1-12
キシ、とベッドが揺れた。
今日も寝れない夜だな、などと思いながら天井のシミを数えていた俺は視線をそちらの方へ向ける。エマが寝返りでもうったのかと思ったのだ。
元から夢見が悪いのか、昨日の夜も数回うなされていたのを思い出す。
どんな夢を見ているのか、何に悩まされているのか。
ぼんやりと視線を向けていると、薄い緑色の眼光と目が合う。
ベッドの反対側で白いシーツにくるまった影がのそ、と動いていた。
シーツにくるまった彼女が小さく震えるようにしていた。
様子がおかしい。
「エマ?」
激しい呼吸の音。何度も吸っては吐いている。そんなに激しくしたら逆に苦しいだろう。
「エマ、落ち着いて。それじゃ苦しいままだよ」
子供のように首を振るエマに近づく。
泣く人をなだめるのは日常茶飯事だった。奴隷として売られたばかりの人や子供はよく泣く。泣かせっぱなしにしておけば、被害を被るのは自分たちだった。連帯責任やら、気分が悪いやら、暇つぶしやらでその泣いている子供たちと一緒に折檻された。
だから、あやすのもなだめるのも得意だった。
まず深呼吸をさせて呼吸を整えさせる。それから、優しく体を撫でてやればいい。それだけだ。
だが、なぜだかエマに容易に近づけなかった。
涙にぬれた薄い緑色が、髪の毛の隙間からちらりと覗く。
手負いの獣のような彼女に怯む。
何を怯えているのか、と口を開こうとして怯えているのが自分だと気が付いた。
「ごめんなさい、ごめんなさい……私が悪いの。私が――」
「……エマ」
「私が殺した」
消え入りそうな声でエマが独白する。
あまりにも印象の強い言葉で、一瞬怯んでしまった。
「失格だわ」
顔を隠すように垂れ下がった髪の毛が、震えるように揺れていた。
エマは泣いている。
だが、理由は分からない。
「ニコ」
囁くような声だった。
「あなたも私と一緒にいない方がいい。きっとあの子たちと同じ目に合う」
「あの子たちって……?」
話が見えてこない。混乱しているのか、エマはしきりに首を横に振って、俺の手から逃れるようにしていた。落ち着かせるために捕まえたほうがいいのは分かっているが、どれくらいの力で掴んでいいいのかわからない。
確か、昨日の夜手を掴んだ時は眉根を寄せられた。
髪の毛を掻き分けて、エマの顔を見る。表情が乏しい彼女が、眉根を寄せて唇をかんでいる。目じりからぽろぽろと大粒の涙が落ちていた。
ぐ、と心臓が早まる。
初めて見る表情だったが、笑みよりは印象が薄い。
逃げるように動いていたエマの背が窓の枠に当たった。そのまま行けば落ちてしまいそうだ。儚い人だとは思っていないが、エマは時々怪しい影をまとう時がある。
今が最もたる時だ。
出会ったあの日の夜のことも鮮明に覚えている。
血濡れでとぼとぼと歩くエマの背を見て、すでに死んでいるのではとも思ったのだ。動いてるのに死んでいた。
あの日、俺は仲間が欲しいばかりに身勝手に生きることを強要したが、エマはそれを望んでいたのだろうか。乏しい表情も、時折する考え込むような仕草も、影が差す緑の眼光も、本当はあの日のことを疎ましく思っているのだとすれば。
エマはあのまま放っておいたらどうなっていただろうか。魔法を使うのだから、きっとこの町までたどり着けていたのかもしれないし、もしかすると彼女のことをほかの人が助けたかもしれない。もしくはあのまま死んでいたか。
だが、あの日血濡れの俺たちは出会ったのだから。
「大丈夫だよ、エマ。大丈夫……」
本当に一人旅をしていたのかと思うほど細い体を腕に捕まえて抱きしめる。
「落ち着いて、深呼吸をしよう」
子供のように激しくしゃくり上げるエマの背を撫でた。薄いシャツ越しにエマの熱を感じる。
「したくない、何もできないのよ、私」
「できる、何でもできるよ。エマなら」
それが俺の言える精いっぱいで、
「エマは何も悪くない」
それが俺の知っているエマの全てだった。
「俺も手伝うから、エマのしたいことをしよう」
彼女は助けを必要としていないほど強いのかもしれないが、俺の自己満足でもいいからエマの傍にいたかった。
奴隷としての価値を見出してくれていなくてもいい。俺のことを嫌いでもよかった。
近くにいることだけ許してほしいのだ。
「時期にわかるわ。私がどんなにひどい人間なのか。」
涙にぬれた瞳がじっとりと俺のことを見ていた。
軽蔑か、恐れか。だが、エマからまっすぐ見つめられること安堵している自分に気が付いた。
もう一度エマを抱きしめる。
彼女の体が、恐ろしいくらいに細い気がした。
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