1-7
人いきれと、足音と、太陽の光で目が眩んだ。
山の中の静けさとは打って変わって、人の息遣いが近い。
近くの人と肩がぶつかると、なぜだかグイっと体が引っ張られた。
目の前には眉間にしわを寄せたニコがいる。
今朝歩き始めてから、二時間足らずで城門に到着したので、疲れているということはないかもしれないが、もしかしたら、慣れない環境で気分が悪くなったのかもしれない。
あたりをぐるりと見渡す。
近々国を挙げての祭りがあるらしく、浮ついた雰囲気が満ちていた。この明るさは私にもつらい。
胸の中の重いもののせいで少し顔を下げると、ニコが更に近づいてきた。
「とっとと中に入って、休める場所を探しましょう」
「わかった」
ニコを連れて検問の列に並ぶ。ニコは落ち着かないようでソワソワとあたりを見回していたが、私たちは別にやましいことはしていないので、そんなに不安そうな顔をしないでほしかった。
だが、ニコの落ち着かない様子が実家で飼っていた犬に似て面白かったため、何も言わずにおく。
検問の列は思いのほかゆっくり進んだ。
無事に城門も通過して、数分。人にもまれるようにしながらニコの方を振り返る。
城門から一番近い町、ルヴァドへと入ったが、ニコはソワソワしっぱなしだ。
色々と気になるものがあるらしく、時折人の流れに流されるようにどこかに行ってしまいそうになる。
「あ、奴隷売買が盛んだから、ばれたら売り払われるかもしれないから気を付けて」
物珍し気にキョロキョロとあたりを見回すニコにそう釘をさしておく。少し離れて歩いていた彼が、肩が触れるほどに近くに戻ってきた。
大きな手がするりと肩に延ばされる。
「いや、もうめんどくさいからエマが主人になってよ」
「嫌。めんどくさい」
主張がぶつかり合う。黒い瞳が伺うように私のことを見ていた。
別に彼が嫌いなわけではないのだ。だが、奴隷の必要性は感じないし、そもそも奴隷自体が私の信念に反する。
それに、彼はきっとやけくそになっている所もあるのだろう。突然環境が変わると言われても、納得できないことも多いだろう。今まで知りもしなかった環境に放りだされるというのならば、不遇であっても今までの状態にすがろうという気持ちもわからなくはないのだ。
だからこそ、そこから引きはがさなければならないだろう。
魔族の彼が、奴隷に甘んじているなどどんな笑い話だろうか。
私が奴隷について強く否定したのを気にしているのか、私の顔を覗き込んでくる。別に怒っているわけではないのだが、ニコは何かをやり過ごすようにへらへらと笑っていた。
「何か、荷物を持とうか? 重いだろ?」
「いいえ、全然。別に、大したものが入ってるわけじゃないから、自分で持てるわ」
「……そ、そうか」
持たせるようなたいそうな荷物はない。そもそも、ニコがポンチョを着ているので荷物自体もだいぶ減ったのだ。
普通に歩いていればいいのに、ニコは落ち着かない。
突然普通にふるまえと言っても混乱するのは仕方がないだろう。彼に至っては、もしかすると私が言う『普通』ということもわからないかもしれないのだ。
だが、残念ながら彼に与えられそうな仕事はない。
すれ違う人をよけきれずにまた肩がぶつかる。
本当に人が多かった。見回せば人、人、人。身長が高いのから低いの、大人も子供も老人も。もちろん人間ではないのまで混じっていて、私とニコは別に変な二人組じゃない。
周りから見たらどんな風に見えているかはわからないが、友人くらいには見えているだろうか。
ニコの方を振り返ると、目が合った。
真っ白な髪の毛に、黒い瞳。少なくとも奴隷には見えないなと思う。
「そうね、あなたの追手が来ていないか、人ごみに目を光らせておいて」
「わかった」
ニコが頷くとあたりをぐるりと見まわした。
―――――――
「生憎、一人部屋は開いてないよ」
それが六件目の宿屋の主人の一言目だった。そして、そのセリフを聞くのももう六回目だ。顔が引きつるのが分かったが、繕っている余裕もない。
まさか、一人部屋をと頼む前にそんな言葉を浴びせかけられるとは思わなかった。
「別に二人部屋でもいいだろ?」
「……」
宿の主人が私たちのことをじろじろと見ながら言う。決して怪しい身なりではないと思うのだが、何かじろじろ見られる要素があるだろうか。
「ここの宿を逃したら、きっとほかの宿は取れないぞ。祭りの前だから、今この町は人が多い」
宿屋や食品を売る屋台はここが稼ぎ時だというのは十分に分かる。そして、自分たちが足元を見られているということも。
「ま、野宿したいならそれでもいいけどな」
宿の主人の言葉に怯む。正直私は森に戻って野宿でも構わないが、ニコはどうだろうか。もし今から森に戻ると言ったらどんな反応をするか。自分のせいで宿に泊まれなかったとは思わないだろうか。
今も、宿の主人がじろじろと私たちを見ていることに対して不安そうな表情をしている。
身の置き所がなかったのか、ニコが私の顔をちらりと見やった。
「分かったわ。二人部屋を一つ」
「はいよ、名前を書いて。料金は後払い、風呂とトイレは部屋にあるよ」
商売人の彼の方が一枚も二枚も上手だ。こんなところで押し問答をしたところで勝てるはずはない。ため息をついて宿帳に名前を書き込む。
ニコがなぜだか、身を乗り出すようにして宿帳を覗き込んでいた。
「ごゆっくり」
人相の悪い宿屋の主人がにやりと笑った。さらに悪人顔である。
―――――
案内されたのは二階の角部屋だった。宿の廊下や共有スペースは掃除が行き届いていて、調度品やカーペットは雰囲気が統一されていた。宿の主人の宿へのこだわりが感じられる。やり口は少々強引であったが、彼は少々仕事熱心なだけなのかもしれないと考え直した。
いつの間に奪われたのか、私の荷物を持ったニコが廊下の先を歩いている。やはり、物珍しいらしく、あたりをきょろきょろと見回していた。なぜだか、時折私の方を振り向いては笑いかける。
先に部屋のドアを開けたニコが慌てて扉を閉めた。なぜだか顔は真っ青である。
「え、エマ……俺、廊下で寝ようか?」
「廊下なんかで寝たらまた奴隷にされる」
「いや……でも……」
ニコがそう言いながら扉の前を陣取る。私を中に入れるつもりはないらしい。
場を繋ごうと口を動かそうとしているが、あまり意味のある言葉は聞かれない。
このままここで押し問答をしても仕方がないので、ひとまずは部屋の中を見せてほしかった。あまりにもひどいならあの主人に文句を言えばいい。
「何? はっきりしないわね。どうしたの?」
「……」
ニコを押しのけて部屋の扉を開ける。
中を覗いてから、今度はニコの顔を見る。さて、その微妙な表情の理由はよくわかった。
「……二人部屋、ねぇ」
確かに二人部屋だ。狭い部屋にダブルサイズのベッドが一つ。二人で眠れる。間違いない。決して騙されたわけではないのだ。もちろん、枕は二つある。
そして、この部屋以上の部屋は今後望めないような気がする。この宿で六件目だ。窓の外を見れば、すでに薄暗くなり始めている。
旅を始めてから、本当にいろいろなことにあきらめがつくようになった。
一度深呼吸をして覚悟を決める。
「腹くくりましょう。別に私たちにはやましいことは何もないし、これからも何もない。いいわね」
「あ、ああ」
「よろしい」
誓わせるように、彼の瞳を覗き込んでから、室内に入った。
どう我儘を言ったところで、ダブルベッドも部屋の広さも変わりはしないので、とりあえずは部屋の中をぐるりと見渡す。入り口の近くにもう一つ扉があり、トイレと風呂場につながっているらしい。
僅かに期待を膨らませながら、風呂につながる扉を開く。
「ああ、意外と普通」
タイル張りの部屋に大きな酒樽のふたを開けたものが置いてあるだけのようにも見えるが、確かにお風呂である。私はそう認識している。
部屋の状態がこんなものなので、風呂はどうなっているかと思えば案外普通だったことに胸をなでおろす。
「好きなのか? 風呂?」
私の後ろからニコが風呂場を覗き込んでいた。よくよく見ればニコは私より頭一つ分ほど大きい。
「うん」
「そうか……」
ニコが考え込むように下を向いたのでどうしたのかと今度は私が顔を上げた。
「ニコはお風呂は嫌いなの?」
「いや、別に……」
「あ、水が嫌いなのかしら?」
「え?」
「沐浴も嫌がってたからそうなのかと……」
「そんなじゃない」
「あ、そう」
強く首を横に振るニコにそんなに否定しなくてもと思う。好き嫌いは人それぞれだし、私にだって苦手なもの位ある。
ふと思い立つと、ニコの顔を見た。
「ニコは好きな物とかあるの?」
「え?」
ニコは黒い目を見開いてなぜだか固まってしまう。
よくよく観察すれば彼は表情豊かだ。目を見開いたり笑ったり、困ったり忙しい。困った顔を見ることが多いのは、私が困るようなことをしているからだろうか。
そろそろ見慣れつつある困惑の表情を浮かべてニコが私の顔を見た。
「わ、分からない」
「そう」
困惑の表情は次第に戸惑ったような表情に変わっていく。今はそこまで気を回せる余裕もないのだろうと思う。そのうちに、彼の好きなものも見つかればいい。
「そのうち見つかるといいわね」
「あ、ああ」
扉を閉める前にもう一度風呂場をのぞく。
「……お風呂かぁ」
しみじみと呟くと、私の顔を覗き込んでいたニコが驚いたように目を見開く。
何事かと思って彼の顔を見返せば、
「やっと笑った」
ニコがそう呟く。
何のことかと考えると、彼がまた私の顔を覗き込んだ。
「何のこと?」
「笑ったと思って」
と言って、ニコも嬉しそうに笑う。細められた黒い瞳がしっかりと私に向けられている。
なぜ、嬉しそうな顔をしているのかはわからないが、悔しいので、
「笑ってないわ。見間違いでしょ」
と返しておいた。
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