ポンコツ勇者と髪に逆らう街 3

 にゃんにゃんとケット・シーが飛び跳ねている。地面の上を、自分の足で。

 ついさっきまでラーニエの腕の中であくびをしていたのに、と呆れてしまう。

 よほどネコカンとやらが嬉しいらしい。

 街の景色は変わらない。高い建物に挟まれると、なんだか自分がどこかに連れ去られてしまいそうで不安になる。

 ごく普通の顔をして歩いている人々が異様にすら思えた。

 もっとも、実際にラーニエはシスルの家に連れていかれている真っ最中なのだが。

 猫の姿はちらほら見かけるものの、ほかの動物が見当たらないことも気になった。野良犬どころか、鳥も虫のすがたもない。

 清潔感、といえば聞こえはいいが、少し落ち着かない。まるで人間と猫以外の生き物は絶滅してしまったかのように思えた。

 そんな道を抜ける。

 高い建物の束縛から解放されると、そこそこ見覚えのある世界が広がっている。

 レンガで造られた屋敷。その大きさからして、一般庶民の家ではない。かといって貴族のものというわけでもなさそうだが、お金持ちが住む場所ということはわかる。つまり、一等地だ。

 シスルに連れて来させられたのはその中でもかなり大きめの、年季の入った屋敷だった。

 前の町のそれとは違い、中庭のようなものはない。だが、そこそこ値が張りそうな物件だ。

「ここよ。我が家へようこそ」

 当然といった顔をして入っていく彼女と、嬉しそうに小走りをするケット・シーを追いながら、顔が引きつった。

「……ここ、ですか」

 また屋敷だ。最近、豪邸に縁がある。

「そうよ。お気に召さなかったかしら?」

 そんなわけはあるまい、と言わんばかりにこちらを振り返る。

「い、いえ……」

 それに気圧されたわけではないが、苦笑いを返す。

 慣れた手つきで鍵を外し、雑に扉を開く。

「入って」

 そういうと、シスルは一人でさっさと入っていく。

 扉を抑えてもくれなかったので、細い場所が得意なケット・シーはともかく、ラーニエは危うく締め出されるところだった。

 物が多すぎて眩しかった前回の屋敷と比べると、こちらは真逆。ほとんど何もない。

「散らかっててごめんなさいね」

 と彼女はこちらを見もしないで言ったが、冗談のつもりなのだろう。だだっ広い廊下には、絵画どころか燭台一つ飾られていない。

 その代わりに見たこともない丸いガラスが天井に取り付けられていた。

「ただいま」

 と彼女はつぶやき、手のひらで小さなスイッチを押した。

 カチ、と小気味よい音がする。

「……!」

 仰天したのは、明かりがついたからだ。

 正確には丸いガラスが突然光出した。

 真っ先に考えたのは、どんな魔法だろうか、ということだった。

 少なくとも、こんな魔法は見たことがない。

 あのガラス玉が媒体になっているのは間違いないが、それをスイッチ一つで行える、というのが気になった。

「これで驚いてる人見るの、久しぶりだわ」

 気がついたら、シスルが笑みを浮かべていた。困惑のようにも取れるが、どちらかというと嘲りの笑みなのだろう。

 ムッとしたが、彼女の「電気よ」という言葉にあっけにとられた。

「電気……ですか。魔法の?」

 聖都ルージャルグの草原に暮らす雷撃の野犬を思い出した。今、どうしているだろうか。

「そう、それよ。それをうまく使うと、こんなことができるの」

 知らなかった。学校でも習った記憶はない。

 どうしてこんなに便利そうなものが広まっていないのだ、と魔法学会を疑問視したところで、気づく。

 広まっていないのではない。

 つまり、ラーニエと同じ。

 知らないのだ。

 ここは、神に背いた者が集まる要塞。中で何が行われているかは、外からは見えない。

 圧倒的な技術差。

 教会が何度攻め込んでも落とすことができない理由が、ここにある。

 ふふ、と彼女が笑った。悪魔に笑われたような気持ちになった。

 逆らえば命はない。改めて、そう感じる。

「にゃー、どーでもいいから早くくれにゃー」

 ケット・シーが強引に注意を引かなければ、張り詰めた空気の中でどうにかなっていたかもしれない。

「ああ、そうだったわね」

 彼女はそう言って、ずんずんと廊下を歩いていく。こちらを振り返ることもしない。ケット・シーがすぐ後ろを歩いていることにすらも。

 なんとなく、だんだん彼女のことがわかってきた気がする。

 お邪魔します、と一応声をかけてから彼らの後を追った。

 廊下に何もなければ、リビングにも大したものはない。

 机があって、椅子がある。いずれも広い部屋にはそぐわない、二人が向き合って座ればそれだけで埋まってしまうような小さなものだった。

「この家に……おひとりで?」

 机の他に目立った家具があるとすれば、机のそばにある箱がある。

 それの鍵を開けたシスルに声をかける。

「ええ。悪いかしら?」

 鍵、といっても錠前や鎖ではない。いや、錠前には似ているのだが、鍵穴がない。そのかわり一から九までの数字が書かれてあるボタンが付いていて、彼女はそれをいじっていた。

「いえ……悪いわけでは」

「ふふ、気にしないで。みんなそう言うの。なんなら来るたびに言ってくるお節介もいるわ」

 彼女が箱から取り出したのは、缶詰だった。可愛らしい猫の絵が描かれてある。ネコカン、というものなのだろう。

「お客さん、くるんですか?」

 そう重ねてたずねたのは、椅子が一つしかなかったから。とても誰かが訪問してくることを想定しているとは思えない。

「あんまり」

 果たして、彼女はこちらを振り返ってそう言った。その手には猫用の皿もあった。

「さて、お待ちかねよ」

 と、彼女がネコカンを開け、皿に盛りつける。

「ふにゃあ! にゃあ! ふにゃーん!」

 自身がケット・シーであることを完全に忘れたかのように、大きな声で鳴きまくる。

 ちらりと見て、なんとなく納得した。

 すり潰され、ムース状になった肉。缶には水ネズミ肉と書かれてあるがとてもそうは見えないほどおいしそうなのだ。

 特徴である水っぽさも、ムース状にすれば全くわからない。

「あげないにゃ」

 ケット・シーがにゃふにゃふとそう言った。

「た、食べないよ」

 誰が猫の餌を。

 慌てて目を背ける。だが、その時ぐう、とお腹が鳴った。

 そういえば、昼を何も食べていない。

 ふう、とシスルが肩を落とす。

「何かあったかしらね」

 そう言いながらリビングを出て行こうとする。

「あ、いえ、大丈夫です!」

 一応、食べ物なら水ネズミの干し肉がある。……あまり食べたくはないが。

 そう思いながら声をかけたが「気にしないで」と部屋を出て行ってしまった。

 かちゃかちゃと猫用の皿の音がする。

 食事中のケット・シーとふたりきり。

 割と地獄だ、とラーニエはそう思った。

「にゃー、まだ食べたいにゃー」

 ふと、ごとごとという皿の音ではない何かが聞こえてそちらを見ると、ケット・シーが箱の中身を物色していた。

「あっ、ちょっと! やめなさい!」

 人のものを勝手に触るのはまずい。

 慌てたというより背筋が凍った。

 一見高級感のあるただの木箱だが、お店の人が家と箱の鍵を開けて勝手にネコカンを入れたとは考えにくい。魔法のそれなのだろう。

 しかも、よく見たら材質も木ではないらしい。ただ、そういうデザインなだけで。

 と、急にいい匂いがしてきた。

「こんなのはどうかしら——あら」

 振り返ると煙がもくもくと上がっている小さな器を二つ持ったシスルが立っていた。

「す、すみません」

 慌てて謝り、ケット・シーに飛びつく。

 何とかして悪行を止めてやろうと思ったのだが、腹立たしいことにうまくかわされてしまった。

「もう一個だけよ」

 シスルはそう言って器を机の上に乗せる。

 不思議な匂いだ。甘いような、しょっぱいような、そんな匂いがする。

 好奇心に負けて中身を見てみて仰天した。

「あ、あの、これって……」

 食べ物なんですか? という言葉は出てこなかった。

 茶色い液体の中に麺がどっさりと入っている。

 その麺にフォークが刺さっていた。

「期待通りの反応をありがとう」

 彼女はネコカンをもう一個開けながらそう言った。

「カップラーメンよ。おいしいわ。手軽に作れるし。この街の名物ね」

 観光客なんてこないけど。

 そう笑った彼女を横目に、もう一度器の中身を見る。やはり食べ物には見えないが、匂いはいい。本能が早くこれを食べたいと叫んでいる。

 神のしもべたるもの欲は抑えられなくては、と思うものの、つい唾を飲んでしまう。

 一方シスルの方はケット・シーの前に皿を置いて「待て」に挑戦させていた。

「ふん」

 当然、ケット・シーが従順な犬のようにいうことを聞くはずがない。間髪入れずに顔を突っ込む。

 やれやれと肩を落としたシスルはこちらを見て「座って。食べましょ」と笑った。

「ありがとうございます」

 促されるまま椅子に座り、ふとそれでは彼女はどうするのだろうと思ったら、なんと立ったままカップラーメンとやらを食べ始める。それもお淑やかとはかけ離れた勢いで。

「おいしいわよ?」

 唖然とするラーニエにシスルがきょとんとした表情を見せる。

 暗に早く食えと言われている気がして、おそるおそるフォークを口に運んだ。

「……」

 率直に、声を失った。

 それくらい、美味しいと思ってしまった。

 甘さとしょっぱさが融合した絶妙な味、そして麺の艶やかさと適度な硬さ。さらにこのいかにも不健康そうな油が食欲を刺激する。

「……」

 気がついたらラーニエも、神の信徒とは程遠い、まさに猫のように黙々と食らいついていた。

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