2-9

 草を踏み分けると、靴の先が固いものに当たった。それに続いて赤紫色っぽい尻尾が、がさりと動いて逃げていくのが見えた。草むらが一直線に揺れている。


「見つけた!」


 と思わず口からこぼしてしまう。

 逃げていくその目当ての物を追いかけると、ニコも何事かとついてきていた。

 今回の依頼で討伐対象になっているのは橋百足と一般的に呼ばれている虫型の魔物だ。大型の魔物に分類されてはいるが、今の時期の橋百足はまだ小さい個体が多い。私が見つけた個体も三メートルか、四メートルがいいところだろう。しかし、放っておくと、本当に川を渡れるほどの大きさまで成長することがある。『道に続かない橋には気をつけろ』というのは冒険者の中でもよく聞く脅し文句だった。春頃が孵化の季節で、このころは一斉にあちこちの森で橋百足の討伐依頼が出るのだ。

 しかも、この魔物は厄介で、成長速度がまちまちなのである。突然大きくなって三日で手が付けられなくなるものもいれば、成長がゆっくりで秋ごろになってもまだ三、四メートルを超えないものもいる。成長の早いものは季節が一巡りするころには寿命を迎えるが、成長の遅いものの中には何十年も生きるものもいるというのを本で読んだことがあった。

 攻撃性が非常に強く肉食で、時には家畜や人間も襲う。橋百足に子供が食い殺されるという話は秋ごろによく聞く話だった。

 ぐりぐりと左右に揺れる体が、草を一直線に掻き分けていく。

 木の根に足を取られて転びそうになった瞬間に、追いつくのは難しそうだなと思う。もう少し大きい個体なら、見逃してしまうのもありだったが、三メートルの個体は私だけでもなんとか討伐できる。依頼では三体の討伐から報奨金が出るから、これを逃すのは惜しい。

 体感的には森に入ってきて三時間だ。明日のお昼までに三体を狩るなら、こいつを逃すのは得策ではない。

 少し後ろを走っていたニコが話しかけてくる。息も切らしていないのが少し憎らしい。


「え、エマ。あれを捕まえるのか?」


「そうよ。何が何でも捕まえるわ」


 そう言って、呼吸を整えると、腕を前に突き出す。氷の冷たさを指先に捉えて、頭の中をあの濁った透明な塊で埋め尽くす。体の奥深くが一瞬冷えたような気がして目を瞬かせた。指の先から氷の槍を作るイメージを頭の中に貼り付けて、呪文を唱える。

「アイスツァプヘン・ランツェ!」

 私の腕ほどの太さにまで成長した氷の槍がひゅん、と音を立てて、ムカデの胴体を地面に縫い留める。

体を大きくうねらせて、槍から逃れようとしていたが、地面に深々と突き刺さったものからは簡単に体を抜くのは無理だろう。思っていたよりも深く突き刺さってしまっていたようで、かわいそうな気もするが、運が悪かったのだと自分に言い聞かせた。橋百足に言ったところで、彼は私の事情など理解できないのだから。

 橋百足に近づくと、縫い留められていない体半分を持ち上げて威嚇してくる。ニコより頭二つ分大きい。その大きさに圧倒されて、一瞬怯んでしまった。

 体を氷の槍で貫かれているのだ。苦しいだろう。早く終わらせてしまった方がいい。

 攻撃されない距離を取って、また橋百足へと腕を伸ばす。


「ドルン・ケッテ!」


 草の成長速度を操る魔法を唱えれば、地面からするすると伸びた蔦が橋百足の足を蔦で絡めとって地面に伏せさせる。蔦の中で蠢く姿に視線をやることはできなかった。

 長引かせるのはかわいそうだと思ってしまうのが、私のエゴであるのは十分わかっていたが、それでもなるべく苦痛を減らしてやらないといけないだろうと考える。

 腰にぶら下がっていた鞭を外すと、もう一度魔法を唱えるために、橋百足へと手を伸ばした。


「グラオ・フリーレン!」


 指の先を巻き込むほどの冷気で、橋百足の体を冷やしてやる。足元に霜が降りるのを見てハッとする。橋百足の動きを鈍らせるだけでいいのだ。魔力の無駄遣いをしていては、今後持たなくなる。それだけは避けたかった。

 どうにも、気持ちが入ってしまうと、魔力の制御が上手くいかないらしい。一から修業をし直した方がいいかもしれない。と、自嘲気味に笑うしかなかった。

 体が冷えたせいで、足の先を動かす程度しか抵抗をしなくなった橋百足に鞭を振るう。

 バチン、と大きな音がして、橋百足の頭は二つに割れた。思っていたよりも軽い力で割れてしまったそれに驚いてしまう。

 絶命した橋百足を目の前に呆然と立ち尽くす。

 不思議と疲れは感じていなかった。魔力が戻ってきているせいだろうか。だらりと垂れた鞭をまとめながら考える。

 いつもならばきっと、魔物を一体倒すだけでも膝をつくほど疲れ切っていたはずなのに。三度も連続で魔法を使ったが、これと言って自分の体に変化を感じないのだ。しいて言えば、まだ氷の魔法の感覚が指先に残っていることくらいだ。自分は変わっているつもりはなかったが、状況は確実に変化しているのだろう。

 それが悲しい。忘れまいと口でいくら言ったところで、体は確実に楽な方へ流されている。

 こと切れたと思っていた橋百足が、目の前で一度ビタンと大きく尾を揺らした。

 驚きで体が緊張する。短く息を吐いて、とうとう動かなくなったそれを見下ろしているしかなかった。

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