第二章

2-1

 まだ腫れている目を念入りに洗って魔法で冷やす。洗面台の鏡には眼の下に僅かに隈のできた女が映っていた。私だ。間違いなく。

 寝ぐせの跳ねた髪の毛を水で押さえつけて風の魔法で乾かす。

 古めかしいくせによく手入れの行き届いた洗面台が恨めしかった。鏡には水垢一つない。

 鏡に映る自分の顔をじっと見つめる。

 母によく似た薄緑色の瞳が覗き込んでくる。眉間には小さくしわが寄っていた。それを指先でほぐす。痕になったら困るから。

 昨日の出来事を気にしていては前に進めない。起きてしまったことは仕方がない。あきらめろ。と自分に言い聞かせた。

 僅かに赤い自分の顔をもう一度水で洗った。


―――――――

 

 主要な町にはどこでも傭兵や冒険者ギルドが存在していて、冒険者や傭兵たちはそこに集まって仕事を斡旋してもらう。私は一応組織に属して、手当をもらう立場ではあったが、今回ばかりは仕方がない。食い扶持が増えたのだから、その分は自分で稼ぐしかないのだ。

 心の中で首領に謝りながら、ルヴァドで一番大きい傭兵ギルドの門をくぐる。

 ニコは黙って私の後ろについてきていた。

 朝食の前に仕事をもらって、昼頃には出発したい。

 建物の中は広めのホールのようになっていて、鎧に身を包んだいかにも戦士という風貌の男や、黒いローブに身を包んだ怪しい集団、大きな杖を持った魔女だなと一目でわかるものまで顔ぶれは様々だった。だから、私たちが特に可笑しいということはない。男女ペアの冒険者など腐るほどいる。

 入り口近くの右側の壁が掲示板になっているらしく、大小さまざまな紙が所狭しと貼られていた。掲示板の前にある人垣をすり抜けて、掲示板の前に立つ。

 いつの間にか横に並んだニコの顔を仰ぎ見る。

 前髪は少し長いが、やはり整った顔だ。

 あたりをきょろきょろと伺っていたニコが視線に気が付いたのか、こちらに目を向けた。私の顔をじっとのぞき込むと嬉しそうに笑う。


「腫れは引いたみたいだね」


「おかげさまで」


「よかった」


 黒い瞳を細める彼は本当に私のことを心配していたようだった。昨日の夜から面倒をかけっぱなしである。

 いい大人が夜に泣き出したのを優しくなだめたのだから、できたやつだと褒めるべきなのか、お人よしだと笑うべきなのか。もちろん、私には笑う資格などないが。

 今の身分では私に気に入られようと努力するのは分かるのだが、それにしたって、度を越えているような気がしないでもない。それとも、そうしなければいけないほどに私が信頼されていないのか。

 昨日の事ばかりではなく、出会った日のことも思い出して、人に何かするのが苦じゃないタイプなのかと納得しようとするが、やはり腑に落ちないこともあった。

 ニコの顔を見やるが、もうすでに壁に張り出された依頼に釘付けである。

 壁一面に貼られた依頼書を見つめる。今日探しているのは一泊二日以内で帰ってこれる距離且つ、私の魔法で処理できる範囲の仕事だ。報奨金の高い討伐系の依頼が望ましいが、条件が合わなければ採取系の依頼も受けようと思っていた。

 魔法を使うのは少しためらわれるのだが、どうにも自分の中で魔力が回復しているような気がしてならないのだ。正確に測る装置は存在していないから、自分の感覚に頼らざるを得ないが、あの子たちを亡くしてから心もち体が軽かった。今まではずっと魔力が吸われ続けて回復することがほとんどなかったものが、少し溜まったような感じだ。

 昔、魔力の回復量は精神状態に強く影響されるという文研を読んだことがあった。そうなると、自分はもうあの惨劇から立ち直っているということになる。なんて薄情な奴なんだろうと自分でも思う。

 そんなことを考えていると、ニコの顔がすぐ近くにある。


「大丈夫か?」


 と眉根が寄っていた。どうやら、考え事に夢中になって足を止めていたらしい。

 頷くだけの返事をして、次の依頼書の前へ行く。

 簡単だが報酬の低い薬草採取の依頼、大きな魔物から鱗を集める仕事、季節的に増える魔物討伐の依頼、商社の荷物の護衛、子どものお守、魔物よけの魔方陣の制作、劇場の踊り子の募集。よく読んでみれば尽きない。こんなに真剣に依頼書を見たのは初めてだった。


「何かいい依頼があった?」


「あー、えっと」


 と隣のニコに話を振るが、ニコが軽く首を振ってしどろもどろになる。

 真剣な顔で掲示板を見ていたので、何か見つけたのかと思ったが、そうではないらしい。

 すぐに希望通りの依頼が見つかるとも思っていなかった。そのあと十分ほど壁を眺め、妥協に妥協を重ねて一枚の依頼書を手に取った。

 探していた討伐系の仕事だが、自分が主戦力としていた魔物がいなくなった分魔法と武器に頼る戦い方になってしまう。どの程度の配分で行こうかと頭の中で組み立てながら、普通の魔法使いはこんな風に旅をしているんだな、と思った。今までが特殊だっただけだ。これからは私も変わらなければならない。

 依頼の紙を持ってカウンターに行くと、壮年の眼付きの悪い男がじろりとニコの方を見た。


「魔法使い二人なんだけど、この依頼は受けられる?」


 と持ってきた依頼書を男に渡す。紙を受け取った男が、内容に目を向けるのもそこそこにニコのことをじろじろと頭から足先まで見て、今度はちらりと私へと視線を向けた。


「あんたは魔法使いって分かるが、そっちのは魔法使いって感じには見えないが……」


「最近、私に弟子入りしたの」


「へぇ、随分若い師匠だ。俺も弟子入りしたいね」


「素質があるならね」


 と返しておく。


「これくらいなら新人の魔法使いでも平気だろ」


 と、男が言って依頼書にハンコを押してから、カウンターの奥の部屋に消えた。

 若い魔法使いがからかわれるのはよくあることだ。剣や弓で戦う戦士や冒険者のように実力がその見た目に出ない分、判断が難しいのだ。同業であってもその風貌で実力をはかり知ることはあまりできない。最も、名が売れている魔女や魔法使い、一目でわかるような杖なしの魔女となると話は別だが。

 後ろに立っているはずのニコの姿を思い浮かべる。魔族の彼もきっと杖なしの魔法使いになることだろう。

 そうこうしているうちに帰ってきた男が差し出した受領書と半券を受け取る。

 ニコの方を振り返ると、なぜだか渋い顔をしている。何かあったのかと思って先ほどのことを思い出すと、私がサラッと彼を弟子にしてしまったことを思い出す。カウンターを離れても渋い顔をしているので、悪いことをしたと反省する。

 謝ろうと思ってニコを見上げると、


「あいつ感じ悪いな」


 と低い声が上から聞こえた。何のことかと思ったら、ニコが先ほどのカウンターの男を指さしている。


「こら、指ささないよ」


 と慌ててたしなめる。カウンターの方を見るが、他の冒険者と話し込んでいたようで、幸いにもこちらの様子には気が付いていなかった。

 彼の指を引っ込めさせて、顔を見やる。渋い顔は変わらず、眉間にしわまで寄せていた。いい男が台無しである。ともかく、私の弟子発言に怒っているわけではなさそうだった。何にご立腹なのかわからないが、不機嫌な彼は初めて見た。思ってたよりも顔にも態度にも出やすいらしい。

 それが意外で少し面白い。

 引っ張るようにしてギルドを出て、朝食を買ったころにはニコの顔も元に戻っていた。

 機嫌が戻ったかどうかわからないが、今のところは私の隣で鶏肉と玉ねぎのフライが挟まったパンをかじっている。私もトマトで煮た豆が間に挟まったパンをがぶりとかじった。

 口の端にトマトソースが付いたのでそれをなめとる。

 ニコの黒い目とかち合う。どうやらこちらを向いていたらしい。

 間が持たなかったので、これからの予定を口にする。


「これ食べたら準備して出発するわよ。お昼前に出て、明日のお昼に帰ってこれればいいけど」


「あっちでも宿に泊まるのか?」


 ニコが心配そうに私の顔を見た。これはお金の心配をされているんだなと分かるくらいには、この表情は見ている。


「野宿よ」


「だ、大丈夫なのか?」


「何が?」


 出会った初日も野宿だったろうと彼の顔を見る。数日前のことも忘れてしまったのか。


「いや……」


 戸惑ったように、ニコ何かを言いかけて止まる。

 私自身旅をしている期間が長すぎて、野宿に抵抗はないのだ。魔物がいる間は宿にも泊まれなかった。たった一晩屋根とベッドがないくらいなんともない。


「平気よ。私は慣れてるわ」 


 そう言って最後の一口を口に入れて立ち上がった。トマトの煮汁を吸ったパンがぽこんと口の中に飛び込んでくる。

 ニコが慌てたようについてきた。

 まさか、こんなところに置いていきやしないのに。

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