殴られて、虐めを止めたんだよな」
「…そうだな」
「殴られて、初めて虐めが悪い事だって、気付かされた」
「うん」
「響のおかげで虐めてた子も、俺も救われたんだよな」
「…お前も救われたのか?」
「あぁ、響に感謝してんだぜ」
「…そうか」
清水の真っ直ぐな視線を感じながら、俺はビールを口に含んだ。
虐めが悪い事だと認識してくれたのが、俺が原因であると聞かされ、嬉しかった。
そして、大切な仲間が虐めは悪だと思ってくれている事が、嬉しかったのだ。
俺達はその後、また昔話で盛り上がった。
そして俺は、最後の缶ビールを空にした。
壁に掛けられている時計を見ると、時刻は夜の九時を過ぎている。
最終電車の時間まではまだまだ余裕はあるが、俺は帰る事にした。
「また、飲もうぜ」
俺達は携帯電話の番号を交換した後、固くそう誓った。
「じゃあな」
「またな」
清水は玄関先まで見送ってくれ、優しげに手を振った。
エレベーターを使い、下へと降り、エントランスを抜け、マンションから出ると、ほろ酔いのせいか、少しフラフラとしながら駅へと向かった。
夜風が涼しく、酒で火照った体を和らげてくれる。
そして駅に着いた俺は、電車に乗り込んだ。
帰宅ラッシュを少し過ぎたおかげか、座席は僅かだが空いている。
その僅かに残された座席の隙間に、尻を優しく置くと、特にやることもないので、俺は目を閉じた。
電車の揺れが、ゆりかごのように心地良い。
俺は知らぬ間に寝息を立てていた。
目を覚ますと、窓の外には、見覚えのある風景が広がっていた。
その景色は、窓枠の中に書かれた精巧な絵画のように、動かない。
どうやら電車は何処かの駅に着き、停まっているようだ。
しかし、確かに見覚えがある。
今見ているのは、俺が住むアパートの最寄り駅の景色と似ている。
いや、似ているなんてものではない。
全く同じと言っても過言ではないだろう。
それもその筈だ。
ホームに立つ看板の駅名を見ると、俺が住むアパートの最寄り駅の名前だった。
つまりはアパートに帰るには、この駅で降りなければならないという事だ。
俺は目を見開き、急いで電車から駆け降りた。
そして呼吸を整え、ホームから改札へと繋ぐ階段を登りながら、切符を取り出そうとポケットをまさぐった。
上着のポケットにはない。
ズボンの前ポケットを左、右と探るも切符はなかった。
最後に尻のポケットを探ると切符が出てきた。
一安心だ。
「…ん?」
切符を手に、俺は固まった。
そして全てのポケットを、もう一度まさぐった。
…ない。
ないのだ。
家の鍵が付いている、キーホルダーが見当たらないのだ。
何処でなくしたんだ?
酔いで頭がうまく回らないが、俺は目を閉じ思い出そうとした。
家を出る時は、確かに鍵を閉めた。
「…あっ!」
俺は思い出した。
今時、珍しいタイプの古い鍵を見せたくて、清水の部屋でキーホルダーをポケットから取り出した。
あの時、そのまま机に置いた気がする。
俺は先程登録したばかりの、清水の携帯に電話を掛けた。
しかし、発信の音が鳴り続けるだけで、出る気配がない。
そしてその内、留守番電話へと繋がってしまった。
少し時間を置き、もう一度掛け直したが、やはり清水は電話には出なかった。
「寝たかな?」
俺はそう思ったが、鍵がないと家に入れない。
迷惑かと思いつつも、俺は清水の家に戻る事にした。
電車に揺られ、四十分程して、清水の部屋があるマンションの最寄り駅に着いた。
そして駅を出ると、小走りで、清水の部屋まで急いだ。
「ピンポーン」
清水の家の玄関の前、俺はインターホーンを押した。
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