ポンコツ勇者と神に逆らう町 6
「驚いたって顔ね」
満足そうに彼女は言う。
「で、でも!」
思わず手を伸ばすと、彼女はやれやれと言わんばかりに本を差し出してくれた。
記憶を頼りに著者をみる。思った通りだ。
「こ、これ! ここ、あなたの名前じゃないです!」
そこに書いてあった名前はサラとある。どうみても彼女の名前ではない。
「そりゃ、本名で書いてないから。私には他にもたくさん名前があるのよ?」
にやにやと笑みを浮かべながらあげた名前は、全て知っているものだった。
「嘘でしょう?」
笑ってしまったのは、その中には神の教えを説くものもあったから。神学校でも習う、重要な小説だ。
あれを? この女が? ありえない。
だが、シスルは否定も肯定もしなかった。
「明日の昼が楽しみね」
代わりにクスリと笑ってそんなことを言う。どういう意味だ。
と、ここで舌で皿を綺麗にしていたケット・シーがふすふすと鼻を鳴らし始めた。
「なんかカラス臭いにゃ」
「……カラス?」
つられてラーニエも匂いを嗅いでみる。当然そんな匂いはしない。というか、思い返せばカラスがどんな匂いをしているのかなんて知らない。
「あら、鼻が利くのね」
そう言って立ち上がった彼女の器にはすでに汁しか入っていなかった。いつの間に。
こちらも慌てて食べ切ろうとしたところで「ごゆっくりどうぞ」とシスルに釘を刺される。
「あの、どこへ?」
声をかけると、彼女はつまらなさそうに目を細め「仕事部屋よ」と器を持った。
「ついてこないでくださる?」
そう睨まれてしまうとますます気にはなる。
気にはなるが欲望に負けるほどラーニエに度胸はない。
「はい……」
ひょっとするとシスルもそれをよくわかっているのかもしれない。
ラーニエがそう返した時には、彼女はリビングからいなくなっていた。
残ったのは、彼女が書いたという小説のみ。手持ち無沙汰にそれを眺める。
中を読みたいとは思えなかった。彼女が書いたものを読むというのは、冒涜的な気がする。神に対してというより、自分に対して。
それなのに、一度見てしまうと目を離すことができない。
呆然。
言葉にするなら、それが最もふさわしいのだろう。
「……」
ただ、じっと眺めていると段々と腹立たしくなってきた。
ラーニエはこの本が好きなのだ。どれくらい好きかというと、この本を読んで小説家に憧れたくらいに。
だというのに。
その実態が、これとは。こんな人が、神を讃えていたのか。
そしてラーニエは、こんな人に憧れていたのだ。
「でも、変な匂いだにゃ……」
と、怒りを遮るように、ケット・シーが呟く。
「普通のカラスの匂いじゃなかったにゃ」
どういう意味なのだろうか。
そんなことを考えているとがたんと扉が開き、シスルが戻ってくる。
「何か……飼ってるんですか?」
そうたずねると、彼女は「まあね」と微笑んだ。
「そんなことより、伸びるわよ? ちゃんと食べないと許さないんだから」
特にラーメンはね、と彼女は目を細める。
それくらい、好きなのだろう。わかりました、と諦める。
どちらにしても、彼女の目は本気だ。もぐもぐと食べ物に口をつける。
美味しいはずのラーメンが、まるで水ネズミの肉を噛むような味になっている。
それが気持ちのせいなのか、それとも彼女がいう『伸びた』状態になったからなのかは、判別がつかなかった。
結局、風呂まで貸してもらったラーニエは、釈然としない顔で一夜を過ごすことになった。
翌朝、シスルの「朝食ができた」という声で目を覚ました時、真っ先に考えたのはラーメンのことだった。昼も夜もラーメンだったのだ。朝もラーメンでもおかしくない。
ただ、それは勘弁してほしい、と正直なところ思った。
確かにおいしいのだが、あれはかなり油分が多い。朝食にするには重すぎる気がする。
水ネズミの干し肉とどちらがいいかと言われれば断然ラーメンだが。
そんなことを思いながら身支度をして下に降り、あっけにとられる。
机のバスケットに入っていたのは柔らかいパン。それだけでもかなりの高級食材なのだが、それが山になっている。傍らにはイチゴのジャムの瓶がそれらしく添えられている。
「勝手に食べていいわよ」
それを手づかみで乱暴に頬張りながら、シスルが言う。
あまりの品のなさに、値段の話とかは瞬時にどうでもよくなった。
つい癖で感謝の祈りを捧げようとして、止まる。彼女の顔色を伺うと、肩をすくめて「ご自由に」と言った。
ちなみに足元ではすでにケット・シーがネコカンを舐め尽くそうとしている。神に感謝どころのさわぎではない。食事が早すぎる。ここまでくると体に悪そうだ。
お言葉に甘えて手早く祈ってからパンに口をつける。
「ん」
瞬間、それがただのパンでないことに気づいた。
「チョコ入りのパンよ。私、これ好きなの」
シスルのいうとおり、パンの中にはチョコレートの欠片が入っていた。味付けもそれに合わせてなのか、だいぶ甘い。
これにジャムなどいらないのではと思ったが、シスルはそれをベトベトにつけて食べている。
「美味しいわよ。遠慮しないで、付けて?」
遠慮などしていないのだが。そう思いながらジャムをつける。
結論から言えばおいしかった。おいしかったのだが、やはり少し甘すぎる。
「どう?」
だが、目を輝かせる彼女には「おいしいです」とだけ答えておいた。
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