2-10

 ナイフを取り出して、力なく垂れ下がった触覚を刈り取ってしまう。

 触覚が二本揃ってようやく橋百足一体の討伐と認められる。換金は触覚が三揃いからだから、あと少なくとも二体は討伐しなければならない。

 つるりとした頭を眺めてみる。私の手の中には鞭が握られていた。

 何か引っかかるものが自分の中にあって、霜が降りているままの橋百足の足を掴んでぐるりとひっくり返す。


「あ、生まれたばっかりだ。そりゃ、柔らかいわけだ」


 と、自然と声が漏れていた。

 妙に納得のいった頭で橋百足の柔らかく白い腹を眺めていた。

 氷が刺さったことにも、鞭で簡単に頭が割れてしまったことにも違和感を感じていたのだ。だが、体まだ固まっていなかったのだとわかればなんてことはなかった。

 全長は三メートルほどあるが、体が硬くならないうちに三メートルを超すとなると、頬っておいたならさらに大きくなっていただろう。それこそ、川を渡れるほどには。嫌な予感がしてあたりを見回した。

 道には新しい倒木が多かった。あれは橋百足の幼体たちの仕業に違いない。橋百足は樹上に卵を数個産み付ける。体が小さいうちは橋百足は木の上で兄弟で固まって小鳥や虫を食べて過ごすが、体長が一メートルを超える頃に重さに耐えかねて木から落ちてくるのだ。しかし、急速に大きくなった橋百足の重さに耐えきれず木の幹が折れることもある。

 ひっくり返した橋百足を見て血の気が引いた。


「もう二、三匹いるかもしんないな」


 思わず口からそんな言葉が出ていた。嫌な予感をかき消すつもりだったのだろうか。

 急に心細くなる。

 今魔法が使えているからと言って、いつまた魔力が底をつくかはわからない。そうなれば、私はもれなく肉食の彼らの餌になる。


「エマ?」


「ああ、ニコ。怪我はない?」


「俺は、大丈夫だけど……」


 と気づかわし気な視線に気が付いて頷く。


「私も平気よ」


 と、落ち着かない様子のニコの肩に手を添えた。

 髪の毛の間から黒い瞳が橋百足のことを見ている。


「あれが魔法?」


 と、ニコが溶けかけている氷の槍を指さして言った。黒い瞳を見張っている。声音から興奮が隠しきれていない。

 私も初めて魔法を見た時はこんなだったのかしら、と少しぬるい気持ちに浸りながら頷いた。

 おそらく、私が初めて見た魔法は母の物だろう。

 恐る恐る槍に近づいて、突いている姿を少し離れた所から見守っていた。別に、足が生えて逃げ出したり、突然霧散したりはしない。魔法で作られたただの氷だ。

 しばらくして、氷が解けた水で手を濡らしたニコが私の方へと振り向いた。タオルでも欲しいのかと思って、自分のカバンを漁っていたが、口を開いた彼の頭は疑問でいっぱいだったようだ。


「あの、鞭のやつは?」


「あれは魔道具」


「魔道具?」


 オウム返しをされて少し考え込んでしまう。確かに、魔法に馴染みがなければ意味の分からない言葉だと思った。ニコと私の間には驚くほど深く常識の差がある。 


「えーっと、魔力を使う道具って言ったらいいのかな?」


「魔力がなければ使えないってこと?」


「いいえ」


 こんな風に会話をしているうちに少しずつでもこの常識の差が埋まればいいのにと思う。


「魔力を一緒に使うとさらに便利になるって言うのが一番近いのかなぁ?」


 ニコに伝わりそうなうまい言葉が見つからず、首を傾げてしまう。今後、彼に魔法を教えるなら、その部分も考えなければならない。

 まずは、何を知っていて、何を知らないのかを確認しなければならないのだ。

 一対一で教えられるから、できる限りはニコに合わせてあげたほうがいい。


「私は魔力が少ないから、魔法石を埋め込んだ鞭を使っているけど、魔力が高い人はそのまま直接流し込んで使ってると思う」


 しっくりこなかったようで、ニコが不思議そうに首を傾げていた。私もこれ以上はうまい説明が見つからない。先生は何と説明していただろうか、と記憶を引っ掻き回したが、幼いころに何も説明を受けずに魔道具を渡されたのを思い出した。


『習うより慣れろ、でしょ』


 と、笑う白髪の男の顔が出てくる。

 決して間違ってはいないので、先生の言葉に従うことにした。決して考えるのが億劫だったわけではないのだ。

 私が護身用にと持たされている短剣の形をした魔道具をホルダーごとニコに渡しておく。魔道具に慣れてもらうという意味もあったが、橋百足がまだ近くにいるかもしれな状況で、丸腰というのは何とも可哀そうだったからだ。

 それに、祝福の魔法を持ていない私ではニコがケガをしても治してやれない。

 なら、怪我を極力回避しておらうしか方法はないのだ。


「これも魔道具?」


「そうよ」


「短剣だね」


「そうね」


 呪いが施された鞘から短剣を引き抜いて、ニコが珍し気に短剣を眺めている。魔道具とは言うものの、見た目は普通の短剣と変わらないものだ。投信の根元に、魔道具の作者の名前が彫り込まれている。


「刃に当たった魔力に反応して電流が流れる仕組みよ。魔力が強い人が使うほど威力が上がるわ。くれぐれも、人には向けないようにね」


「へー」


 電撃が流れるタイプの魔道具は年に数件死亡事故が報告されている。ニコは分別のない子供ではないから、もちろん人に向けたりはしないだろうが、一応釘をさしておく。何かあってからでは遅いのだ。


「間違えても自分にあてたらだめだよ。ニコは魔力が強いから丸焦げになるわ」


「き、気を付ける」


「そうね」


 と、至極単純な安全策に頷いた時だった。

 後ろに大きな気配を感じる。

 体を捻るようにして後ろを見やれば、先ほどの橋百足よりも大きい個体が、上半身をもたげて、大きな口を開けていた。肉のない私の体から、それでも肉をこそぎ取ろうというのだろう。体に悪いことと言えばタバコ位だから、内臓はさぞうまいに決まっている。

 暢気なことを頭は考えていた。

 逃げなければと思うが、体がすくむ。心臓が縮み上がって、体にぎゅっと力が入った。もつれる思考の中で咄嗟に防御魔法を描き出したその時――


「エマ!」


 と、ニコの声がして、私の腕を強く引いた。

 強張った体が一方向にかかった力に上手く順応できずにぐらりと倒れていく。視界の中では、良く磨かれた短い刀身がきらりと光っていた。

 突き出た切っ先が、橋百足の幅の広い体に触れたその瞬間。

 目の前で雷が走る。

 眩しい。

 爆発が起きたのかと思うほどの光が瞬く。

 驚いて目をつむるが、随分と遅かったらしい。目の中は真っ白だった。

 焦げ臭いにおいが鼻をつく。

 ゆっくりと目を開ければ、そこには口の中から煙を吐く橋百足と、情けない顔でこちらを見るニコがいた。

 橋百足が傾いでそのまま倒れる。地面がズン、と揺れた。


「わお」


 と尻もちをついたまま感嘆が一番初めに口から流れ出た。


「人に向けたら、きっとこんな丸焦げでは済まないよ」


「か、返す」


「あげるわよ」


 大急ぎで刀身をしまったニコが、私に短剣を突き返してくる。顔色は悪い。

 おそらく、威力に驚いたのだろう。


「今後、武器がないと困るでしょ」


「でも、エマもこれがないと困るよ。こんなに強い武器なのに……。俺は、自分で何とかするから……」


「私が使ってもそこまでの威力は出ないわよ」


「でも、やっぱり……」


「何遠慮してるのよ。魔物に素手で立ち向かのはそれこそ危険でしょ」


 と、押し切ってニコのズボンのベルトに短剣を戻してしまう。

 あんなに威力が出るのなら、あの短剣だってニコに持っていてもらったほうが嬉しいに決まっているだろう。それに、作者も喜ぶに違いない。


「さっそく実地訓練ができてよかったわね?」


「冗談言わないでよ」


「冗談じゃないわ」


 なんて、冗談を言っていると、ニコが恐る恐る私の手を握って立ち上がらせてくれる。手つきは優しかった。温かい手に少し安心する。

 心臓の鐘はいつも通りに戻っていた。 


「け、怪我ない?」


「ニコが守ってくれたからね」


「ち、ちがくて……」


「……?」


 変に言いよどむニコに首を傾げる。何か気になることがあるに違いない。この男、意外と繊細なのだ。


「腕、強く掴んじゃったから。あざになってないかと……」


「あら……」


 ほら、やっぱり繊細だった。どうやら私のことを子供が手遊びに使う人形か何かと思っているらしい。中に綿でも詰まっていると思っているのか。


「そんなにか弱くないから心配しないで」


 と、ニコに捕まれた部分をちらりと見やってから返事をする。そんなことより、私は彼に言わなければならないことがあるのだ。


「助かったわ。ありがとう」


「え、いや……」


「ニコがいなかったらそれこそケガじゃすまなかったかも」


「お、俺は何も……」


「ありがとう、ニコ」


 変に謙遜しようとするニコに詰め寄る。私は気づいてしまったのだ。ニコは、誰かから何かをもらうことが非常に苦手だ。物にしろ、食べ物にしろ、親切にしろ、感謝にしろ。ともかく、礼位は素直にもらっておいてもらわなければ、こちらの気が済まない。大人として、普通の人間としてプライド位私にだってあるのだから。


「あなたのおかげで助かったわ」


 それは事実だった。

 ぐっと距離を詰めて、彼の手を握ってやる。下から覗き見れば、黒い瞳は狼狽えるようにあちらこちらへと泳いでいた。

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