1-2
後ろから力強く掴まれた。大きな手が細いとは言えない二の腕を平気で一周する。服の上からでもわかるその武骨さに、意識が引き戻された。
自分がどこにいるのか認識する前に、体が反転させられる。
血の匂いが強い。
どういうわけか、目の前には血だらけの男。
あたりを見回せば森の中らしい。
暗いせいで髪の色も、顔もほとんどわからない。だが、生きてはいるらしかった。
血の匂いが強い。
彼が私の全身を見ると生唾を飲む。瞳が大きく開かれていた。
さて、殺されるのか、犯されるのか。
投げやりな気持ちだった。どうでもいい。
抵抗する気力もなく、もちろん抵抗するための魔力も体力も残っていない。
何ならあの場であの四足竜に殺されていてもよかったのだ。そう思う心とは裏腹に、浅ましく逃げ出した自分が憎い。どんなに崇高な考えを持っていたところで。体はただの人間だ。本能に従う。
自分は彼らの本能を押さえつけていたにも拘わらずだ。
生きているという事実が辛い。
「お前……!」
男が息を切らせながら私に顔を近づける。
若い。まだ十代だ。高い鼻梁にまつ毛は長い。
「お前も襲われたのか!?」
「……襲われた? 何に?」
話が見えない。この男は何を焦っているのか。腕を握る手にさらに力がこもった。痛いくらいだが、興奮気味の彼は気が付いていないだろう。
暗さになれると、彼も血濡れのようだった。
しかも鮮血だ。
どこからか出血でもしているのか、無造作に伸びている髪の先からぽたりと赤い雫が垂れた。
「あの、でかい魔物だよ。目がいっぱいある」
血に釘付けになっていた視線が、目という単語に反応して動揺する。
自分は今。一体どんな表情をしているのだろうか。
彼の話し声は耳に入ってくるが、内容にまで思考がついて行かない。
置いてけぼりの私の脳みそを起こすように体が揺さぶられる。
「早く、逃げるぞ……!」
痛いくらいに手を握られて、彼が私の腕を引く。
足は動かなかった。
地面に根でも生えたのではないかと思うほどに足が重い、霞がかっていく思考の中に男の声が割り込む。
「怪我でもしているのか?」
男が私の体を見回すが、もちろんケガなどしていない。全てが返り血で、乾き始めている。
目の前の他人の心配よりもまず自分の心配をした方がよいのでは、とすら思う。
彼の前髪からはぽたりぽたりと血が垂れ落ちていた。
どこかで魔物の鳴き声が聞こえる。
近くではないが、こうも血の匂いをまとっていたら気が付かれるかもしれない。
男が焦ったようにまた私の手を握る。
「早く。逃げないと。いつあいつに出くわすかわかんないぞ」
思わぬ力で引っ張られて、たたらを踏む。彼の思うようになってしまうのがなぜだか悔しかった。
振り払うように腕を動かすが、彼の力は思ったよりも強い。
それとも、私が弱いのか。
まだ思考ははっきりとしない。自分の思うまま口が動いた。
「嫌、私はここに居るわ。もうどうだっていいし、死ぬのなら運が悪かったんだと――」
「胸糞悪い、俺が生きるんだ、お前も生きろ!」
私の目を見て彼がしっかりと言う。
薄暗い森の中であるのに、彼の目にはしっかりと光があった。
なんて自分勝手だろうか。
いつもなら、憤りを覚えるはずだが、抵抗する気も起きない。
「早く来い、行くぞ……!」
私は引きずられるようにして男の後ろを進むしかなかった。
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