メイドの話 4
勇者も倒せなかった魔物を倒し、町を救った英雄。
人々から差別を受け、石を投げられていた少女は、その日の夜には感謝の言葉を捧げられる身になっていた。
強すぎる力を持つ白鼬に嫌悪感を抱いていた者もいたが、司祭がラーニエに涙ながらに頭を下げるのを見て、口を閉じた。
勇者様、わたくしどもが間違っておりました。司祭はそう言ったのだ。
すなわち、アムスラント人だからと差別をしたから、神の裁きが下ったのだと。
例のマントの魔物の目的を考えれば、神の御意志とは関係なく攻め込んできただろうとは思うのだが、わざわざ改心しようとしている人間に水を差す理由はない。
これからはどのような人間にも正しく接するように。そうすれば神の御加護を得られるでしょう——などと今考えても顔から火が出るほど偉そうなことを告げると、司祭だけではなく町人全員がざめざめと泣いた。
ラーニエのことをよく知るケット・シーはムカつくにゃ、と呆れていた。
続く宴の出席をメイドが断ってから、しばらく経つ。
外はすっかり暗くなり、美しい満月が浮かんでいる。
「全て、お話致します」
突然、彼女は思いつめた顔でそう言った。
今、ラーニエたちは屋敷の食堂で席についている。
十人ほど座ることができる大きなテーブルが鎮座し、頭上を見れば煌々と輝き権威すら感じさせる、三段のシャンデリアが吊られている。
見たところ、乗っている蝋燭もその辺で安く売っているものではない。ルージャルグ神学校にもあったような、高級品だ。
そして椅子もしっかりしている。腕利きの職人が作ったものなのだろう。
無論、ただその椅子に座っているだけというわけではない。ラーニエたちの前には豪勢な食事が並んでいる。
柔らかいパンに新鮮なサラダ、魚のムニエルにメインディッシュは羊肉の鍋だ。
喉がなる。
ケット・シーは見た瞬間、お行儀悪くテーブルの上に乗って匂いを嗅いでいた。
そのまま食べてしまうのではないかと心配したが、予想に反して何もせずテーブルを降りてこんなに熱いものを食べるのかと不思議そうに言った。
ケット・シーや猫は食べないが、人間は食べる。
今は、そのあとすぐに出されたケット・シー用のご飯に飛びついて一心不乱に食べている。
「そんな、別にいいのに」
もちろん、これらの料理を作ったのはメイドだ。
ラーニエはあまりこういったことが得意ではない。ユリカもだ。
結果的にこの町を救ったのはメイドなのに、そのメイドにお祝いの料理を振舞ってもらうのは何か間違っていると思う。
その上、話しにくいことを話してもらうのは偲びない。
「いえ……話させてください」
彼女の目は真剣だ。
ちらり、とユリカがこちらを見る。
彼女も同じ目をしているのを見て、半ば気押されるように頷いた。
勇者になってから、どうも腹に一物を抱えている人ばかり出会う気がする。
「感謝致します」
メイドはそう言ってお辞儀をした。その言葉にどれだけの意味があるのかはわからない。口癖のようなものなのかもしれない。その証拠に、彼女の目はどこか遠くを睨んでいる。
しばらくの沈黙があった。
ラーニエも、こんな空気の中料理にては伸ばせないので、ぼんやりと鍋を眺めた。メイドの顔をじっと見続けるのも、なぜかしてはいけないような気がした。
「もうお察しかと思いますが、わたくしはアムスラント王国の出身です」
やっぱり、と思った。
いや、彼女の鮮やかな銀髪と色白の肌を見れば誰だってアムスラント人だとわかる。ラーニエが特別、意識もしていなかっただけで。
けれど、彼女に直接確かめたことはなかった。避けていた、のかもしれない。自分でも知らないうちに。
そして、彼女の話は別に、故郷が昔は異教徒の国だった、という当たり前のことが主題ではないようだった。
「我が国は、三年ほど前に滅びました。魔王の襲撃を受け、なすすべもなく」
そう言って、彼女はまた暗い面持ちに戻り黙り込む。
先ほどと違うのは、その中に悲痛な影が浮かんでいることだ。
ただ、その言い草に少し違和感を覚えた。
我が国。
内容の哀れさに反し、その言葉には威厳すら感じる。
なんと言えばいいのかわからず黙っていると、
「やはり、ご存じないのですね。ルージャルグ神学校では、秘匿されたのでしょう。あの時の内情を知っている生き残りがいるなんて普通は思いませんから」
しばらくして、メイドは悲しそうに言った。
あえてこんなことを言う、ということは。
「……事実、なんですか」
絞り出すように、たずねる。
すると、彼女はお、という顔をした。だが、決してなにかをいうそぶりは見せない。
なにをどこまで知っているのかを知りたいのだろう。
「この町で聞きました。アムスラント国王が勇者を殺した、と」
ギョッとした顔を見せたのはユリカだ。
一方で、メイドと屋敷の主人は、平静としている。
「事実です」
やがて、彼女はゆっくり、はっきりとそう言った。
そのあまりの堂々さ故か、ユリカが心配そうにこちらを見てくる。殺されるかもしれない、という危機感を覚えているのだろう。元勇者が、ここにいる。
一方でラーニエは、不思議なくらい何も感じなかった。
すでに勇者ではないから、というわけではない。そもそもメイドはそのことを知らない。
少なくとも彼女は何もしないだろう、という確信があったからだ。
たくさん助けてもらった。この親切は、嘘じゃない。
ラーニエもじっとメイドを見つめ返す。
メイドが、頷いて続けた。
「我が国の王は、勇者を殺しました。これは事実です。そして理由は——彼が、操られていたからです」
流石に驚いた。
もっと正確に表現するなら、混乱した。
「操られていた? 誰に?」
思わず口にしてから、冷静になる。
考えるまでもないことだ。
「魔物に、です」
そうに決まっている。司祭やメイドが言った通り、アムスラント王国は魔物に滅ぼされたのだから。
いや、待て。
「……そう、なると……?」
何かが頭に浮かびかかった。ぼんやりとしたものが、何か形を取ろうとしている。
だが、それが具体的になんなのかはっきりする前に、突風に吹かれたようにふっと霧散してしまった。
後には言い知れない不吉さが残った。腐った豆を口に入れたかのような、糸を引く気持ち悪さ。
「最初からお話しいたします」
何かを察したのか、メイドが割り込むように言った。
正直なところ、あまり聞きたくなかった。聞かないほうがいいのでは、と頭の中で何かが警告している。
結局、口には出せなかった。
聞かなければならないことだ、ということくらい、わかっていたからだ。
「勇者様が魔物の軍勢が来るという情報を持って訪れたのは、その前日の早朝のことでした。我が国はそれを受け、迎撃の軍を編成しました——そして翌日、彼の言う通り魔物の軍が攻めてきました」
スラスラと続け、そこで一息をつく。
がりがり、とケット・シーが固いものをかじる音がする。
「我が部隊は、主力として後方に控えておりました」
我が部隊?
一瞬そのことについて考えた。だがそれが何を意味するのかに気がつくより前に、メイドは話を続ける。
「彼の情報は確実で、開戦当初より優勢を保ち続けておりました。それで、誰もが油断していたのです」
ここからだ。
知らず、ラーニエは息を詰める。
「突然、主力前方にいた勇者様がうなだれました。がくんと。そして——みかたを斬り殺したのです」
わずかに声が震えた。
目も、震えている。
よほど恐ろしかったのだろう、と思って、確信する。
女性とはいえ彼女は、魔法医師なのだ。
「何が起こったのか、わかりませんでした。皆彼に呼びかけましたが、返事はありませんでした。彼の、目は——生きた人間のようには、見えませんでした。あっという間に我が部隊は壊滅しました。斬られて、斬られて、皆斬られて、彼が王に向かっていくのを……」
彼女もその場にいたのだ。そして巻き込まれた。
女性で、しかも魔法医師だったので後方に控えていたせいで。
「王は仕方なく、勇者様を殺しました。死体から血は出ませんでした。彼はすでに、死んでいたんです」
死霊術、と思った。
死体を操る悪魔の術。それは魔法であって魔法ではない。
禁忌だ。
「主力が壊滅したせいで——そして、ほぼ同時に敵軍も主力が出てきたせいで、我が軍は一気に劣勢になりました。瞬く間にわたくしたちは魔物に囲まれていました。わたくしは、何もできませんでした……わたくしを守ろうとした兵士たちを助けることも、自分の身を守ることも……」
俯きがちになっているが、涙は出ていない。
それが、逆に痛々しかった。
「その後のことは、よくわかりません。結局王は殺され、国が滅んだと言うこと以外は。わたくしも……瀕死でしたので」
再びしばらく黙り込んだあと、何かを飲み込むように息を吸う。
「瀕死のわたくしを助けてくださったのは、姉上でした。姉上は月神の伝承に従い、わたくしの目を代償にこの子の封印を解きました。そしてわたくしと契約をさせることで、生きながらえることができたのです」
この子、と言ってメイドはテーブルの上の白鼬を撫でた。
すでに小さな鼬に戻り、出されたごはんを頬張っている。
褒められたと思ったのか、キュッキュッと得意そうに鳴いた。
「月神の伝承」
と口に出した。メイドは静かに頷く。
町の人の噂は全く嘘というわけでもなかったのだ。異教の伝承は、今でも残っていたのだ。
「そして、紆余曲折の末に、私に引き取られたということだ」
屋敷の主人が紆余曲折、という言葉に含みをもたせながら口を挟んだ。
本当に色々なことがあったのだろう。
強盗、人攫い、特に意味のない殺戮。身寄りも、後ろ盾もない旅人の最大の敵は、人間だという。
この話に、どう反応するべきか悩んだ。
そうだったのか、と同感したし、同情もした。同時に、勇者が魔物に殺され実質その手で国を滅ぼしたという悪評が広まるのを恐れて事実を隠そうとしたルージャルグ神学校に憤りも感じた。
だがその話を受けて、自分がどうするべきなのか、それがわからない。
答えは、メイドが出した。
がたん、と音がした。
驚いてそちらを見ると、メイドが立ち上がり、頭を下げていた。
「……っ?」
いきなりどうしてそんなことをしだしたのか、検討もつかなかった。
ただ、嫌な予感がした。
「ラーニエ様、わたくしも、魔王討伐に同伴させてください」
ひゅ、と喉がなる音がした。
そう他人事のように思ってしまうほど、唖然とした。
待て。
待て待て待て、待ってくれ。
だが、時間は待ってくれない。
そして、時というのは得てして、悪化はしても、よくなることは滅多にないもの。
「アムスラント王国の王女として、我が祖国と、我が父と、あの戦争で命を奪われた全ての国民の無念を晴らし、仇を討ちたいのです!」
アムスラント王国の、王女。
すう、と気が遠くなる。
ラーニエは、彼女に嘘をつき続けてきた。
その結果が今、光景という形をとって目の前に広がっている。
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