第3話 夜風と君の声。
ある日の夜。
時計の針は丁度十二で重なっていた。
どうしようもなく夜が明けるのが怖くなって、充電中のアイに声をかけ、散歩にでかけた。
河川敷に沿って桜並木とそれを照らす街灯がまっすぐ並ぶ。
といっても、夏だから桜は咲いていないのだけど。
「春になったらここの桜を見に来ましょうね、マスター」
「ん? あ、あぁ、そうだな」
不意の言葉に、少し焦る。
まるで夜風に溶けるように静かな声が落ちた。
そして静寂が二人を包む。
なにか話した方がいいかな、と考えるが手ごろな話題が思いつかない。
しかしこの冷涼な夏の夜を楽しむのもいいかも、と思った。
「アイ」
「どうしました、マスター」
「アイは......恋ってなにかわかる? 」
「恋、ですか」
「そう」
「マスター、誰かに恋したんですか? 」
覗き込むようにして、アイはいたずらな笑顔を見せる。
顔が少し熱を帯びてることに気づいて、とっさに僕は顔をそらす。
「恋って、なんなんでしょうね」
アイはぽつりと言葉を落とす。
「たとえばこういう河川敷で歩いていて、あぁ、あの子と一緒に来たいなぁって思えたら」
「思えたら? 」
「それはもう、恋なんじゃないかなって私は思いますよ」
「それは、どうして? 」
「なんていうか、こういう素敵な瞬間を共有したいって思えたらそれは好きってことだと感じるんです」
「素敵な瞬間、か」
「はい」
弾むようにアイは笑う。
僕は少し黙り込んで、頭の中で思考を巡らす。
......あれ、アイは今この瞬間を、素敵な瞬間だと言った。
それはつまり、僕と紡ぐこの時間が素敵だ、と思っているのかな。
考えすぎか。
そんなこと、あるわけない。
わかっているけど、頭のどこかでそうであってほしいという思いが主張する。
なるほど、これもまた恋のせいだな。
「マスターも、恋するんですね」
「どういうことだよ」
「ふふ、なんでもありませんよ」
プログラムされているんだ。
世の中の男の理想を詰め込んで、そうなるようにつくられている。
そう思ってしまった自分がいて、なんだか嫌になった。
アイは機械で、僕は人間だ。
アイに血は流れていないし、アイは壊れない限り死ぬことはない。
僕とは違うんだ。
恋しちゃ、いけないんだ。
「帰ろっか」
「もう満足したんですか、マスター」
「あぁ、よく眠れそうだ」
「それならよかったです」
僕らは帰路につく。
その、刹那。
大きなクラクションが夜の静寂を破った。
アイが、ふらついて道路にでたんだ。
まだ、充電が完全じゃなかったんだ。
アイは充電がなくなるとふらふらっと、まるで貧血みたいな状態になってしまうんだ。
知ってたのに、知ってたのに。
「アイ!! 」
僕の頭の中には、なにもなかった。
助けよう、とも手を伸ばそうとも考えていない。
でも体が、反射的に動いてくれた。
アイを押しのけ、僕は―
「マスター!! 」
横腹に鈍くてかなり重い鈍痛がはしる。
瞬間、僕は軽く空に投げ出され、地面に叩きつけられた。
動かそう、と思ってもなにも動かない。
朦朧とする中、運転手さんが慌てて降りてくるのが見える。
アイは......無事みたいだ。
よかった。
「マスター! マスター! 」
「......アイ、生きてるよ」
「馬鹿! 私は轢かれても記憶チップを移植すればなんてことないのに! 」
はじめてアイが、砕けた言葉を使った。
返事しようにも、意識が朦朧としていて言葉が浮かばない。
「マスター、死なないで......どうか.....」
その言葉を最後に、僕の意識は途切れた。
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