ポンコツ勇者と神に逆らう街 5
「部屋を案内するわね」
ラーメンを食べ終わったところでそう言われ、彼女に従いついていく。
作りのいい階段を上がり、通されたのはいくつかある扉のうちの一つだった。
「ここよ」
前の街に泊まっていた屋敷はあまりにも豪勢で夜寝られるか心配になったのを覚えている。
この部屋は、ちょうど対極にあるような気がした。
「……」
ベッドがあって、机がある。姿見があって、クローゼットがある。それだけ。全て一人用の大きさで、この部屋で二人以上泊まることは想定されていないのがよくわかる。
普通の部屋ならそれでも必要十分。だが、この部屋は広さだけはあった。
すべてのものに装飾一つないのも含めて、まるでこの空間だけ色を失ってしまったかのように寒々としている。
シスルの方を見ると、何も言わず笑っていた。その奥に、何か文句でもあるかという断固とした言葉が見受けられる。
ラーメンやケット・シーのこともあって忘れていたが、こちらは脅されている身なのだ。連れてこられたのが監獄でないだけマシと思わなければならない。
素直に部屋に入ると、彼女はやっと肩の荷が降りたと言わんばかりにため息をつき、
「じゃ、お好きなように。私も仕事に戻らなくちゃね」
彼女の言葉にかなり驚き振り返る。
「仕事、ですか?」
「そうよ。何もしてないと思ってたって顔ね」
そんな言葉を得意げな笑みで言うのだ。
怖すぎる。
「す、すみません」
思わずそう呟くと、彼女は馬鹿にするように、
「何もしてないのにこんな豪勢な家に住んでるわけないでしょう?」
言われてみれば。
「……そうですね」
それじゃあ。彼女は話は終わりだといわんばかりにそう言って、ぴしゃりと扉を閉めてしまう。
なぜか、ふんふんと鼻歌を歌っていた。それはどんどん遠ざかり、あっというまに聞こえなくなってしまう。
すると、とんでもなく静かになった。まるで井戸の中に突き落とされたみたいに。
あまりにも静かすぎる、と考え、気がつく。
ケット・シーが静かなのだ。
尻尾を垂れ、もぞもぞとベッドの下に潜り込む。クルマに対する恐怖が抜けきれていないのだろう。
仕方がないか。
やれやれと鎧を脱いで、ベッドに座る。
ふう、と息を吐いて天井を見上げる。
あまり掃除がなされていないのか、いくつかのシミが見受けられた。
それらの大きさや形、数をぼんやりと観察していくうちに、ふと悲しくなった。
ユリカも、そしてあのメイドも。きちんと和解する方法は、たぶんあった。けれど、おそらく考えられうる中で最も悪いことを、自分はしてしまったのだ。いや、ついしてしまうのだ。
慣れていないのだから仕方がない——と言い訳することもできる。多分それが一番いいし、もっとたくさん失敗を繰り返すべきなのだろうと思う。
けれど、考えてしまう。
自分に、存在価値などあるのだろうか、と。
胸に手を当てる。そこに、紋章はない。
それまで、あのルージャルグ神学校の紋章が自分の価値だった。正直認めたくはないが、そう思っていたのだと思う。それがなくなったあとは、ユリカが隣にいることそのものだった。これも認めたくはないが、そうだといわざるを得ない。
それもない今は?
自分自身が価値だと胸を張れと、昔先生が言っていた気がする。実にその通りだ。
だが、ラーニエは剣を振れない。 魔法だって、まともに扱えない。それで、どこに価値を見出せというのか。
魔王軍騒動を思い出した。
彼らは、着実に動いている。だが、ラーニエは。
動きたくない、と思った。動くことがとても面倒だ、と。
もちろん、そんなことは今まで考えたこともなかった。なのに、ものすごくしっくりときた。まるで実家に帰った時のように。これまでずっと、そのことしか考えたことがないかのように。
「……」
ぱたりと横になる。と、体の下に硬いものを感じた。
「……?」
掛け布団をめくってその正体を探る。
出てきたのは、本だった。
題名は『翡翠の竜』。
少し驚いたのは、それが読んだことのある本だったから。懐かしい。
有り体に言えば英雄譚だ。だが、主人公は次々に裏切られ、誰が味方か予想がつかないという展開にのめり込んだ覚えがある。
そういえば、この本の最後の一ページは格別だった。全てがひっくり返り、全てが壊れる。まるで嘲笑されるかのように。
そんなことを思いながら、ページを開く。
一度読んだ本はもう読まない、という人がいるらしい。
だが、ラーニエはそうではなかった。一度読んだ本でも何度でも楽しめる方なのだ。
一度死ぬほど楽しめた本であればなおさらのこと。
あっという間に本の世界にのめり込んでしまった。
「あら、それそこにあったのね」
半分を少し過ぎたくらいの時、突然そんな声がして顔を上げる。
シスルが目の前に立っていた。
「ああ、ごめんなさい? いいわよ、読んでて」
そう口では言ってるが、特に悪びれている様子はない。
「い、いえ……」
おずおずと本を閉じ、差し出す。少しだけ名残惜しい。
「ええっと、お客さんの忘れ物ですかね? 布団の下にあったんです」
「まあ、ある意味そうかもしれないわね」
受け取った彼女は興味なさげにぱらぱらとページを捲る。
「ある意味そう?」
たずねかえすと、
「これ、私の本だから。あいつ、こんなところに置いて行ってたのね」
あいつ、と露骨に忌々しそうな表情を見せた。
そうなんですか、と相槌を打ちながら、少し新鮮だな、と考えていた。
彼女をこんな顔にさせる人間がいるのだ。
「ところで、ご飯できてるけど、食べる?」
意外といえば、この言葉もそうだ。
ラーニエはこの家に来てから、やたらとご馳走になっている。あんな風に脅されて無理やり連行されてきたのだ。閉じ込められた挙句ご飯も食べさせてくれないかと思っていた。
それにしても、ラーメンは美味しかった。次は何を食べさせてくれるのだろう。
気持ち、わくわくしながら部屋を出る。
「猫缶の準備もできてるわよ」
何気なく言ったシスルの言葉に、ずっと静かだったケット・シーが「ニャッ」と叫んだ。
どたどたどた、と音を立て、ものすごい勢いで走ってくる。
「はやくよこせにゃ!」
文字通り死ぬほどの恐怖も、ネコカンの魅力には勝てないらしい。
なんとなく、どうしてクルマに襲われたのかわかった気がする。
「下に降りればあるわよ」
それを聞くや否や、ケット・シーはラーニエたちの足元を器用にすり抜け、廊下を走り抜けていった。
「せっかちね」
そうひとりごちたシスルの感想に心の中で賛同する。
「私たちも急ぎましょ。早く食べないと伸びちゃうわ」
ん? 伸びる?
笑顔でこちらを振り向いた彼女に、少し嫌な予感がした。
はたして、それは的中することになる。
「……」
小さなテーブルの上に器が二つ。
匂いの時点でわかりきってはいた。
湯気の立っているホカホカのラーメンが入っていた。
「……何よ」
文句でも? と言いたげな彼女に、いえ、と首を振り、フォークを口に運ぶ。
文句はない。なにせ本当に、ラーメンは美味しいのだから。
がちゃがちゃ、と音を立てながら舐めるようにネコカンを食べるケット・シーを見て、よくもまあ同じものを何度も食べられるものだ、と思った。
「一つ言っておくけど、昼間のものとは違う会社のものよ」
不満そうな彼女に、はあ、と生返事をする。
結局、同じ味の同じラーメンなのだ。大して変わらない。
「あまり変わらないと思ったら大間違いよ」
「……っ!」
図星を突かれ、思わずむせてしまう。
「いい? これを見て。昼間のに比べて麺が太いでしょう。あと、少し硬い。コシが強いの。そしてこの汁も昼間のに比べて少し塩気があるわね。ほら、全然違うのよ。わかった?」
早口の大演説だったが、咳き込むのに忙しかったラーニエはちっとも聞いていなかった。
水などという気の利いたものは用意されていない。仕方なく汁をゴクゴクと飲むことにする。
油をそのまま飲んだような気分になった。
「そ、そうですか……」
適当に返すとそれで満足したようで、ふん、と鼻を鳴らす。
そうだ、と思い出したことがあった。
「あなたも本とか読むんですね」
それも、かなり分厚い本を。
感心のつもりだったのだが、彼女はそうは捉えなかったらしい。
「失礼ね。本くらい読むわ」
確かに言葉足らずだったので、すみません、と謝る。
ただ、それくらい興奮してしまったのには理由があった。
「ちょっと嬉しくて。あの作者の小説、結構好きなんです」
すると、彼女の表情も変わった。
目を見開いて、気持ち口も開いている。
「あら、ありがとう」
だが、その口から飛び出した言葉には、違和感があった。
ありがとう?
その答えは、すぐに判明することになる。
「あの本の作者、私なの」
えっ、と、声が出たかどうかすらわからない。
がちゃんとフォークが手から滑り落ち、汁が跳ねてテーブルを汚した。
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