友人との語らい

友人との語らい

俺の名前は日向響。


三十六歳だ。


肩に鷹を止めていないし、鎧を着て出勤もしない。


何処にでもいるような、三十六歳の男だ。


しかし世間一般的な三十六歳と比較した時、俺には明らかに変わっている点がある。


それは働いていない事だ。


学校に通う学生でもない俺は、無職という事になる。


今風に言うならば、自宅警備員といったところだろうか。


しかし俺は、ずっと無職な訳ではない。


先月、十六年間働いた会社を退職したばかりだ。


やっていたのは、俗にいう肉体労働と呼ばれるお仕事。


長いことやっていたおかげか、筋肉質な体付きとなった。


俺は十六年前に実家を出ている。


そして、今も住んでいるこのアパートで、初めての一人暮らしを始めた。


そんな俺の毎日は、何の代わり映えもしないものだった。


毎朝早く起きて、仕事に出かける。


そして帰ってきては、飯を喰らい酒を飲み、眠りに就いた。


そんな平凡な日々を、ただただ、繰り返していたのだ。


そして俺は、自分ではブサイクとは思わないが、出会いがなかったせいか、今だ独身貴族を気取っている。


職を失ってから、もう直ぐ一カ月。


こまかい奴もいるだろうから、正確にいうと二十五日だ。


しかし、俺は未だに仕事を探そうとはしていない。


少しのんびりするつもりだ。


いい年した男がこんな事を言うと、笑われるかもしれないが、可能ならば、俺は音楽で喰っていきたいと思っている。


俺は十六年前に捨てた夢を、もう一度追い掛ける事にしたのだ。


だからしばらくは仕事を探さず、この築四十年のおんぼろアパートの中で、ギター片手に曲をひたすら作り続けるつもりだ。


生活はどうするんだ?


そんな声が聞こえてきそうだ。


ならば、お答えしよう。


俺が住むアパートは、見るからに安アパートだ。


いや、見るからにではなく、実際に安い。


風呂とトイレが別で、六畳の部屋が二つ。


それにキッチンが、きっちんと付いている。


おまけに駐車場まで付いて、家賃が管理費込みで三万円を切る。


この地域の他の物件と比べても、破格の値段と言えるかもしれない。


何故、そんなにも安いんだ?


そんな声が聞こえてきそうだ。


ならば、お答えしよう。


理由は簡単。


外観がボロボロだからだ。


いや、ボロボロではなく、ズタボロと呼べるかもしれない。


しかし、その外観からは信じられない程、部屋の中は綺麗だ。


雨漏りもしなければ、隙間風も一切入ってはこない。


物件を紹介している訳ではないから、アパートの説明は止めるとして、俺はこんな安アパートから、一度も引っ越さなかったお陰で、貯金をする事が出来ていたのだ。


おまけに退職金が、想像の範疇を越える額入った。


故に、一千万円近い金が俺の銀行口座に眠っている。


まぁ、その半分以上が退職金である事はここだけの話だがな。


それだけあれば、養う家族もいる訳ではないし、一年ぐらい働かなくても大丈夫だろう。


そんな多忙な俺の今日のスケジュールは、スナックで知り合った十年来の友達と、俺の部屋で酒を飲む事になっている。


「コンコン」


玄関からそんな音が聞こえた。


キタキツネか?


俺はゴミで散らかった部屋から抜け出すと、玄関のドアを開けた。


「よー!響!」


キタキツネではない。


明らかに人間だ。


玄関のドアをノックした秋上貴明が、コンビニの袋をぶら下げて笑顔を浮かべている。


「よー、入れよ!」


「おじゃましまーす」


親しき仲にも礼儀あり精神豊富な貴明は、挨拶をしながら上がり込んだ。


「酒とつまみ、いっぱい買ってきたからな!今日は朝までコースか!?」


貴明は相変わらずのテンションで、酒を飲む前から、実に楽しそうだ。


貴明とは同い年という事もあるのか、話も合うし、気も合う。


そんな貴明は、体を鍛えるのが趣味な上に、肉体労働をしている。


俺よりも、一回り、いや、二回りも筋肉質な体型をしているのだ。


その体型は、ゴリラと見間違える程だ。


「あれ?響、顔どうしたんだ?」


貴明は。俺の顔をまじまじと見詰め言った。


「ん?あぁ、これか?三日ぐらい前に、階段で転けたんだ」


俺は目元の青たんを擦りながら、痛がってみせる。


「そっか…また酒に酔って、転んだんだろ」


「正解!」


俺は貴明の答えに、親指を突き出した。


「まあ、とにかく飲もうぜ!」


酒を飲みたくてうずうずしている俺は、貴明からコンビニの袋を引ったくると、テーブルの上にばら蒔いた。


寂しかったテーブルの上を、色取り取りのつまみ達が、鮮やかに色付けていく。


しかし、相変わらず貴明のつまみのセンスは抜群だ。


俺の大好きな、魚肉ソーセージがたくさんありやがる。


「カンパーイ!」


満面寝顔を浮かべる貴明は、缶ビールを俺に突き出した。


俺はキンキンに冷えた缶ビールを受け取ると、貴明と乾杯を交わす。


こうして、今夜の宴は始まった。


お姉ちゃん達のいない、野郎二人きりの宴会は、三十分を経過した。


正にほろ酔い。


そんな気分だ。


それに比べ、酒の弱い貴明は、すでに出来上がってる様子だ。


「…響、お前の武勇伝を聞かせてくれよ!」


貴明が、突然叫んだ。


こいつは学生の時はヤンキーで、この手の話が昔から好きな奴なんだ。


「武勇伝?…そうだな、去年の話だけど、貴明に話したような…」


「いいよ、聞いてても!また話してくれよ!」


「分かった分かった!そう大声でがなるなよ!近所迷惑になるからな!」


俺も負けじと、大声を上げ注意した。


そして瞳でめっと叱った後、話した記憶があるものの、武勇伝とやらを語り出した。


「…去年の冬、俺は仕事を終えて帰ってたんだ。そしたら五、六人が、一人の学生をリンチしてたんだよ」


「おー!あの話か!聞いたことあるけど、また聞きたい!」


「それでな俺ほら、虐めとか許せない性格だろ。気付いたら、そいつらに近寄ってたんだ」


「おー!それで響が、ガキ達を追っ払ったんだよな!」


「あぁ、でも相手がナイフ出した時は、さすがに焦ったな」


「でも刺されはしなかったんだよな」


「まぁな。昔、合気道やっててよかったぜ」


「でも響、正義感、異様に強いよな?」


「正義感は強いほうかもな?でも、虐めだけは絶体に許せないんだよな、昔から」


「でも、ナイフ出したんだろ?刺されてたかも知れないぜ」


「…そうだな…でも虐め見ると、体が勝手に動くんだよな」


「響、いつからそんな風になったんだ?」


「…いつからかな?」


俺は首を捻り、天井を見上げた。


俺は貴明同様に、学生時代は所謂ヤンキーと呼ばれる部類に属していた。


しかし、弱い者虐めはした事がない。


弱きを守り、強きに立ち向かう。


それが俺のポリシーだ。


ビールを口にぐいっと流し込み、俺は口を開いた。


「…最初に虐められてた子を助けたのは、小学生の時だったな」


「ん?小学生の時?その話は、聞いた事ないな」


そう言った貴明は、するめを引き裂きながら、何故か嬉しそうな顔をしている。


「あぁ、小三の時だったな。俺と仲良かった奴等が、一人の子を虐めてたんだ」


「…それで響は、どうしたんだ?」


「俺は虐めてた奴等を全員ぶん殴った。そしたら、虐めは収まったよ」


「そんな、昔から手が早かったんか?」


「おい!手が早いって、貴明の方が喧嘩っ早いだろうが!」


「ん?そうか?」


「いつも揉め事の中に突っ込んでいくだろう?俺達三十六歳だぜ…大人になろうよ」


「あぁ、そういえば俺、揉め事見ると突っ込んで行くな」


貴明はそう言うと、誉められていると思っているのか、にやりと笑った。


「…まったく」


俺は貴明の笑顔を見て、あきれて笑うしかなかった。


「それから、虐められてた奴はどうしたんだ?」


貴明は急に、顔付きをきりりと変えた。


「ん?たしか…すぐに転校してったな」


「…そうか」


話が暗い方向に転がり、部屋の中はシーンと静まり返った。


そんな空気に堪えられず、先に言葉を発したのは俺の方だ。


「…しかし、あんなに喧嘩してて、よく警察に捕まらないよな貴明」


「そうだな!世界の七不思議だな!」


「ははは…っておい!」


俺達はいつもの調子に戻り、漫才みたいな会話をつまみに、再び酒を飲み始めた。


「でも、響。俺もそうだけど、響も気を付けろよ」


「ん?何が?」


「俺達、いつ刺されてもおかしくないぜ。下手すりゃ死んじまうかもな」


「…そうだな、でもいじめを見ると体が勝手に動くんだよな」


「俺も揉め事見ると、体が勝手に動くんだよな!」


「こら、俺と貴明を一緒にするな!」


「ははははは!」


貴明は豪快に笑い、酒が弱いのに、豪快にビールを飲み干した。


「まぁ、俺は喧嘩は卒業するよ…彼女と結婚考えてるしな」


貴明は彼女の事を思い浮かべているのか、とても幸せそうな顔で、そう言った。


「いよいよ、腹据えたか!めでたいな!」


「あぁ、めでたいな!今日は祝い酒だな!」


再び乾杯を交わすと、俺達は朝まで飲み続けた。

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