世界で一番長い日
樹一和宏
世界で一番長い日
「ねぇ見て見て詩織、これ超キモくない?」
そう言って薫が見せてきたのはここ新都心ビルのマスコットキャラ、シントくんのストラップだった。人間の顔に目、鼻、口がガラスのように四角くなっている。
「うわ、キモぉ、これデザインした人のセンスマジで疑うわ」
返事をしてから辺りを見ると、土産コーナーはどれもシントくんばかりが並んでいた。そこに当たり前ように熊本県やら船橋市の非公式マスコットキャラが混じっている。
「家族のお土産何買う?」と薫に訊くと「んーお煎餅とかでいいじゃない」と返された。確かに。
お菓子コーナーでクッキーやお煎餅を見ていると「あと二十分でスピーチ始まるぞー急げー」と担任のヤマちゃんが怠そうに声を発した。お土産コーナーの節々から「はーい」と返事が聞こえる。
「ねぇ詩織、これ見てこれ見て」とヤマちゃんの声が聞こえなかったのか、薫が次なる土産物を見せてくる。
「あ、可愛い」
新都心ビルとは何も関係ないハート型の飾りが付いたイヤホンジャックだった。
「でしょ! お揃いにしようよ」
「えーでもこれきっとカップル向けだよー」
「いーじゃん。あたしと詩織はカップルみたいなもんでしょー」
「えー、もーしょうがないなー」と私は片方を受け取った。正直満更でもなかった。
そろそろスピーチがあるホールに行こうかと、薫一緒に既に数人並んでいるレジに並んだ時だった。
「なぁ細川」と呼ばれ横を見ると、やけに近い所に中島くんがいた。「え、何?」と思わず身を引いてしまう。
「あ、ごめん。えっと、スピーチの後自由行動じゃん。良かったら一緒に回らね?」
「え、でも私薫と一緒に」回るんだけど、と言いかけた所で、遮るように前に並んでいた薫が「私はいいから! 一緒に行ってきなよ」と私の背中を押してきた。
「え、でも」
「いいからいいから」
「……じゃあ、分かった」
「よっしゃ。じゃあ二時にビルの入り口らへんで待ってるから」
中島くんが去るとニヤリと目を歪ませた薫の視線を感じた。敢えて目線を逸らすと「あとで詳しく教えろよ~」と肩を小突かれた。
「中島くんとはそういう仲じゃないよ」
「なーに言ってんの。たまに一緒に帰ってんの知ってんだから。クラスじゃ有名だよー」
「違う違う! ホントそういうのじゃないんだって!」
「次の方どうぞー」とレジに呼ばれ、薫はイヤらしい目付きのまま「はーい」と先に行ってしまった。
正直、中島くんの好意には気付いているけど、付き合うとかそういのはよく分からない。
※
土産コーナーを出ると、再び全面ガラス張りの空間に出た。展望室というだけあって、何度見てもその光景に目を奪われる。普段は見られない建物の屋根や興味を惹かれる建築物、僅かに白み掛かった青空に浮かぶ雲がいつもより近くに感じた。
展望室の一角に設けられたホールの入り口は、同じ中学校の生徒の山ができていて、私達は少し時間を置いて入ることにした。
ふらりとガラスに近寄ると「ねぇ見て見て」と薫がまた言い出した。
「次はどうしたの」と駆けていく薫についていく。
「あれ富士山じゃない!?」
「あ、ホントだ。すご。東京から見えるんだ」
「ここ地上何メートルだっけ?」
「五三六、四メートル」
「よく覚えてんね」
「そこ、書いてあるよ」
「あ、ずる」と薫が笑ったので、釣られて笑ってしまう。
「そうだ、今のうちに付けようよ」と薫がビニール袋に手を込んだ。それを見て、イヤホンジャックのことだと察した私も、袋から取り出す。それを自分の携帯に付けようとすると薫に奪われ、自分のイヤホンジャックを私の携帯に挿した。なるほど、そういうノリか。私も薫の携帯を奪うと自分のイヤホンジャックを差し込んだ。
二人して思わず笑ってしまう。
「おい、そこの二人ー早くホールに入れー」とヤマちゃんが入り口の方から呼んできた。見ると入り口の人だかりはいなくなり、私達だけが展望室に残っていた。
「やばっ」と二人して声を上げて、私達はホールの中に駆け込んだ。
※
スピーチと聞いていたからある程度は覚悟していたが、想像以上につまらなく、檀上で新都心ビルの説明するお姉さんをそっちのけで、私は睡魔との戦いに明け暮れていた。
新都心側のスタッフが気を利かしてか、優し気なBGMがホールを漂っている。薄暗い環境も合わさり、眠気が拍車を掛けてくる。左後方らへんに座った私達。右隣を見ると、薫はすっかり眠ってしまっていた。
先生も校外学習でどうして新都心ビルなんて選んだのだろう。
日本一高いオフィスビルとして作られた建物。一般に開放されているカフェなどがある一階のロビーと展望室以外は全て会社のオフィスで関係者以外立入禁止。将来大人になってこういう所で働けとでも言っているつもりなのだろうか。
ボケーっとしていると、中央の方で数人がざわついているのに気が付いた。何人かがキョロキョロと辺りを見渡している。何かあったのだろうか。次第にそれは伝染していき、ざわめきが大きくなっていく。
「おいお前ら、静かにしろ」と体育教師のジャージが一喝するが、その周囲の生徒が黙るだけで、全体は一様にざわついている。
「皆ーどうしたのかなー?」と騒ぎに気付いたお姉さんが声を上げた。しかし誰もそれには反応しない。
「何? どうかしたの?」と薫が起きてきた。まだ寝足りないみたいだった。
「分かんない。何か皆騒ぎだして……」
すると薫は前屈みになって前の席の子に「ねぇ、何かあったの?」と質問した。
「それがさ、何か足音が聞こえるって」
「足音?」と薫がこちらを向いてくる。何のことか分からず首を傾げた。ホールを見渡しても教師数人が最後部の入り口前で立っているだけで他は皆座っている。
気のせいじゃないかと思い始めた時、微かにトンと音が聞こえた気がした。
「あれ、今何か音しなかった?」とどうやら薫にも聞こえたみたいだった。耳を澄ましてみると、確かにその音は足音のように一定の間隔で聞こえているようで、同時に次第に大きくなっていっている気がした。
「ねぇ、揺れてない?」
前の席の子の話し声が聞こえた。音が鳴る度に、微かに揺れているような気もする。音の大きさに合わせて、その揺れも大きなっているみたいだった。先生達も気づき始め、辺りを見渡している。
トン……トン……トン……
音と揺れが止んだ。次の瞬間だった。
爆発音のような大きな音と姿勢が保てなくなるほどの大きな揺れに襲われた。私も薫も思わず悲鳴を上げてしまう。耳に響く皆の悲鳴が、焦りと恐怖を形作っていく。
「皆落ち着いて! 危ないから立たないで!」
ヤマちゃんの叫び声。大きな揺れが続く中、再び爆発に似た音と同時に、先程より巨大な揺れが発生した。
ホールに充満する悲鳴。そんな中、間髪を入れずにそれは起きる。ホールの中央が、崩れ落ちた。
地響き。生徒達の断末魔。大きなが口が、次々に生徒達を呑み込んでいく。
もう何が起きているのか、分からなかった。ただ、恐怖心が体を支配しているみたいだった。
絶え間なく聞こえる悲鳴。誰かが誰かの名前を叫んでいる。
「皆、早く出るんだ!」
叫び声に振り返ると、ヤマちゃんが入り口を開けていた。教師陣が「皆急いで!」と声を上げている。
考えている暇はなかった。薫を見ると不安でいっぱいの顔をしていた。きっと私も同じ顔している。無意識に私達は手を繋ぐと、先生の誘導に従って、ホールを出ることにした。
地震のような細かな揺れはなくなっているが、ビルが大きくしなり揺れている。
右に左にと大きく揺られながら次々と生徒達がホールから出て行く。私達も一緒にホールを出ようと入り口に行ったが、何故だか前に進まない。
それどころか前の方で「戻れ戻れ」と誰かが叫んでいる。「いいから早く出ろよ」と後ろで誰かが怒鳴り声を上げ、狭い入り口で私達は押し潰された。
「窓がなくなってんだ! 戻れよ!」
その台詞を聞いた瞬間ゾクリとした。私も戻る側に加担する。ホールに戻る側の意見が伝わったのか、「ホールに一旦戻って!」と誰かの叫び声によって、私達はようやく押し詰め状態から解放された。ホールの隅に避難すると、私達は一息をついた。
しかし事態はまだ治まらない。
「おい! 戻ってこい!」と先生が何やら叫んでいた。見ると、ホール中央の穴に生徒達が次々と飛び込んでいっている。どうやら瓦礫で段差が出来て、降りられるようだった。
「でも先生、あそこからなら降りられるよ」と女生徒が先生に詰め掛けている。
「駄目だ。揺れが収まってから普通に降りるんだ」
「私達はどうする?」と薫が訊いて来た。早く降りたいのは山々だったが、あの穴にはたくさんの生徒が下敷きになっている。そんな場所は通りたくはなかった。
「先生に従お」と言うと薫は頷いた。こういう時は大人に従った方がいい。
「穴から行ってしまった生徒が心配です。私は向こうから行きます」とジャージが穴へと向かう。
そこで生徒達は大きく二つのグループに分かれることになった。穴から脱出する組と、先生に従って普通に降りる組。残っているのは五十人ぐらいだった。
※
揺れが収まった頃には既に穴から脱出する組はいなくなっていた。
携帯を見ると十四時に差し掛かろうとしていて、圏外になっていた。
「ではそろそろ行きましょう」と残っていたB組の先生が先導すると、皆大人しく、自然と二列を形成して後についていった。展望室に出ると、窓が全てなくなっていた。あの大きな横揺れの中、ここにいたらと思うとゾッとする。今この瞬間またあの大きな揺れが起きたらと思うと、怖くなった。
B組の先生は当然エレベーターには向かわなかった。非常用の階段へと向かう。しかし、B組の先生は避難階段と書かれたドアの前まで行くと、開けずに、呆然とし始めた。
「どうしました?」と最後尾のヤマちゃんが尋ねる。
「施錠されてて……開きません……」
え、じゃあ降りれないの? と動揺したのは私だけじゃなかった。皆が不安そうに顔を見合わせる。
「岡田先生、エレベーター動くみたいですよ」とヤマちゃんがエレベーター前で手を上げた。非常時にエレベーターは乗らないのは誰もが分かっていること。しかし、選択肢はそれ以外にはないように思えた。
「待って先生。もしかしたら係員の誰かやってきてドアの鍵開けてくれるかもしれないじゃないですか」
その女子生徒は明らかにエレベーターには乗りたくないようだった。気持ちは分かった。乗っている最中に止まったら……そんなことを考えるのは当然だった。
「……では、また残る人とエレベーターを使って降りる人で別れましょう」
B組の先生の提案に反論は誰もしなかった。
「じゃあエレベーターには私が乗っていきます。岡田先生はここに残る生徒についていてあげてください」
グループは再び分裂していく。
再び薫が「どうする?」と尋ねてきた。ここに残るのも嫌だし、かといってエレベーターに乗るのも怖かった。しばらく悩んで、来るか分からない助けを待つのは嫌だと思い、私は乗ることに決めた。
手を引くと、薫も恐る恐るついてきた。
エレベーターは二台あった。十五人ずつ乗れ、ここに残ると決めた二十人近くを除けば丁度一回で降りることが出来るようだった。
中島くんが手招きしていたので、私達は左のエレベーターに乗った。ヤマちゃんが一階を押し、エレベーターが動き出す。オシャレに全面ガラス張りで、隣のエレベーターが丸見えだった。
先に動き始めたのは私達のエレベーター。階を示す数字がどんどん小さくなっていく。大丈夫。大丈夫。このままあと数分もすれば地上に降りられる。
だが、そう簡単には上手くはいかなかった。
突如、またあの大きな揺れが私達を襲った。小さい箱の中は一瞬にして悲鳴と恐怖で一杯になった。エレベーターが非常停止してしまう。ヤマちゃんが非常用連絡ボタンを押しても全く反応はなかった。思わず涙が溢れてくる。怖さで窒息してしまいそうだった。
「くそっ! 早くここから出よう」
ヤマちゃんがエレベーターのドアをこじ開けにかかった。少しずつ開いていき、私の首らへんの高さに光が漏れ入ってくる。良かった。そう思ったのも束の間、そのオレンジ色の光に私は声も出なくなった。
火事が起きていたのだ。恐怖を駆り立てる非常ベルが忙しくなり響き、オレンジ色の炎が優雅に踊り狂っている。
「やだ! 先生締めて!」と知らない女子が叫ぶ。ヤマちゃんも困惑していた。このままエレベーターに残るべきか、火事起きていても一刻も早く脱出するべきか。傍目から見ても迷っているようだった。
「……ねぇ、何か変な音しない?」
急に薫が変なことを言い始めた。こんな時にそんなことどうでもいいじゃん、と思ったが、中島くんが血相を変えて「おい、あれ!」と指差した。
隣のエレベーターのヒモが切れていた。シュルシュルとロープが上がっていき、頭上から悲鳴が落ちてくる。そして、すれ違いざま、私は目を合わせてしまう。必死にガラスを叩き、こちらに助けを求めている生徒の一人と。
シャッターを切ってしまったように、脳裏に焼き付いてしまったその光景。心臓を鷲掴みされたような嫌な感覚。
足の下でガラスが砕け散る音がした。
「先生! 早く! 早く開けて!」
誰からともなく、皆一斉にエレベーターから出ることを決断し、ヤマちゃんを急かし始めた。ヤマちゃんも必死で、中島くんが手伝いに入る。ようやく開いた人一人分。
「中島くん先に登って、皆を引っ張り上げるのを手伝って」
「分かりました」
軽々と中島くんが登り、一番近かった私が最初に引き上げられることになった。
「細川、ほら」
持ち上げられ、かなり高い段差を登る。四つん這いになって廊下に出ると、そこは三十階のオフィスの一角だった。
「次」と持ち上げられようとされたのは薫だった。
「あ、待って、携帯落としちゃった」
「おい、そんなのはどうでもいいだろ」と中島くんが引っ張ろうとする。
「駄目。お願いちょっとだけ待って!」と薫は頑なに拒んだ。
「分かった。じゃあ先に次の奴」と手を離した瞬間だった。バチンと鞭打つような鋭い音が響いた。すぐに連想したのは、エレベーターのヒモだった。
「まっ―――」
私が手を伸ばそうとした直後、エレベーターが悲鳴と共に急降下を見せた。本当に、あっという間だった。大好きな先生が、親友が、いなくなるのは本当に一瞬の出来事で、何が起きたのかも、何も理解が出来なかった。
「細川、危ない。危ないから」と中島くんが私の肩を掴んでくる。
何で涙が溢れてくるのかも分からない。悲しいなんて、まだ思えないのに、堰を切ったように溢れてくる。そして、ガラスが砕け散る音が聞こえた時、胸から溢れるものを堪え切れなくなって、子供のように私は泣き声を上げてしまった。
「行こう。細川、ここにいても危ない」
中島くんが私の腕を掴んで立たせようとしてくる。
「立って、細川」
「いい……もう、いい。ほっといて……」
「駄目だ。ほっとけない」
掴んできた手を私は無理矢理振りほどいた。薫がいないなら、私がいる意味だってない。
「じゃあ俺、行くよ? 本当に行くよ?」
「……早く行きなよ」
冷たく言い放つと、足音が去っていくのが分かった。パチパチと至る所から火の音が聞こえる。体育座りして、自分の殻の中に閉じこもると、ずっと楽になれた気がした。
そうしてどれぐらいが経っただろう。いきなり腕がグイっと引っ張られ、私は無理矢理立たされた。中島くんだった。
強引に引っ張っていこうとするから「やめて」と言った。でも中島くんは「無理」と言って、私を連れていく。
そんな中島くんの優しさに、私はまた涙が溢れてしまう。
「分かったから。行くから。引っ張らないで」
強く引っ張るのはやめてくれたけど、手を離すことは、してくれなかった。
壁にあった地図を頼りに階段へ向かう。炎で皮膚が焦げるみたいに熱くて、煙で目が痛かった。時折「大丈夫?」と中島くんが振り返ってきて、私はその度に無言で頷いた。
このフロアには既に誰もいなかった。散乱したデスクやパソコン、仕切りの壁が行く手を阻む。ようやく避難階段を見つけ、ここも施錠してあったらどうしようと不安が過った。すんなりと扉は開いた。きっとこの階の人達が逃げるのに開けたのだろう。
「早く降りよう」と言う中島くんの力強い台詞に私は頷いた。
駆け足で階段を下っていく。その途中、再びあの巨大な揺れが起きた。踊り場でしゃがみ込み、難なくやり過ごし、再び駆け下りる。今度こそ、地上に戻れる。
しかし、神様が嘲笑うように私に厳しい現実を突きつける。目に飛び込んできた光景は、階段を塞いだ瓦礫の山だった。瓦礫の下には見覚えのある制服とジャージが下敷きなって動かくなっていた。私は目を背けた。
「どうしよ」と眉を曲げた私に、中島くんは「少し戻ってフロアに出てみよう」と再び階段を上り始めた。当然ついていくが、足はもうガタガタで立っているだけで精一杯だった。
鉄扉を開け、フロアに出ると、そこは五階だった。火の手はなく、物が散乱しているだけ。何か脱出方法はないか、二人で見て回る。
だけど、何もなかった。エレベーターはない。階段は塞がれている。非常用のすべり台も、梯子も、何も見つからない。
「もう駄目だよ。私達助からないんだよ……」
私は疲れて、廊下の真ん中でしゃがみ込んだ。中島くんは「大丈夫だよ」と勇気づけようとしてくれたけど、説得力のない安っぽい言葉では、私の心は一ミリたりとも動かなかった。
再び、あの巨大な揺れが発生しだす。ボロボロと肩にコンクリートの粉が降ってきた。
もういい。死んじゃった方が楽だよ。
頭上で大きな音が鳴った。はい終わり。これで、もう。達観しているつもりでも、恐怖心は付きまとう。私は膝を抱えて、精一杯に目を瞑った。
「細川っ!」
中島くんの叫び声。頭に強い衝撃が、走った。
※
「おはよ詩織っ!」
誰かの声に目を開けると、「なーに登校していきなり寝てるの」とニコニコとこっちまで釣られてしまいそうになる笑顔の薫がいた。毎朝この顔を見る度に元気が貰える。
「早速なんだけどさ、自由行動で中島とどこ行ったの?」と顔を近づけてきた。
「いきなりそれー」と渋って顔を引きつらせると「勿体ぶらずに教えてよー気になって寝れなかったんだからぁ」と犬みたいにすり寄ってくる。
「あー、だからここニキビできてるのか」
「嘘っマジ? ……って、誤魔化すなー!」
薫が飛びついてきて脇をくすぐってきた。
「ちょ、ちょっと待って!」と私は笑いながら、薫をくすぐり返す。二人で大笑いしていると「二人とも朝から元気だね」と中島くんがやってきた。
「あ、中島! ……とぉわっ!」
薫がよそ見なんてするもんだから、バランスを崩して椅子ごと倒れてしまう。床に頭をぶつけてヒヨコが飛んだ。
「もぉー、いったー」と頭を撫でると「バカだなー」と中島くんが手を貸してくれた。
「ありがと」と私は立ち上がり、中島くんと目が合った。
「あのー私にはそういうのないんですかー」
嫌味ったらしく床で伸びながら薫が言う。「ごめんごめん」と手を差し出すと「結構です」と嫌味ったらしく立ち上がった。
「もしかして二人はもうそういう関係な感じ?」
私と中島くんは顔を見合わせ何て言うか考えた。その一瞬の間を読み取ったのか、薫が「え、マジで!?」と驚き、私に抱きつく。
薫が笑うので、私も釣られて笑ってしまう。声には出していなかったが、中島くんも笑顔で私達を見守ってくれていた。
※
目を覚ますと、崩れた灰色の天井が目に入った。体中が痛くて、特に頭の痛みに顔を歪めてしまう。触わるとヌルりとした感触が指に付いた。どうやら頭を打って気絶したみたいだった。やけに重たい足を持ち上げ、立ち上がると、すぐ横には大きな穴が出来ていた。天井が崩れて、その勢いで床に穴が開いたみたいだった。
そこで私は、一人だということに気が付いた。
「……中島くん? どこ?」
辺りを見渡しても、名前を呼んでも、私以外、誰もいないようだった。私はその意味に気付いて、また子供みたいに涙を流した。
涙を流しながら、止まらないものを止めようとしながら、目元を何度も拭いながら、私は穴をつたって下の階に降りることにした。
今にも折れそうな棒切れみたいな足で、一歩一歩瓦礫を踏んで、降りていく。ゆっくり、着実に。
携帯を見ると、いつの間にか蜘蛛の巣のようなヒビが入っていた。時刻は十五時ちょっと前。あれからまだ一時間しか経っていないのに、とても長かったように感じる。
擦り傷を作りながらようやく私は一階のロビーに辿り着いた。足を引きずりながら、正面出入口を目指す。
あの向こうには皆がいて、いつもの街が広がっていて、薫が遅いよーなんて私に飛びついてきて、ヤマちゃんが怒ってきて、中島くんと目があって、家に帰ればお母さんが晩御飯を作りながらおかえりって言うんだ。
あの向こうに行けば。
ようやくたどり着いた自動ドアを無理矢理こじ開ける。この地獄から早く抜け出したくて、前のめりに外に出た。
ようやく浴びた日の光。視界が一瞬真っ白になって、目をつぶる。そして次に目を開けた時、私は言葉を失った。
倒壊、炎上、廃車、亀裂、死体、泣き声、悲鳴、サイレン。
そこはビルの中と何ら変わらない光景だった。
私はまだ夢の中にいるのかも。
大通りに出ようとすると瓦礫を踏んで、足に激痛が走った。
大通りを右から左に人々が走っていく。まるで何かから逃げているようだった。中には携帯を構え、何か撮影している人もいる。
呆気に取られながら、大通りへと出た。この世の終わりみたいに叫ぶ人達に揉まれながら、私は波に逆らう。
人波が止み、静寂が訪れ、影が私に落ちる。そして私は、見上げた。
そこには――――――
世界で一番長い日 樹一和宏 @hitobasira1129
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