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 乗り合い馬車に乗って一時間ほどの行ったところにある、エステヴェという名前の町の近くの森が今回の依頼で指定された場所だった。御者の話を聞く限り結構な田舎町らしい。祭りの前に大きな町を離れるなんてどうかしたんだと尋ねられたので、冒険者として魔物の討伐に行くのだと言えば妙に納得されてしまった。もちろん視線はニコの方にあったが。

 どうやら彼の方が冒険者然としているらしい。

 田舎の町へ行くというのは本当のようで、昼頃に出発する馬車の中には私たちのほかに出稼ぎにきた農民のような人たちが二組しかいなかった。

 出入り口の一番近くにニコと一緒に腰を下ろす。見上げると、幌の天井に開いた穴からよく晴れた空が見えた。雨は降りそうにない。

 乗り合いの馬車など本当に久しぶりに乗った。特に珍しいものでもないが、ぐるりとあたりを見回してしまう。

 いつも長距離の移動は大蜘蛛のミルハに乗って移動することが多かった。彼は馬よりはるかに足が速かったし、八本も足があったせいか、揺れもほとんどなかったのだ。短い毛の生えた彼の柔らかい頭を思い出す。時折ユークに踏み潰されそうになって、前足を上げて怒っていたなと口元が緩みそうになる。

 彼らがいる時は町にもほとんど寄り付かずに森や廃村で寝泊まりしていたから、未だに戸惑う。

 板に薄い布が一枚敷いてあるだけ地面は、座り心地が悪く馬車が揺れるたびに少しずつ座る場所をもぞもぞと直してしまう。今日は私の方がよっぽど落ち着きがないだろう。


「エマ、大丈夫か?」


「大丈夫」


 何度も体を動かす私のことを気遣って、ニコが囁くように声をかけてきてくれる。


「馬車に乗り慣れてないのか?」


「あんまり乗らないから」


「馬車が嫌いなのか?」


「じゃなくて、魔物がいたから乗れなかったの」


「魔物?」


 ニコが怪訝そうな顔をして首を傾げた。

 首を傾げたいのはこちらである。

 昨日の食事中に魔女や魔法使いの話を振ってきたのは確かニコだったはずだ。現状旅の仲間はニコしかいないから間違いないはずだった。気が付かないうちに私が魔物使いだと言っていたのだと思っていたが、彼の顔を見る限りそうではないらしい。

 昨日も似たような違和感を感じたような気がしたが、道の小さな凹凸に揺らされている現状では詳細に考えることもできなかった。


「いや、魔物使いだったのよ、私――」


 ガタン

 と、言葉の途中で馬車が大きく揺れた。

 不安定だった体が傾く。倒れる、と思って身を固くしたが、私を迎え入れたのはニコの大胸筋だった。彼の胸にしがみつくような形になって倒れる。

 ムキムキだ。そして、力の入っていない筋肉は柔らかい。新体験だった。

 無意識に少しだけ揉んでしまう。悔しいが、私と同じくらいか、少し大きいかだろう。


「だ、大丈夫か?」


 と、ニコが私の顔を覗き込む。彼は私を受け止めてもびくともしていないらしかった。馬車に乗り慣れているというのもあるのだろう。自分の意思に反して色々なところに連れまわされたはずだ。

 見上げれば、長い前髪の間から黒い瞳が覗いている。

 思わず目をそらして頷く。

 デジャヴだ。

 確か、昨日の夜もこんな感じだっただろう。


「悪いねぇ、石を踏んだみたいだ。車輪は壊れちゃいないから大丈夫だよ」


 と、御者が暢気に笑っていた。

 首の下からじわじわと熱さがこみあげてくる。恥ずかしがっている場合ではないし、こんなことで赤面するような歳でもないだろうと思ったが、昨日の今日だから仕方がない。昨日の夜抱きすくめられたぬくもりと、ニコの温かさが重なって、私の中で熱がぶり返す。

 余計なことは思い出すな、と軽く頭を振った。

 進退窮まって、ニコの顔を見ないように顔を上げる。視線の先に錆びた鉄の首輪が見えた。

 ハッとしてニコから体を離す。

 私がニコに縋り付くようにしていたから、ポンチョの首元が伸びて首輪が見えてしまっていた。同乗者の様子をちらりと伺うが、馬車の中の雰囲気は変わらない。

 ニコの首元を整えて、忌々しい首輪を見えないようにする。気持ち強めにポンチョの首元を結んだ。

 顔を上げるとニコが困ったような顔をしている。頬が少しだけ赤いような気がするが、気のせいだということにしておこう。あんたは恥ずかしがるようなこと何もしてないだろうと言いそうになるが、寸での所で理性が止める。

 ニコと肩がぶつからないくらいの距離に戻って、上手く落ち着くところを見つける。今度はそこから動かないぞ、と強い意志を固めて、口の中で小さく呪文を唱えた。魔法というよりは呪いに近いが、転びにくくなると魔女の同僚が教えてくれたものだ。

 確かに、お尻と床がくっ付いたような感じがしないこともない。

 まさしく腰を据えて話ができる。


「お金が入ったら私の分も上げるから、服を買いなさい。それから、首輪を外す方法も探さないとね」


「ああ」


 空返事に聞こえてしまったのは気のせいだろうか。


「少し邪魔だけど、もう少しの辛抱」


 そう言って、自分の首元を擦った。ニコは甘んじて受け入れているようだが、あの子たちはどうだったろうか。と思ってしまうのだ。首輪をつけられて、私の意のままに操作されて。自我があったかは分からないが、自我がなければ操り人形と呼んだって構わないだろう。何なら、そっちの方が幸せなのかもしれないが。有無を言わせず、馬のように扱われ、荷物持ちにされ、寝床にされ、仲の良いふりをさせられて殺されたのではないかと。そうなれば悪いのは全部私だ。

 正直、ニコのことを見るとあの三匹を重ねてしまうのだ。そんな自分が嫌だった。

 床の上に置いていた手に、なぜだかニコの温かい手が重ねられた。

 しばらくじっとしていたが、離れないので今度は上を向いてニコの顔を見やる。

 黒い瞳がしっかりと私のことをとらえていた。謎の気迫を感じる。

 眼を反らすと負けな気がして、力を入れて彼を見据える。

 やはり少し幼い印象があるが、鼻梁は高く、顔のパーツは整っている。日に焼けた肌が健康的だった。この顔は所謂二枚目というやつになるのだろう。黒曜石のような黒い瞳と抜けるように白い髪の毛という珍しい取り合わせが魔族であると如実に語っていた。森の中でだまし討ちのように使わせた風の魔法もそよ風どころではない成果を見せてくれたとことを考えると、やはり魔法を覚えてもらいたいと思う。私は能力はあるべきところに使った方がいいと思うのだ。少し強引な手段であっても、ニコが魔法の利便性に気が付いてくれれば自主的に魔法を学んでくれるとも考えられる。

 そうなれば一番いいが、そんなの私の願望だ。押し付けるのはよくない。

 そう思って、重ねられた手に目を落とす。

 私の物より二回りも大きい手はまさに男の手と言った風貌だ。骨太の手首につながって、それが今度は筋肉の浮き出た腕につながっている。その先は、ポンチョの中にしまわれていた。

 これだけの体躯に恵まれていれば冒険者としても十分やっていけると思うが、それに加えて魔法も使えるとなればさらに身を立てやすい。一人でも魔物討伐の依頼に二の足を踏むことは少なくなる。冒険者という職は実力さえ伴えば意外と裕福な生活ができるのだ。


「ん」


 ニコの手から逃げ出してみると、大きな手がすぐに捕まえに来た。手のひらに傷跡でもあるのか、少しだけ硬い場所が手の甲をこすってから落ち着く。


「どうしたの? 突然?」


「え、エマがまた転ばないようにと思って」


「あら、どうもありがとう」


 先ほどかけた転びにくくなる呪いの話はなるべく伏せておこうと思った。

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