魔王軍の侵略 7

 ラーニエに電撃を浴びせた魔物は、よほどの実力者のようだった。

 驚かせる程度しかできないほど弱くもなく、かといって街を破壊するほど強力でもない。

 致死量ぎりぎりの、電撃。

 それが意外と難しいことは、身をもって知っている。

 全身を駆け回る痛みに悶えながら、その相手を見つける。

 姿勢を伏せ、尻尾をあげてこちらを見つめる目が一対。

 真っ白なケット・シーだった。

 なるほど、ケット・シーの技術ならそれも可能かもしれない——が、不思議な気持ちだった。

 ケット・シーの魔法がこんなに弱いことに、だ。

 もちろん、実際はこれが普通なのだ。ラーニエのが異常なだけで。

 真っ白のケット・シーはつまらない、というように座り込み、毛繕いを始めた。

 当然、魔物たちが呻きながら転がるラーニエを放っておくはずもない。

 スケルトンに剣を突きつけられたのを合図に、あっという間に魔物に囲まれてしまった。

「うにゃあ……ん」

 ケット・シーが低く唸る。こんなにドスの効いた声を、初めて聞いた。

 尻尾を立てて、不機嫌そうに揺らしている。

 だが、そこにはあらゆる魔法の気配はない。

 それが、泣きたくなるほど嬉しかった。

 ケット・シーはラーニエに集る魔物を追い払おうとしてくれているのだ。

 しかし、もし魔法を使えばラーニエも消し飛ぶ。

 だから、使えずにいる。

 ひょっとしたら、機嫌が悪いのは自身の不器用さを恨んでいるからなのかもしれない。

 蛇の方は、変わらず悲鳴をあげるユリカを守っている。

 その前には黒焦げになった死体がいくつも転がっていた。中にはまだ燻っているものもある。

 こんな時なのに、やはりそういうものを見るのは気持ちが悪かった。目をそらす。

 と、よくやった、という低い声がした。

「やれやれ。勇者にも強い者から弱い者までいるというのは知っているがな。彼奴より骨のない輩がいるとは思わなかった」

 ざ、と魔物たちが道を開ける。

 その間を、悠然とマントをはためかせ、そいつは歩いてきた。

「うぅぅ……うにゃあ……っ!」

 ケット・シーが怒鳴る。

 ちろちろと光の玉が浮かんでは消える。

 魔物が骨ばった顔で苦笑する。

「そう怒るな。まだ何もしていないだろう」

「にゃああっ!」

 会話になっていない。

 ケット・シーは完全にただの猫のようになっている。

 なぜ魔法を使わないのかを、知っているのかいないのかはわからない。

 だが魔物は気にも留めていない様子でラーニエを見た。

「何の用かときいたな。答えてやろう」

 そういえばそんなことを言ったような気がする。

 この短い時間で忘れてしまうほど、衝撃が強かった。

 いや、今でも十分強い。

 だが少し心の余裕があった。

 少なくとも殺すつもりはないらしい。

 もしそうなら、とっくにそうされている。

「月の化身を探している」

 言い聞かせるように、そいつは言った。

 まるで何か確信を得ているようだった。それがなんなのかはわからない。

 だが、少なくともラーニエが驚くだろうことを知っている顔だ。

「月の……化身?」

 しかしラーニエは知らない。

 知り合いにそう呼ばれている人はいないし、そんな大層な名前をもらっている魔物も知らない。

 動物である可能性もあると思ったが、いくら考えても答えは出てこなかった。

 魔物はじっくりとラーニエの顔を見つめて、それからつまらないというように顔をしかめる。

「間抜けもここまでくると滑稽だな」

 くい、と顎をつままれる。

 魔物の指は冷たい。

 血が通っていないのかもしれないし、冷たい血が通っているのかもしれない。

 魔物は人間ではない。

 人間の常識で測ることはできない。

 なんだと、と言い返せるだけの勇気はなかった。

「お前たちもわからない奴らだな。なぜこの将来性のない間抜けにみかたをする?」

 なんだか聞いたことのある言い回しだ。

 そう思っていると、ケット・シーがフン、と鼻を鳴らした。

 多分、同じことを思ったのだろう。

 しかし何も言い返さなかった。

 ひょっとしたら、寝返るのも悪くない、と思っているのかもしれない。

 ありえない話ではなかった。

 要は居心地の問題だ。間抜けなラーニエにあちこち連れ回されるよりも、このいかにもな上官に従う方がいいかもしれない。

 いや、かもしれないではない。

 その方が、いいに決まっている。

 もやもやとした気持ち悪さが募る。

 絶望的な今の状況よりも、ケット・シーが敵になるかもしれないということの方が不安になった。

 どうしてもケット・シーの顔を確認したくなったが、顎を固定されている今、それはできない。

 まるで、暗闇の中で磔にされたような気持ちになった。

 しばらくして、魔物は「まあいい」と笑った。

「貴様らには大した興味はない。捕らえられればなお良かったが、お前だけでも事足りる。お前を捕らえれば奴は現れる」

 つまり、月の化身が、ということだろう。

 現れるとどうなるのか。

 想像もつかない。

「まだわかっていないようだな。呆れた奴だ。お前、この町で誰かと一緒にいたらしいな?」

 それならわかる。メイドのことだ。

 彼女と、月の化身と何の関係が。

 いや、待て。

 月?

「……そんなわけ」

 魔物が顎を離す。

 先ほどまであれほどケット・シーの様子が気になっていたのに、今は逆に奴から目が離せない。

 メイドの故郷は元々、何を信仰していたか。

 彼女はなぜ、差別を受けていたか。

 ラーニエはなぜ、それが不当だと思ったか。

「頭が回ってきたようだな」

 もし、メイドの故郷は、アムスラント王国が信仰していた月神を、彼女は今も信じていたとしたら?

 もし、この町の人の言葉が全て正しいとしたら?

 ——そんなはずはない、と思った。

 だが、そうであるならば、こいつの行動にも合点が行く。

 屋敷の主人のためなら死ねると言わんばかりの人なのだ。

 頼みの綱だったラーニエが失敗したと知れば、多分、来る。

 自分の命も顧みず、主人を助けるために。

 そして彼女は、あの宿屋からこの様子を見ているはずなのだ。

 ばく、ばく、と心臓の音が鳴る。

 そうなってほしくなかった。

 もしそうだとしたら——自分は、いったい何のために怒っていたのか。

 もしそうだとしたら、自分は何をするべきなのか。

 来ないでくれ、と思った。魔物の気色悪い顔を見つめながら、祈りすらした。

 だが、願いは叶わないことが多く。

 そして祈りは人間に対して行うものではない。

「離して……あげてください。狙いはわたくしなのでしょう?」

 その声を聞いた瞬間、世界が真っ暗になったような気がした。

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