ポンコツ勇者と神に逆らう街 1
町を出てしばらく行った先の山を迂回する。
屋敷の主人に言われた通りに、そして自分の記憶の通りに向かった先に、それはあった。
「……」
石を積まれて作られた、壁。
もちろん、城壁があるということは知っていた。
だが。
「なんかすごいにゃぁ……」
日々、人間のやることにケチをつけることに熱心なケット・シーすら唸らせる。
想像していたものと、規模が違った。
それは空を覆い隠すほど高く、強力な呪いのように無感情。
あたりに咲いている小さな花々や、雄大な山、遠くから聞こえる鳥の鳴き声といったありふれたものが、この壁の前だと不釣り合いに思える。
教会に恐れられたのも、教会を撃退できた理由もうなずける。
中で何が行われているのか、どのような人間がどのように暮らしているのか、一切が覆い隠されていた。
足がすくむ。未知なるものというものが、ここまで恐ろしいものだとは思わなかった。
それでも、引き返すという選択肢はない。
ユリカを、放っておくわけにはいかないのだから。
ふわわ、と、ケット・シーが腕の中で大欠伸をした。
「じゃ、オレは寝るにゃぁ」
呑気な奴だ。
困ったことに、ケット・シーのあたたかい体温のせいでこっちまで眠くなってくる。こんな状況でずっと緊張していた、というのもあるのかもしれない。
頭を振って、気を引き締める。これから行く先は、神を信じるものを容赦なく殺す街なのだ。ラーニエだって、例外ではないはず。
近づけば近づくほど、その威圧感を肌で感じる。
神の慈悲とはまるで逆。
どこまでも現実的で、どこまでも残酷になれる、人間そのものを感じさせられた。
「止まれ」
城門前で、見張りらしき兵士に呼び止められる。
「……っ」
足とともに息まで止めてしまったのは、その鎧になんの紋章も見当たらなかったから。
国に属していれば国軍の紋章がどこかにあしらわれてあるはずだし、教会に属していれば教会の紋章があしらわれてあるはず。
それがないということは、つまり、どこにも属さない人間であるということ。
「何用だ?」
言葉を間違えれば殺される。
そう確信できるくらい、男の表情は硬い。
事前に言いつけられていた通り、紹介されてここに来ました、と屋敷の主人の名前を出す。
それでも、彼の表情は硬いまま。ふと、彼らは警戒心が強いから、いくら繋がりがあるとはいっても一画家の名前を出したところで入れてくれるかどうかは五分五分だろう、という言葉を思い出した。
そして、明らかに彼はラーニエを信頼していない。殺すべきかどうするべきか、悩んでいるように見える。
「いいんじゃないかしら」
彼に気を取られていたので、突然聞こえた女の声に驚いた。
「シスル……様」
さらに兵士が明らかに動揺しだして二度驚く。
彼が様付けした彼女の姿を見て、三度驚いた。
夏でもないのに脇どころか肩まで露出した黒いワンピース。控えめに膨らんだ胸と、見事なくらいのくびれ。
そしてスカートの丈は、当然のように膝上で、白い太腿まで見えている。
女であるラーニエですらごくりと唾を飲んだ彼女は、大人のようにはみえなかった。ラーニエと変わらないか、下手をしたら年下かもしれない。
体形の割に胸が控えめなのは、これから発達するからなのかもしれない。そんなことすら思った。
いかにも高慢そうな金色の瞳が、兵士を捉える。
「様付けはやめてって、何度も言っているわよね。反吐が出るって」
シスルと呼ばれた少女にそう命じられ、兵士はまるで従順な犬のように「はい」と掠れ声で答える。
「お、お知り合い、で……?」
彼女の目線から逃れるように、兵士がこちらを見る。
当然、知っているわけがない。
素直にそう答えようとした時、
「そうよ」
シスルに先を越された。
「だから、入れてあげてもらえないかしら?」
あまりにも昂然たる口ぶりすぎて、反論する隙すらない。
「そうですか……」
呟くように答えた兵士はラーニエを、むしろ哀れむような目で見下げる。
大変苦労されているのですね、とは言わなかったが、そんな声が聞こえるような気さえした。
嫌な予感がする。このまま誤解を解かずにいるのは悪手だと、本能が言っている。
助けを求めて、つい腕の中のケット・シーに目を落としたが、相変わらず寝息を立てている。よくもまあぐっすりと眠れるものだ。
「どうぞ、お通りください」
気がつけば、兵士のラーニエに対する口調が変わっている。
どうやら彼女はこの街で、よほど高い位の人物らしい。
そういう人間に対する畏怖を感じたということもあるし、彼の好意を無下にした結果彼女に何かされるのでは、と想像してしまったということもある。
「ど、どうも……」
いずれにせよ、ラーニエは言い訳の口をつぐみ、そのまま門を潜ることにする。
石の壁に挟まれるという言いしれない威圧感。
無機質で、冷たい感じのするそこを抜ける。
思わず立ち止まったのは、それくらい信じられなかったから。
まるで異世界に来てしまったかのようだ、と思った。
言うなれば、色鮮やかな世界だ
踏みならされた土よりも遥かに硬い灰色の地面。立ち並ぶ集合住宅は白だったり茶色だったり、高級感のある黒だったりしている。
道の真ん中で、一定の距離で生えている木々と、所々に置いてある鉢植えの花がよく目立つ。
そして華やかなものがもう一つ。
人々の服装だ。
赤、黄色、青、緑、橙に、紫。豹柄に縞模様、可愛らしい絵があしらわれてあるものもある。
皆、思い思いの色をした、思い思いの格好で道を歩いていた。
そんな世界を背に、少女が首を傾げ無言でこちらに来いと合図する。
どうにもこうにも、とそう思った。
こんな場所で一人になれるだけの度胸はない。
正直言って、こんなことになるとは思いもしなかった。むしろ彼女がいて助かったとすら思う。彼女の目的はわからないにしても。
「あ、あのう」
駆け寄って話しかける。
「シスルよ」
と彼女は肩をすくめる。さっきも言ったけど、と言わんばかりに。
「ありがとうございます」
頭を下げるとフン、と鼻を鳴らした。
表情を見るに、あしらわれたのではなく気にするなという意味なのだろう。
それより、と彼女は横目でこちらを見る。
「あなた、今日泊まる場所は?」
痛いところを突く。
「ええっと……」
一応、屋敷の主人の紹介で来ている、という体になっている。ない、というのは少し不自然だ。
「なさそうね」
適当な嘘をつくより早く、彼女が結論を下した。
馬鹿にするでもなく、何か疑いを持つようでもない。まるで最初からそれを知っていたかのようにも聞こえる。
慌てて言い訳をしようと思ったが、今度も彼女の方が早かった。
「ねえ、私の家に来ない?」
流石に、答えるのに躊躇った。
どう考えても彼女はおかしい。世界から隠れ、教会を憎み、嫌い、そして教会からも憎まれているこの街の門前で兵士に止められている見ず知らずの人間を迎え入れ、その上家に連れ込もうとするとは。
ラーニエは教会の人間。
一歩間違えれば、殺される側の弱き者だ。
こんな、見える餌に飛びつかないほうがいい。
ふと、彼女がラーニエの胸に目を落とす。
「可愛いケット・シーね」
そう言って、頭を撫でる。
ふわわ、とあくびをしてケット・シーが薄眼を開けた。
「な、なんにゃあ……?」
ふんふん、と匂いを嗅ぎ、もぞもぞと動き始める。
だが、彼女の目はこちらを向いていた。
「失礼、猫、だったかしら?」
その瞬間、確信する。
この女は危険だと。
「オレをどう見たら猫以外のヤツに見えるにゃ?」
呑気に怒り出すケット・シーには付き合っていられない。
今すぐにでも逃げ出したいくらいだ。
けれど、彼女の視線が、それを阻んだ。
「断らないほうがいいと思うけど。ねえ? 勇者様?」
「——っ!」
息が止まった。
威嚇するようでもなく、かといって勝ち誇るようでもなく。
いたって柔らかな物腰で彼女はそう言ったのだ。
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