1-8
部屋に置かれたダブルベッドで、室内は混雑していた。どこからどんなふうに入れたのか、よくよく見てみればベッドの方が明らかに部屋の扉より大きい。
風呂上がりに髪の毛でも乾かそうと思ったが、部屋を見渡してもどこも開いている場所はない。必然と座る場所はベットの上になるし、仕方なく荷物もベッドの上に置いておく。
また僅かに戻った魔力で髪の毛を乾かす。今度は、髪の毛全部を乾かすことができて気分がいい。何となく、まだ魔力が余っているような感じもする。だが、この魔力の回復は、魔物たちを失ったからだと思い出すと笑えない。いつもは一日の終わりに髪の毛を乾かせば、魔力切れで押し寄せるような眠気があったはずなのに。
髪の毛を乾かせば、他にやることもない。私と同じ年の女性はきっと肌の手入れやら何やらをするのだろうが、元より化粧をする習慣もなければ、する機会もない。唯一やることと言えば爪の手入れと髪の毛の手入れ位だ。それも、気が向いた時にしかやらないが。
きっと、実家にいて姉たちのような生活をしていれば夜にそんなこともしていたのだろう。だが、私が選んだのは魔法使いとして旅をする道だった。そもそも、四女の私には家のごたごたしたことは一切回ってこなかったし、いてもいなくても変わらなかったのだ。魔法使いとしての素養も姉たちほどなかった。魔力は父に似たようで、旅立つ前にそのことを心配されたが、あの家にいたところでぼんやりとして生活になるのは目に見えていた。その先にあるのは、そこら辺の適当な貴族の次男か三男との結婚だったろう。
それと比べれば、魔法使いとして世界を旅する今の生活の方がずっと面白いと思う。だが、今はどうだろうか。魔法使いとしての力がないのを魔物を遣って補っていたが、魔物がいなくなった今、きっと自分の師匠の弟子よりも弱いはずだ。
魔法使いをやめて実家に帰るのも手ではあったが、今更どんな顔をして戻ればいいというのか。父や母はきっと優しくしてくれるだろう。それに、最近子供の生まれた姉たちも。あるいは、使用人や侍女たちだって「大変でしたね」と優しく声をかけてくれるに違いない。
今の仕事の上司や同僚、部下だってきっと止めはしないだろう。それは、あなたの判断だから、強制はできないと。力のない魔法使いなど、あの団体にはいらないのだ。求められているのは、知識がなくとも素養のあるニコのような魔法使いや魔女だ。魔族は教えれば教えるほど魔法を覚える。向き不向きはあるものの、大体の不可視魔法は習得できる。
今は自分の事より、ニコのことをどうするかだ。
そのためにも、八時には首領に連絡を取らなけらば。
連絡用の魔道具を出そうとカバンを漁ると、先にタバコが転がり出た。
いつもはそこまで本数は吸わないが、なぜだか目に付くと吸いたくなる。仕方のない人間だと思う。十代のころから吸い始めて、やめようやめようと何度も思ってもう二十三になってしまった。惰性で吸っていると言っても過言ではない。
湿気をよけるまじないのかかったケースから一本取りだして、口にくわえ火をつけた。
窓には疲れた女の顔が映っている。
そう言えば、ニコはよく私の顔をじっと見つめるが、何か気になることでもあるのだろうか。特別変わった顔でないと思っているが、自分の主観なのでニコから見たら変わっているのかもしれない。
見ていて楽しい顔ではないだろう。母親の顔に似てはいるが、自分の母親が特別美人だったわけでもない。男性に好かれるような見た目でないことは二十数年の人生で理解していた。
似るなら顔ではなく、あの膨大な魔力がよかったと思う。あれがあれば、きっと今回のような悲劇は起きなかった。
私があともう一度あの四足竜を拘束する魔法が使えたら、私が魔女ほどの魔力があって、あの四足竜に幻影の魔法をかけていたら。きっと結果は違っただろう。今でも、彼らと一緒に旅を続けられたはずだ。
窓を開けると、夜の冷たい風が部屋の中に流れ込んでくる。頬を撫でるそれが、まるで泣いた後の冷たさのようで、不思議な気持ちになる。
そう言えば泣いていないな、と思った。
あれだけ、家族のようだった存在が一瞬にして消えたのに、自分の心は思ったよりも平坦だ。それよりも、起伏が消えたようにも思う。
泣いてみればあの子たちの供養にもなるかと思って、おとといの光景を思い出してみるが、思考は霞がかったようにぼーっと宙に浮いていく。
憎いあの奇形の四足竜の姿が出てくるだけで、凄惨な光景は一向に浮かび上がってこなかった。
早々に忘れてしまったのかと、薄情な自分に笑う気持ちにもなれなかった。
火をつけて放置していたタバコから灰がポロリと落ちたのを見て慌てて咥える。
なぜだか考えはまとまらなかった。悔しさと、憎さだけが私の心の中にある。
バスルームにつながる扉が開いた音がして、ニコが顔を出す。
こちらをじっと見つめていた。
髪の毛の先からぽたぽたと水が垂れている。早く拭けばいいのに、なぜだか私の方へと寄ってきた。まさか、拭き方がわからないとは言うまい。
「眠れないのか?」
「ん」
タバコの煙を吐き出すと、ぐったりと窓枠に寄りかかった。僅かに身を乗り出すような形になると、ニコが焦ったように腕を掴もうとする。
落ちていくわけがないじゃないかと思った。
どうやら、ニコは未だに私が死にそうだと思っているらしい。
宙に浮いた手がなぜだか私の手を掴んだ。
「……何?」
「夜風は冷える」
「そうね」
風呂上がりの僅かに湿った暖かい手が心地よい。黒い目は真剣に私の顔を見つめていた。
そんなに見つめられると穴が開くのでは、と思うがニコは視線を外さない。
悔しいので私も彼の瞳を見つめ返しておいた。眉間にしわが寄ってしまったかもしれないが、自然に力が入ってしまうのも仕方がないことだ。
ニコと一緒にいると妙に緊張する。
理由は分からないが、体に力が入るような、気の抜けないような妙な感覚がするのだ。
ニコが少し強く私の手を握る。
「別に落ちたりしないわよ」
「そういうことを心配してるんじゃないんだ」
私は煙を飲むために、ニコから視線を外した。負けたような気がしないでもないが、口の中に広がる苦みがそんな気持ちも押し流していく。
ニコがそれでも私の手を離さない。特に、話すこともなければ、盛り上がる話題すらなかった。
彼は時々何を考えているかわからない。今黒い瞳は何か言いたげに揺れている。
「エマは何を我慢しているんだ?」
「さぁね、色々よ。大人なんだから、しょうがないのよ」
煙を吐き出す。彼の顔を見なかったのは、もちろん煙を室内に入れたくなかったからだ。
「大人とか、関係ないだろう」
「そうね、ニコには関係ない」
「……なぁ、エマ」
ニコが何か言いだそうとしたとき、教会の鐘が八つ鳴る。
時間だ。
「ああ、ごめんなさい、ニコ。私少し用事があるの」
タバコの火をもみ消すと、立ち上がった。
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