けものにあいに。



おや…少々お待ち頂いたかな?

今日で諸君と会うのも最期だな。


今日は私の持論。

これを聞いて欲しい。







持論

それは

「動く物が動物であるために心がけたい事」である。


今までの2回、基本的な事を話した。

どちらも「基本」である。

すべて心がけて欲しい。


じゃあ何を心がけていくのか。



思いやりって奴だ。


「動物に心なんて無いだろう?」

「どうせ物じゃ無いか?」

「思いやって何になる?」


そう、思うかも知れない。

けれど、自分がされたら…

そう考えて欲しい。


最近の研究では、どの生物にも人間程複雑でないものの、喜怒哀楽を感じる生物というのは多い事がわかっている。


何度も繰り返すようだが、私は動物とふれあって欲しい訳では無い。

動物を「考えて」欲しい。


考える、それを伝える。


それはヒトに与えられた野生を生き抜く力であると共に、理解を示し受け入れようとする姿勢。


拒絶し、抹消し、都合の良いように使って貰っては困るのだ。


動物園の動物たちは、

言うなれば「商品」

とも取れる。

ペットショップの動物も商品で、

である。


しかしそこには、互いが良好な環境下で生活が出来るようにする了解と配慮がいる。


話せもしない、餌を貪り愛想を振りまいて居ればどうにかなる愛玩動物共を見て我ら人類の進化を遂げた先を高らかに笑うのは人間の自由な表現力の先に生まれた虚像であり、その大きさは巨像そのものである。


目の前に居るのは奴隷じゃない。

触れた毛は自然の物だ。

嗅いだ匂いはけものが野生を生き抜く力だ。


商品は商品らしく最高の品質を届けろ、

なんて無理な話だ。


我々が相手にしているのは、自然である。

言うなれば「赤の他人」であり、

自らがトップだと決めきる基準は無い。


いつの間にか人類は、

すべての物の頂点を極めたこの世で最も優れているつもりでいる。


だが


<機械>から言わせて貰う。


お前たちなんて ちっぽけだ

ちっぽけだからこそ お前たちは優れている

自然に細々と適応し

自然と細々と暮らし

そして叡智を極めた

そして、ようやく自然と肩を並べた。


そうやって考えれば、

目の前の可愛い猫も、犬も。



…話が飛躍し過ぎたな。


けものにあいにいくとき

心に愛と尊敬を持って欲しい。



その命がすべて尽きたら。

次は自分たちだと、思った方が良い。





「あーいたいた!お前何してんだよ!ボディやったらどっか行くとかボディ没収だぞ!余分なこと…」



やれやれ。


そうそう

動物と別れるとき、こう言ってあげるんだ


またな。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

けものにあいに タコ君 @takokun

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ