ポンコツ勇者と神に逆らう街 2

「……私を、どうする気ですか」

 声を押し殺し、たずねる。

「私の家に招こうとしているわ。街の中で野宿なんて馬鹿らしいでしょう?」

 あくまでも善意だと、彼女は言う。

 だが、表情が、目が、いや、体全体が否と言っている。

 もともと人を食ったような少女ではあるが。

「殺すつもりですか。そのためにわざわざ中に?」

 そうなのかもしれない。

「殺す? どうして? 不名誉な想像はやめてくださらない?」

 馬鹿馬鹿しい。そう言わんばかりに声を上げて笑う。

 こちらだって、その言葉だけで疑いを消せればどれだけよかったか。

 果たして、す、と表情を戻すと、

「でも、まあそうね。気をつけないと、うっかりあなたのことを街の人に漏らしてしまうかもしれない、ということはあるわね。そのあと用事を思い出してしばらく街を離れるかもしれないわ」

 想像よりずっと恐ろしいことを言い放つ。

「……それは、脅迫ですか」

「脅迫? 自戒よ自戒。気をつけるって言ってるじゃない」

 つまり、脅迫ということだ。

 この街で神の僕と知ったラーニエを保護してくれる人間などいない。

 そう、彼女を除いては。

「にゃー……」

 こんな時でも、ケット・シーは大あくびをしてみせる。

 それを見て「可愛い」と頭を撫でた彼女は、次にラーニエを見上げて、

「お猫様がお疲れよ。長旅だったんでしょう?」

 お猫様が元気でも、連れて行くくせに。

 そう思ったが、彼女に従わなければ死ぬのだ。

「……わかり、ました」

 意を決するしかない。

 彼女の目的はわからないが、この街にいればユリカの情報を手に入れることくらいはできるだろう。でも死ねば、それも叶わない。

「決まりね。ついてきて」

 いかにも公正に決めたことだと言わんばかりに、すたすたと道を歩き始める。

 この期に及んで数秒ためらったあと、仕方なくついていくことにする。

 行かなければ死ぬ。行かなければ死ぬ。なんども心の中で繰り返す。行かなければ、死ぬ。

 見張りの兵士がこちらを哀れんだ理由がわかった。

 自己中心的で、強引。自分の目的のためであれば他人を脅迫することすら厭わない。

 前途多難、というか、不安しかない。

 見たこともないほど高い集合住宅の下を歩く。

 見上げた空が狭い。たったそれだけのことが意外と不安になる、ということを初めて知った。

 ふすふす、とケット・シーが腕の中で鼻を鳴らし始める。

「にゃ……んかいい匂いが……」

 そういうと、もぞもぞと動き始め、腕を飛び出していく。

「あっ、ちょっ……」

 慌てて捕まえようとしたが、ラーニエの腕をひょいとかわして一目散にどこかへ走っていく。

 そちらを見ると、なぜか白やら黒やらの毛玉が集まっている。

 猫だ。

 猫が五匹ほど集まって三枚のお皿に顔を突っ込んでいる。

「ああ、猫に餌やってる人がいるのね」

 と、少女が肩をすくめた。

 餌。なるほど、と思って皿の中身を見てみて、仰天した。

 茶色く、小さな物体が詰まっている。おおよそ、食べ物には見えない。

「おお、これは……久しぶりにゃ……!」

 だというのに、ケット・シーはそんな風に歓喜の声を上げると、

「どけにゃ!」

 と先客を足蹴にして割り込み、顔を突っ込んだ。

 ふにゃあ! と押し退けられた猫が怒りを露わにする。

 ケット・シーが抗議に取り合ってくれないと見ると、ついに足を出した。

「にゃあ? やるにゃ?」

 途端に毛を逆立て、ケット・シーも足を出す。

 自分には魔法があるのだということを一切忘れてしまったようで、動物的な喧嘩が始まった。

「あらあら」

 などと少女は笑ったが、こちらは笑いごとではない。

 軽く頭を叩き合う程度であれば止めに入るのだが、ちょっと人間が下手に割って入れるような雰囲気ではない。

 猫が目にも留まらぬ速さで五発殴れば、ケット・シーは七発殴り返す。

 迂闊に手を出せば怪我をしそうだ。

「それくらい、買ってあげるわよ」

 少女が声をかけると、ケット・シーが「にゃ?」と振り返った。

 その隙を逃さず、猫が思い切り殴り皿から追い出す。

「ふにゃあ!」

 不意をつかれたケット・シーが悲鳴をあげた。

 もう一度襲いかかろうとしたが、ひと睨みされると「うっ」と足を止める。どうやら喧嘩に負けたらしい。

「あなた、猫缶は好き? それともこっちの方がいいかしら?」

 ネコ……カン?

 聞いたこともない言葉に眉をひそめる。

 だが、ケット・シーには通じたらしい。

「猫缶があるにゃ? そっちにゃ!」

 気持ち、目が輝いているように見える。

「水ネズミの猫缶?」

 少女が再度問いかける。

「にゃーん」

 うっとりとした声をあげたケット・シーを見て、少女は「決まりね」と首を傾げた。

 そのまま、目の前の店に入っていく。

 いや、ちょっと待て。決まりね、ではない。

「なにをする気なんですか!」

 思わず叫ぶ。

 店内には他にもたくさん人がいて、不思議そうにこちらを見つめている。中には、明らかに迷惑そうな顔をしている人もいる。

 そんな中、女性が一人歩いてきたかと思うと、

「お客様、お店の前ですので、できればお静かに願います……」

 と言われてしまった。

「あ、はい……すみません」

 素直に謝ると少女がフフ、と口を押さえて笑う。

 誰のせいだと、と睨むが、全く胃に介していないようだった。

「店員さん、水ネズミの猫缶はどこに売ってるかしら」

 少女がそういうと、店員は「あ」と小さく声を上げて、こちらを見た。納得した、というような表情だった。

 どうやら彼女の悪名は相当なものらしい。

 メイドの悪名は不当極まりないものだったが、彼女の方は違う——と思う。

「こちらです」

 そして店員は何を思ったのか少女のみを連れて行ってしまった。

 取り残されたラーニエは、手持ち無沙汰にケット・シーを見る。

 ご飯を奪われて不貞腐れて寝そべっていた。羨ましそうに猫を見つめている。

「ネコカンってなに?」

 可哀想に思えて頭を撫でてやる。

「美味しいものにゃ」

 でしょうね。

 これ以上何も語るつもりはないようだったので、こちらも無言で頭を撫で続けた。

 それにしたって、とさらに入っている物体を見やる。

 極限まで小さく焼いたクッキーのような物体。色のせいでなにかの糞のようにも見える。

 あれが、ご飯。信じられない。

「おまたせ。買ってきたわ」

 そんなことを思っていると少女が帰ってきた。

 買ってきた、と言う割には何も持っていない。

「あとで家に送ってもらうように手配したの。着いたら食べさせてあげるわね」

 彼女はラーニエを無視してケット・シーの前にしゃがみこみ、頭を撫でる。

「にゃ? 今じゃないにゃ?」

 ケット・シーが目を丸くしたが、

「喧嘩しながら食べるよりも、落ち着いて食べれた方があなたもいいでしょう?」

 少女がそう笑うと「なるほどにゃ」とあっさり納得してしまう。

「なら、早くいくにゃ!」

 なるほど、そういうことだったか。

 ラーニエには命の危険意外にも、彼女の家に行く理由ができてしまった。

 狡猾。

 意識して、顔をしかめてみせた。

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