シスルの話 1

「なんでですか!」

「なんでもないわ。私の気分がそうなだけ」

 食後、少しして。ラーニエとシスルは激しい言い合いをしていた。

 いや、正確には激しいのはラーニエだけで、シスルはそれこそ猫を相手するような笑顔で静かに言い返している。まるで、めちゃくちゃなことを喚く子供を冷静にあやす大人のように。

 彼女のその態度が、ラーニエをさらに腹立たせた。

「意味がわかりません!」

 どう考えたって、シスルの方がめちゃくちゃだからだ。

 少し買い物をしてきます。そう言って外に出ようとしたのが発端だった。

 シスルがラーニエの腕を掴み、そして離さなかったのだ。

 彼女の答えは一言だった。駄目、と。

 それからはこの通りである。理由をきいても文句を言っても、のらりくらりとかわされる。

 この、強情女。心の中で罵倒した。

 それくらい、焦っていたのだ。

 買い物に行く、というのは当然建前。本当の目的はユリカの手がかりを探すことだ。

 ユリカは確実にこの街にいる。なら、誰かは彼女の居場所を知っているかもしれない。

「こんなの、監禁じゃないですか!」

 テーブルを叩く。その音に、にゃ、と皿の前で眠りこけていたケット・シーが目を覚ましたようだった。

 その時、ピンポーンと間抜けな音が聞こえた。

 やはり聞いたこともない音だったが、少し顔を上げただけで何も思わなかった。慣れとは恐ろしいものだ。

 シスルはふう、とため息をついて、私の腕を離した。

「誰かしら。今日は来客の予定なんてなかったはずだけど」

 そんなことをつぶやき、まるでこちらの関心など一切無くしてしまったかのように、すたすたとリビングを出て行く。

 なんとなく気になってがしゃりと閉められた扉をゆっくり開くと、シスルが家の扉を開けようとしているところだった。

 面倒そうな表情で、彼女は無言のまま開く。

 現れたのは、男だった。

 身なりがいい。資産家というほどではないが、少なくとも貧しいわけではなさそうだ。

 慎重に整えられた髭と笑顔が、人当たりの良さを感じさせる。

 一方でシスルは、露骨に嫌そうな声を出した。

「帰れ糞野郎。馬に踏まれて死ね」

 なんとも低俗な罵倒。

 あまりに低俗すぎて思考が止まった。

 対する男は、困ったように苦笑する。

「シスル様、ですからあの件は本当に申し訳なかったと——」

 ふん、とシスルが鼻で笑う。

「謝れば許してあげるとでも?」

「め、滅相もございません!」

 男が驚いたような表情で叫び、頭を下げる。

「シスル様の書物は特別優遇させていただきますので……」

「失せろ豚」

 彼の話を最後まで聞くこともなく、ピシャリとシスルはそう返し、扉を閉めようとする。

 なるほど、とここでようやく理解する。

 彼は商人だ。それも実際に品物を持ち運び各地で売り捌く、行商人なのだろう。

 話には聞いていたが、本物を見るのは初めてだ。

「ま、待ってください!」

 すかさず、男は足を出してそれを阻止した。

「あなたにとってもいい話のはずです! そうでしょう!」

「残念だけど」

 と、シスルがゆっくり答える。

「お金ならもう十分あるの。消えろゴミクズ野郎。カラスに襲われて死ね」

 彼女がはっきりそういうと、男は明らかに動揺した。

 ひゅ、と息を吸い、目を泳がせる。

 カラス。そういえば、ケット・シーもカラス臭いと言っていた。何か関係があるのだろうか。

「あ、えと……す、すみません、でした……」

 男がもぞもぞとそう口を動かして、おずおずと足を引っ込める。

「もう来ないでちょうだい」

 それには彼は答えなかった。商人としての矜持なのかもしれないし、あるいは単に彼女がその暇を与える間もなく扉を閉めたからなのかもしれない。

 いずれにせよ、こちらを振り返った彼女はあまりいい顔をしていなかった。覗き見をしていたラーニエに対しても。

 チッ、と綺麗な舌打ちをする彼女に「何なんですかさっきの」と控えめにたずねかける。

 答えてくれないものと思っていたが、予想に反して彼女は深いため息をついた。

「ゴミよ。あんな奴、ゴミで十分」

 憤慨した様子で、シスルはジャムの蓋を開け、スプーンを突っ込みそのままペロリと舐める。

「あいつはね、私がまだここまで成功していなかった時に本を買い取ってた行商人なの。でもあいつ、私が商売のことわからないのをいいことに安く買ってたのよ。ま、それはいいのだけれど」

 早口でここまで喋り、そしてジャムをペロリと舐める。

 まるでそれが酒か何かかのように。

「問題は、それについて私が怒った時のことよ。あいつ、小説ごときって言いやがった。文学なんてってね。ゴミめ」

 今にも瓶ごといきそうな彼女に思わず、どうどう、と声をかけてしまう。

 彼女は小説家だ。だから、そういう誇りもあるだろう。だがそこまで怒ることではないのではないか。

 だが今の彼女の表情を見るとそんなことは口が裂けても言えなかった。

「文学を貶す奴は、魔物に殺されて野良犬にでも食われればいいのよ」

 どうにもこうにも、極端な思考の持ち主だ——とそんな感想を持ったところで、今更か、と思い直した。これでは衝突も多いだろう。

 ただ、小説家らしいといえば、そうなのかもしれない。誇り高い信念とか、頑固なところとか。小説家には、そういうものが必要なのかもしれない。

「いい? 文学というのはね、この世の全てなのよ——」

 もっとも、酔っ払いのオヤジのように瓶を片手に長々と語り出すのだけは、やめて欲しかった。

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ポンコツ勇者と猫の話 アスカ @asuka15132467

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