1-13

 気まずい。

 背中にはニコのぬくもりがある。背中に薄っすらどころではない。しかも、なぜだか今日は抱きしめるようにして腕が腹の前まで来ていた。

 今朝はお前、ベッドの端っこの方で寝ていただろうと心の中で叫んだ。

 こうなった経緯は?

 何となく覚えていた。正直覚えていた方がよかったのか、覚えていない方がよかったのか、混乱した頭では判断がつかない。

 どうだろうか、自分は何を口走ったか。

 気が動転していて覚えていない。夢見が悪かったのだけぼんやりと覚えていて、きっとまたあの子たちの夢を見たのだ。もしくは、あの子たちと同じことをされる夢でも見たのか。ならば、なぜ泣いたのか。確かにあの日、私は死にたいと願っていたはずなのに。

 またみっともなく縋ってしまっているらしい。生きたいと思ってしまうのは本能だから仕方がないにしても、それくらいのことで自分の罪が消えるとは思わなかった。あの子たちを殺してしまったのは私なのだから。

 本能だから、と言ったってあの子たちは許してくれはしないだろう。

 泣いて、取り乱して、泣き疲れて眠ってしまうなど、子どもでもなかなかしないようなことを、他人とも呼べるような人の前でしてしまった。

 気取られないように時計を確認すれば、すでに日付をまたいでいた。

 腫れているのか、持ち上げるのが億劫な瞼をこすって、ニコの方を見やる。


「う、」


「……エマ? 起きたのか?」


 自分の体の上に横たえられた腕が思いのほか重くて思わず唸ると、ニコの口が動いた。

 起こしてしまったらしい。


「お、起きた」


「そう」


 ニコが半分開いた眼でゆっくりと笑った。

 視線が合いそうになって慌てて前を向く。さて、せめて腕を離してほしかったが、こうなった原因が自分だとわかっているので、中々言い出せない。

 どう切り出すかと悩んでいるうちにニコが先にしゃべりだした。声が近い。


「体調は? 大丈夫?」


「体調?」


「痛いところは? 苦しいところとか……俺にはあんまりしてあげられることないけど……」


「い、今は……平気」


「そうか」


 気づかわし気な態度に心苦しくなる。自分は昨日何をやらかしたのだろう。

 自分を落ち着かせるために二回深呼吸をして、それから恐る恐る尋ねた。思わず声が小さくなる。


「わ、私……何かあなたにした?」


「……」


 その沈黙は何だ。

 したのか、していないのかを答えればいいだけなのに、振り向けばニコが微妙な表情のまま固まっている。こんなもの、肯定しているも同じではないか。だが、変に誤魔化されるよりはずっと良かった。内心素直な彼に感謝する。

 彼の方を向くと、何を言おうかと一瞬迷ってしまった。


「ごめんなさいね、私が言ったことは全部忘れてくれて構わないわ。まぁ、その……野良犬にでも噛まれたと思って、運が悪かったと――」


「エマ」


 真剣な声だった。いや、いつも彼はこんなに真剣に私に向き合っていたのかもしれない。

 長い髪の毛で隠れて表情は分からない。

 表情が見えないだけで、こんなにも印象が変わるものだろうか。

 腕がゆっくりと私を抱き込んだ。子供にするように、背中をさすられる。

 なぜだか、抵抗する気は起きなかった。


「大丈夫だよ」


 何が、何を、と言いそうになったが、どうにも声は出なかった。首を絞められたような、胸に何かつっかえたような、それとも、ニコに抱きしめられて苦しいのだろうか。

 何か言わなければ、と思考が駆け足で回るが、何を言っても八つ当たりのようになってしまうことだけは分かった。この状況では何を言うのが正しいのかと頭を巡らす。


「ええ、大丈夫」


 それが精いっぱいだった。


「私、平気よ」


「そうか」


 冷静になってくると、密着している現実にだんだん恥ずかしさがこみあげてくる。

 恐らく年下の相手に何をしているのか。体を離そうと、身をよじってみたが、実用的な太い腕はびくともしなかった。

 実に温かい筋肉布団だが、どのように遠慮しようかと首元に回る腕に軽く触れる。 


「うわっ!」


「な、なに?」


「いや……」


 ニコが逡巡するので、黙っておいてやる。何か言う気分にもなれなかった。


「エマの手が冷たくてびっくりした」


「あ、そう」


「うん」


 ニコがそれっきり黙ってしまう。

 微妙に気まずい沈黙が振ってきた。

 ベッドの上に抱き合う男女が一組。なんて素敵なことだろうか。恋愛感情でもあったらよかったのに。 

 ここで気の利いた話でもできればいいのだが、残念ながら寝入りばなにできるおとぎ話を私は持っていなかった。

 どうしたらいいのかと思っていると、ふと気が付く。

 ニコの腕が小さく震えている。

 ああ、と合点がいった。

 私は元より体温があまり高くない性質なのだ。所謂冷え性で、姉たちにも夏は重宝されていたのを思い出す。


「ニコ」


「な、なに?」


「私、冷たいでしょ」


「え?」


 ニコが私の顔を見てくる。白い髪の毛の隙間から驚いたように見開かれた黒い瞳が覗いている。僅かに体に力が入っていた。苦しい。


「離しても大丈夫よ。どこにも行かないし」


 頷きながらそう言う。

 どういう気持ちでニコが抱きしめてくれたのか知らないが、きっと落ち着かせようとか、安心させようとかそういった類のボディランゲージだろう。身体接触の少ない彼の必殺技かもしれなかった。


「ここに居るわ」


 なぜそんなことを言ってしまったのか。

 しばらくしてからニコの腕がようやく離れた。

 どんな表情をしているのかと顔を見ようと思ったが、暗くて見れなかった。

 なぜだかそれを残念に思う。

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