メイドの話 3

 魔法の種類は数多く、しかも日々研究され新しく開発され、更新されている、という。

 その全てを暗記し、知り尽くしている人間は、魔法学の研究者か、博士、ないしはそれを目指す学生のみだろう。だから、ラーニエもその全てを知っているわけではない。

 だが、これだけは断言できた。

 こんな魔法は、存在しない、と。

「ま、ざっとこんなもんかな。久々にやったけどうまくいった。やっぱこの世界の月はいいね」

 白鼬が、地獄の中、呑気な調子で言う。

 あれだけいた魔物の大軍が、一瞬で壊滅した。

 光に貫かれ、毛皮が焼けた死体。中には原型を留めていないものもある。

 さすがにトロールのような大型の魔物は死ぬまではいかないものの、皆確実にどこかを損傷して呻いていた。具体的には、足や腕がちぎれていたり、内臓をやられたのか血を吐いている者もいる。

 当然、戦意はもはや感じられない。まるで暴君の城の地下にある牢獄のような静けさの中、聞いているこちらが吐きそうになる呻き声だけが響いていた。

 もちろん、ケット・シーが爆発の魔法を使えばこんなものでは済まない。トロールすら生き残ることを許さない、文字通りの皆殺しになっていたはずだ。

 しかし、十分すぎる威力。しかも、敵も味方も構わず爆殺するケット・シーとは違ってこちらは攻撃する相手を選ぶことができるらしい。

 こんなものが開発されていたならば、授業で習わないわけがない。

「ん、どうした? 縮こまっちまってさ。ボケ老人みたいに。ほら、捕らえるんだろ? 早くしろよ」

 言いながら、なにがおかしいのかキュッキュッ、と白鼬は笑った。

「……」

 対して、マントの魔物は目を見開いたまま固まっていた。

 多分自覚はないだろうが、口まで開いている。

 その口で呼吸をしているのかはわからなかった。多分、していないのではないだろうか。そう思ったくらい、全てが衝撃的だった。

 魔法そのものもそうだが、これだけの魔法を放っておいてこともなげに飄々とした態度を取れる白鼬が。

 底なしの魔力。

 ケット・シーが敵意を持っていた本当の理由がわかった気がした。

「ここでお前を殺しておいてもいいんだけど。あのデカブツは脳みそがないからな……」

 白鼬が、くい、とマントの魔物の喉元に爪を当てる。

「……ぅ、くぅ」

 ビクン、と魔物が何かに刺されたかのように震えた。

「お前、アイツに伝えてくれよ。相変わらずめんどくせーな、失せろってさ」

 にんまりと笑みを浮かべる白鼬に、マントの魔物は必死になって頷こうとしていた。だがそれはうまくいかず「あ、あ……」という奇妙な返事だけが返ってくる。

「ほら、早く行けよ。それともそんなに死にたかったか? だったらすまんな。いやあ、おまえにしか頼めそうにないからさ。な? お願いだよ」

 白鼬がツンツン、と爪で首を突く。

 軽く引っ掻いただけで皮膚が割かれるのが容易に想像できる、鎌のような爪だ。

「ひ、ひぃっ!」

 魔物が悲鳴をあげた。

 なんとなく、ラーニエの電撃を浴びた水ネズミの絶叫を連想した。それくらい、苦痛と絶望に満ちた声だった。

 慌てたように立ち上がり、後ずさる。三歩下がったところで自分の足につまづき、盛大に尻餅をついた。

 また奇妙な声をあげた魔物は、立ち上がると今度は幽霊に襲われているかのような勢いで駆け出していく。

 這々の体、という言葉がある。

 時々つまづいて地面に手をつくので、まさに這いながら走っているように見えた。

「……ふう」

 その姿が見えなくなると、白鼬はため息をついた。

 そして、メイドの方を見る。

「そっちもそろそろ終わるか」

 そんな言葉で思い出した。

 圧倒的すぎて忘れていたが、屋敷の主人が死にかけているのだ。

 慌てて、薬草袋を弄る。一枚取り出そうとして、落としてしまった。

「うわわっ」

 それを拾おうとしたところで、眩い光が視界に入った。

 見ると、屋敷の主人が輝いていた。

 正確には、光っているのは傷口に当てたメイドの手だ。そこから光が放たれている。

 ラーニエはそれを信じられない気持ちで見つめていた。

 癒しの光。治癒魔法。

 それは、天性の才能と、人間の体に対する深い知識がなければ成立しない高度な技術。

 完全な治療はできないとされているものの、傷を癒すその力は戦争等で重宝される。

 使い手は魔法医師と呼ばれ、その人口はとても少ない。

 もちろんのこと、実戦的な魔法なのでラーニエも習った。だが、今年の勇者でそれを習得できた者はいなかった。

 厳しい試験を抜けなければ入学も卒業もできないルージャルグ神学校の生徒ですら、それが普通なのだ。

 それを、メイドが。

「う、うう……」

 先ほどまでぴくりとも動く気配のなかった屋敷の主人が、呻き声を上げて目を覚ます。

「ご主人様!」

 その途端、メイドが異国の鳥のように高い声で叫び飛びついた。

「う、ぐっ?」

 また呻き声を上げたが、先ほどまで腹を刺され血を流していた人間とは思えないほど声に活力が満ちている。

 確認するまでもない。

 彼女の治癒魔法は、完璧だった。

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